お辰さんと偶然に再会した数日後の土曜日、昼で授業もおわり
部活も無かったのでお辰さんに教えられた電話番号に電話した「もしもし00
さんですか?」「はい00ですがどなたですか?」とお辰さんの声だった、
私は「僕これから行ってもいいですか?」とたずねたら「いいわよー待ってる
から着てね」と多少はずんだ声でいってくれた。
高校から山手線で2駅目で降りて都心高級住宅地の地番をたずねてお辰さんの
家に向かった、其処は文京区の高台にある都内有数の高級住宅地だった、お辰
さんに教えられた家には00家と書かれた表札が掛かった近代的な一軒やだっ
た、私は恐る恐る木戸の呼び鈴を押すと懐かしいお辰さんが簡素な着物姿にエ
ポロン姿で木戸を開けて向かいいれてくれた。
お辰さん「ひさしぶりねーげんきそうね」と云って玄関に案内してくれて「さ
あ遠慮しないでおあがり」と言って居間と思われる座敷に案内してくれて「ね
ーお腹すいてんでしょう?」と云うので「うん」と答えるとしばらくしてザル
に山盛りのうどんを盛って「さあ沢山食べてね」と椀に生卵を割り入れて下ろ
し生姜を入れて突け汁を作り進めてくれた、16才の食い盛り盛りで腹ペコだ
った私は山盛りのウドンをペロリといただいた。
お辰さんはそれをジットみていたが食い終わると食器を持ってしばらく居なく
なった、少しすると隣の部屋の襖が開き浴衣に着替えたお辰さんが「」00ち
ゃんこっちにおいで」と手招きされたので云われるままにその部屋に入ると布
団がしいてありお辰さんは私の手を取って「ねーしばらくぶりにしたいでしょ
う?」と云って自分から布団に寝て帯を解いて誘ってきた、私は無我夢中でお
辰さんにに抱きつくとお辰さんは「00ちゃん、あせっちゃだめよ、今日は私
の云う通りにしてね」と云われ先ずキスをしながらオッパイを優しく愛撫して
私が良くなったらオマンコのクリトリスを触ってから私が舐めてと云ったら其
処を舐めててちょうだい、と云うので云われた通りしてオマンコの割れ目を下
から上に舐め上げてクリトリスを吸い舌でコロガス等オマンコがビシャビシャ
になるまで舐め続けているとお辰さんが「ねっいれて」と云うのでジュクジュ
クに濡れたオマンコにビックリする位怒超して赤紫色に張り切ったチンボをお
辰さんのオマンコの入り口にあてがいズブリと先ず亀頭を挿入した、私のマラ
は友人達からデカイと言われていたがこの時はまた一段とデカクくお辰さんの
オマンコの入り口が亀頭に連れて中に入り込みそれ以上はお辰さんが痛がって
入らないので一度抜いてマラをネジリながら少しずつ入れていって抜き差しし
ながら5~5分かかって18cmの根元撫で挿入して小腰を使いお辰さんが
「あっあっあ~い~あひ~あうあうあ~い~」とうめきだしら時、
居間の襖が少し開いて誰かが覗いている事に気が付いた、私はヨガルお辰さん
にオマンコに出し入れすることを中止して入れたままで「誰かが覗いている
よ!」と云うと彼女は「いいのそのまま続けて!」といいヨガリ鳴きしながら
3~4回逝ってからいずまいをを直して起き上がり、今お金持ちの老人の妾に
なっていてその老人がこういうシーンを観ないと勃起しないのでお願い代わっ
て、と云って老人を招き入れて尺八をして老人のチンボを挿入させた。
しばらく老人はお辰のオマンコに半立ちのチンコを出し入れしていたが「う~
ん」と云ってお辰さんの胸の上に伏せて指示かになった。(後日お辰さんの話
によれば、この老人は某有名大問屋の三代目で年齢は80歳、お辰さんが戦争
未亡人、若い男達に夜這い強姦された過去を承知で妾にしてくれた」と涙なが
らに話してくれた。
この日以後、私は妾宅「お辰さんの家」に出入り自由となりお辰さんとオマン
コをやり放題(時には大旦那と共同で)で高校大学を卒業頃まで多彩なな性交
体位や複数SEXは最大1:12のお辰さんの。。輪姦を指揮指導して老人を
喜悦させた)。その後大手商社で10年修行して、老人の会社に業務で入社し、
お辰さんの老後を託されて労会長は死去、今私が会長職にありお辰さんを那須
高原の山荘で大切に余生を送って頂いている、時には私の二号、三号等を招待
してwebサイトで募集したSEXし盛りの男達10人位を1~2~箔で招待して
3人の妾と若作りさせた70歳ののお辰さんのオマンコを20歳代の男達が
「気持ちいい~いく~」と言いながら射精している、これはうれしい限りだ。
続
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