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_花織と優子はラクロス部の部員たちとスポーツジムで汗を流したあと、小田が指定してきた店で他愛のない話で盛り上がっていた。
「優子、それほんとう?私にはよくわからないけど」
「たとえば激しい運動とかしてるとね、知らないうちに処女膜が破けちゃうんだって。痛くも痒くもないらしいけど、それもなんだか女として味気ないよね」
「優子のその基準が理解できないよ」
「そう?」
_低アルコールのカクテルがまわってきたのか、花織の頬はほのかに火照ってほかほかした気分になった。
_陽の落ちた薄暗い窓の外には街の夜景がちらちらと灯って、ちょうどバースデーケーキの蝋燭(ろうそく)のようにビルや歩道を飾っていた。
_店の出入り口のドアベルが鳴って、一人の青年が入ってきた。
_彼はウエイトレスと軽く口をきくと、申し訳なさそうに太い眉毛を曲げて、花織と優子のそばに腰かけた。
「小田くん遅いよ、そっちから呼んでおいてこの扱いは何?」
_先に口をひらいた優子が顎を突き出して小田のほうを覗き込む。
「ごめん、いろいろと調べものがあったものだから遅れてしまって。二人とも、なに飲んでるの?」
「そんなことより、黒城くんはどうしてるの?」
_カクテルで湿らせた唇を微動させて花織が訊いた。
「ああ、あいつは今日バイトがあって来れないんだ。それよりさ、例の事件のことなんだけどさ──」
_小田はウエイトレスにジントニックを注文すると、収穫あり気な目を二人に向けた。
「やっぱりうちの大学の学生が絡んでいたよ。しかも二人ともだ」
「それって強姦された子と、行方不明になってる子だよね?」
_優子が小田の話をあおる。
「そういうことだ。被害者は二年の徳寺麻美で、彼女を発見したのが、こっちも二年の植原咲。で、現在行方不明になってるわけだけど、この二人の名前に心当たりはあるかい?」
_花織と優子は互いに顔を見合わせて首を横に振る。
「俺の記憶違いじゃなかったら、たしか植原咲って子は昨年のミスキャンパスだったような気がするんだよな」
_小田の言葉に花織がひらめいた。
「あの時の子ね。そうそう、私と優子もいいところまで行ったのに、数票の差でその子に抜かれちゃったんだよね」
「あの子の名前、植原咲だったんだ?名前はあんまり覚えてないけど、顔を見ればわかると思うわ。だけど、おっぱいは私のほうが大きいと思ったんだけどな」
「それは俺も認めるよ。だとしたら彼女は優子にはないものを持っていたってことだ」
「私にないものって?」
「女性としての品格さ」
「どうせ私は生まれた時からノー品格ですよ」
_そう言って陽気に笑う優子の魅力は、自分を飾らないところにある。
_すかさず花織がグラスを上げて、「ノー品格に乾杯」と笑うと、あとの二人もそれにつられてグラスを交わらせた。
_さっきまで流れていたジャズに代わって、ボサノバの女性ボーカルが店内に染みわたっていく。
_間接照明だけの明かりを頼りに小田の視線がふたたび彼女たちに向けられ、その口から更なるネタがバラされた。
「ミスキャンパスがどこにいるのかはわからないけど、いろいろ調べていくうちに被害者の徳寺麻美のブログのようなものが出てきたんだ。信憑性に関してはなんとも言えないけど、そこに今回の事件の秘密が隠されているような気がするんだ」
「ただのレイプ事件じゃないってことね、聞かせてもらうわ」
_興味津々に鼻を利かせる優子の隣で、花織は黙ったまま首をかしげる。
『私と彼の関係は異常でした。出会い系サイトで知り合ってすぐに体の関係をもって、最初のうちは普通のセックスだけで良かったけど、だんだん彼のほうがアブノーマルなものを要求するようになって、私はそこに自分の知らない世界があるんだと体の震えをおぼえました。それがはじまりでした。初めて耳にするサディスティックな言葉、初めて目にするグロテスクな器具、初めて感じる屈辱的な快感に私は私じゃなくなっていきました。私と彼の関係が終わる時、それはどちらかが死ぬ時とさえ思うようになりました』
『異常なセックスで飼い慣らされた私は、とうとう自分自身をコントロールできなくなるのです。彼に会えない日は自慰に明け暮れ、部屋の衣装ケースはアダルトグッズで埋め尽くされていきました。ローター、バイブレーター、ディルド、ローション、そして媚薬。その行為はしだいに一人を楽しむものではなく、誰かに見られたい願望を生むのでした。脱皮したクリトリス、貝割れしたラビア、目立ちたがりの乳房、人見知りの乳首。全部あなたに見て欲しいから、私は安全なテリトリーを抜け出して、快感を外に持ち出すことを決めました』
『それは普段と変わらない手順で、フェイスメイクとヘアメイクをして全身のスタイリングで終わります。いつもと違うことをひとつ付け加えるのならば、体にある「仕掛け」を施すということ。AV女優でもない素人の私がそんな「仕掛け」をするということは、それだけ性的に追い込まれていたんだと思います。玄関のドアを開けて最初の一歩を踏み出すまで、その瞬間にはまだ理性が効いていたはずでした。パンプスのつま先が宙を蹴って、かかとが着地したとき、眠っていたはずの体中のホルモンが目覚めてしまったのです。私の仕掛けを見抜いて欲しい、そんな思いで太陽を真上に望みながら人波をもとめて歩き出しました』
『いつもと同じ見慣れた景色はもうそこにはなく、欲望でふやけた視界が私に迫ってきました。駅前のモニュメントそばのベンチに私は少しのぼせ気味に腰をおろし、日常の風景に溶け込みました。駅前なのだから人通りは多い。さり気なく、でも計画的に私の手はバッグの中にもぐり込み、板ガムほどの小さな手触りを確かめて、そのスイッチを押す。低い唸り声が聞こえた。携帯電話をマナーモードにしているわけでもないのに、その唸り声は体の芯に心地良いビブラートをあたえながら、鼓膜にまでつたわってくる。私は一瞬息を止めて、それから息継ぎをするように口元をゆるめた。息継ぎをしないと溺れてしまうから。太ももの内側を擦り合わせて足踏みをしていたら、道行く人の視線が私にささるのがわかりました。私は今、オナニーを見られている』
「これってつまり、その、なんていうか、いわゆるアダルトグッズを着けたまま家の外に出たってことだよね?」
_プリントアウトされた粘着質な文字を見ながら、優子にしてはめずらしく言葉を選びつつ、小田に訊いた。
「だろうな。花織はどう思う?」
「そうね。これがほんとうに彼女のブログだとしたら、『彼』とのあいだにトラブルがあったとか、彼女の性癖が火種になって、起こるべくして起きた事件というか。私から頼んでおいてアレだけど、あんまり考えたくないわね」
_花織は明らかに嫌悪の表情をちらつかせている。
_そしてハンカチを手にとって席を外した。
「花織ってほんとうにこういう話題は苦手だよね。まさかまだ処女ってこともないだろうし」
「まあ、優子のようにはいかないだろうな」
「小田くんなら、私と花織、どっちとエッチしてみたい?」
「そうきたか」と小田は男らしい笑みを浮かべて、「卒業するまでには論文にまとめておくよ」と優子の鼻面をつまんだ。
「あとさ、徳寺麻美のことを探っていたら『魔女狩り』っていう関連キーワードも出てきたんだ。これは──」
「若い女の子をつかまえておいて『魔女』だなんて、まったく無神経な言い分ね」
_トイレから戻った花織が小田の横から割り込む。
「ハロウィンに引っかけたつもりじゃないか?」
「センスを疑うわ」
「俺はまだこのキーワードの先には手をつけていない。ここからは黒城にもアシストしてもらうつもりだ」
_三人それぞれ違う色のカクテルを嗜(たしな)んで、それぞれの思いを酔いにまかせてめぐらせていた。
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