レッスン4 視線の授業
「今日は視線だ」
北浦和のサイゼリアで、私は言った。
綾乃はストローで山ブドウレモンサイダー: 山ブドウスカッシュ + 炭酸水 + レモンポーションをかき混ぜている。
昨日までの授業で、姿勢も歩き方も少し変わった。靴もヒールに慣れてきている。
「視線?」
「人は口より先に、目で本音を言う」
綾乃は笑った。
「また先生の理屈。目は口ほどのものを言い?」
「のじゃない、にだ。理屈じゃない。観察だ」
私はテーブルに指を置いた。
「人間の心には二つある」
「二つ?」
「顕在意識と潜在意識」
綾乃は首をかしげた。
「難しい」
「簡単に言うと、見える心と見えない心だ」
「見える心?」
「自分でもわかっている気持ち。好きとか嫌いとか、欲しいとか。はっきり言葉にできる感情だ。見えてる心は氷山の一角」
「氷山の一角。タイタニックが沈没するやつ。じゃあ見えない心は?」
私は少し声を落とした。
「自分でも知らない自分」
綾乃は黙って聞いている。
「人間は社会で生きるために、本能を隠す」
「本能?」
「そう。本当の欲望とか、衝動とか」
私は窓の下を指した。
通りを歩く人たちが見える。
「だから面白いのは“視線”だ」
「なんで」
「見えない心が、そこに出るからだ」
綾乃は少し身を乗り出した。
「どうやってわかるの」
私は指を折った。
「まず胸を見る男」
「いるね」
「それは母性を求めているタイプだ。安心感を欲しがる」
綾乃は笑った。
「子供みたい」
「実際そういう部分がある」
私は次の指を立てた。
「次に尻を見る男」
綾乃は眉を上げた。
「先生、言い方」
「これは本能的な視線だ」
私は続けた。
「生き物として“子孫を残す相手か”を無意識で見ている」
綾乃は腕を組んだ。
「へえ」
「歯と尻で健康かどうかわかる。歯医者に助平が多いのも…」
「どうでもいいわ」
私は最後の指を立てた。
「脚を見る男」
「脚?」
「そう」
私は少し笑った。
「これは少し変わったタイプだ」
綾乃は面白そうに聞いている。
「細部を見る人間は、普通と違う感覚を持っている」
「つまり?」
「いわば“変わり者”だ」
綾乃は声を出して笑った。
「変態ってこと?」
「まあ、そういう言い方もできる」
私は肩をすくめた。
「でもな」
「うん」
「面白いのは、そういう人間ほど観察力がある。綾乃の良いところにも気づいてくれる」
綾乃は少し考えた。
「普通の人は全体を見る。でも細部を見る人は、違うものを見ている」
「違うもの?」
「個性とか、雰囲気とか」
店の奥で男が一瞬こちらを見た。
綾乃は気づいたらしい。
「……見てたね」
「どこを?」
綾乃は少し考えてから言った。
「脚」
私は笑った。
「ほらな」
綾乃はストローを回した。
「先生」
「なんだ」
「視線ってさ」
「うん」
「面白いね」
「だろう」
私はコーヒーを飲んだ。
「人は言葉では嘘をつく」
「でも?」
「目は正直だ」
綾乃は外を見た。
街を歩く人たち。
その中の視線が、時々こちらに向く。
「次の授業は?」
私は少し考えた。
「ファッションの最後の段階だ」
「まだあるの?」
「ある」
私は言った。
「雰囲気だ」
綾乃は首をかしげた。
「雰囲気って、作れるの?」
私は笑った。
「作れる」
窓の外で風が吹いた。
「それができると、人はただ歩くだけで印象に残る」
綾乃は小さく頷いた。
授業は、まだ終わらない。
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