レッスン5 おとなの色気
「雰囲気と聞くとどんなことを思う」
ワシントンホテルの隣ののカフェというより喫茶店で、私は綾乃に聞いた。
綾乃は昨日と同じヒールを履いている。
歩き方も、最初に比べると少し落ち着いてきた。
「雰囲気?」
アイスコーヒー、ストローを回しながら言う。
「ムードとか、空気感とか」
「まあ、そんなところだな」
私はサイホンで入れたコーヒーを飲んだ。
「でも、これから教える雰囲気はもう少し具体的だ」
「具体的?」
「色気だ」
綾乃は顔を上げた。
「色気」
「つまり、エロいかエロくないか」
綾乃は笑った。
「先生、またそういう話」
「大事な話だ」
私は指をテーブルに置いた。
「色気ってのは、露出の量じゃない」
「そうなの?」
「そうだ」
私は続けた。
「派手な服を着ても、たとえ裸になっても色気がない人はいる」
「いるね」
「逆に、普通の服でも妙に色っぽい人がいる
真っ裸より少し隠している方がエロい」
綾乃は少し考えた。
「確かに」
「それが雰囲気だ」
店の窓の外では、人が行き交っている。
スーツ姿の会社員、買い物客、学生。
「人間には三つの段階がある」
「また授業?」
「そうだ」
私は笑った。
「まず、生殖」
「生殖?」
「生き物として子孫を残す本能だ」
綾乃は腕を組んだ。
「動物みたいな話だね」
「実際、人間も動物だからな」
私は続けた。
「次にセックス」
「それは同じじゃないの?」
「似ているけど違う」
私は言った。
「生殖は種を残す行為。セックスはコミュニケーションに近い。人間は生殖なしのセックスを永いこと行ってきている。生殖しないから同性でもOKだ」
綾乃は首をかしげた。
「セックスがコミュニケーション?セックスで分かり合えるの」
「どうだろうな。分かり合えるような気分になるだけだろうな。信頼とか、親密さとか。確かめても確実というのは無い」
綾乃は少し黙った。
「……なるほど」
「だから、行動で証明する。献身だ。SMなんかもそうだな」
私は最後の指を立てた。
「三つ目がマスターベーション」
綾乃は吹き出した。
「先生、ストレートだね」
「これは自分と向き合う行為だ」
私は続けた。
「人間の想像力は強い。だから一人でも感情は動く。自分の性癖に合ったイマジネイションを自分のやり方で行う。儀式みたいに」
綾乃は頬杖をついた。
「全部、心の話なんだね」
「そうだ。体は騙される。心は、自分の心は騙されない」
私は頷いた。
「色気ってのは、その全部が混ざって出る」
「混ざる?」
「本能、感情、想像」
私は窓の外を指した。
「それが雰囲気になる」
綾乃は少し考えてから言った。
「先生」
「なんだ」
「色気ってさ」
「うん」
「作れるの?」
私は少し考えた。
「完全には作れない」
「え」
「でも、引き出すことはできる」
綾乃は身を乗り出した。
「どうやって」
私は笑った。
「自分を知ることだ」
店の外を人が通り過ぎる。
その視線が、一瞬こちらへ向いた。
綾乃は気づいたようだった。
「……見てた」
「どこを?」
綾乃は少し笑った。
「わかんない。でも見てた」
私は冷めたコーヒーを飲んだ。
「それが雰囲気だ」
綾乃は窓の外を見た。
「なんかさ」
「うん」
「授業聞いてると」
「どうした」
「ファッションって、服の話じゃないね」
私は頷いた。
「最初からそう言ってる」
服、靴、歩き方、視線。
そして――
雰囲気。
「先生」
「なんだ」
「次の授業は?」
私は少し考えた。
「そうだな」
静かな午後の光がテーブルに落ちている。
「最終回にしよう」
綾乃は笑った。
「やっと?」
「テーマは簡単だ」
「何?」
私は言った。
「魅力って何か。綾乃の魅力について考えよう」
カフェの窓の外で、街がゆっくり動いていた
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