なつみさん、凄く興奮して読ませてもらいました。
まだまだ続きがあると思うので書いてください。
ところでどの地方におすみなんですか。
私の暮らしていたところでも子孫繁栄の儀式があって、数えで男の子が14歳になったら家長の嫁と、女の子なら12歳で家長と一晩中まじゅわってセックスをする儀式なんです。
女の子は3月3日に、男の子は5月5日の夜と決まっていて一晩中交わるのです。
私も12歳の時に当時の祖父と交わった記憶があります。
3月3日の夕方に母に体を洗って清めてもらい、祖父が待つ寝室に行きました。
そこには母も父もいて私と祖父の行為を見守っているんです。
もうその時には祖父は裸状態で、私は真っ白な真新しい浴衣を着ていて「今晩はお願いします。」と祖父に頭を下げるのです。
そのあと父が私の着ている浴衣を脱がしてくれ私は裸にさせられるのです。
どうして父がと言うと、12年間育ててくれた父なら母より娘の生末が気になり、祖父に娘の初めてを委ねることによって子孫繁栄を願うからです。
その父も今年の3月3日には私の娘を交わり私も夫も二人の行為を確認しました。
まあそのことは今度書くにして、私は裸になってお布団の上に寝かされ両足首を両手で持つように言われました。
最初は気にしていなかったのですがその格好をしてみると何といやらしい格好で、脚を広げて男を受け入れる格好だったのです。
まだあそこに陰毛も生えていなくて縦筋だけがあって、お尻の穴もさらけ出している状態なんです。
そこへ祖父はオチンチンを擦りながら近寄ってきて、オチンチンが私のマンコに入る距離まで近づきオチンチンの先がマンコに当たってくるんです。
灯りは煌々と点いていて両親が目を大きく開いて私と祖父の交わるところを見つめているんです。
でも祖父のオチンチンが私のマンコに入ろうとすると痛くて私の顔が歪んでしまいます。
そこで祖父はオチンチンに自分の唾液をつけ再び挑戦してくるのですがまだ痛くて、、
それは仕方ないことなんです。
祖父のオチンチンが大きすぎて痛いのではなく、初めての行為と緊張で濡れていないからです。
すると祖父は私のお尻を持つとゆっくりと上にあげ、マンコを直接舐め始めるのです。
私は自分の足を手で持って肩と頭で半逆様にされ、股間を舐められているんです。
舐めるだけではなく祖父の舌が容赦なく私の割れ目の中に入ってくるんです。
肩と頭で支えられた私の体は苦しいのですが、割れ目の奥まで舐められたのは気持ちよくてだんだんと蜜があふれてくるようで
頃合いを見て祖父が私の腰を下ろし三度挑戦してくるのです。
するとさっきまで拒否していた私のマンコが滑りに任せてオチンチンを受け入れていて、先が入ると祖父は一気に自分のオチンチンを私の奥まで入れてしまったんです。
私のとっては初めての異物、指さえも入れたことなかったのに指の何杯もある祖父のオチンチンが入ってきたのですから人生初めての痛い気持ちでした。
私はとっさに、「痛い、、」と叫んでしまいました。
私は父と母に助けを求めましたが、二人はただ見ているだけで何もしてくれません。
痛すぎて二人を恨むことも出来ないまま、まだあとが続くのです。
それはしばらくじっとしていた祖父が動き始めたのです。
痛い私のマンコの中を太い棒でかき回すのです。
祖父のオチンチンが私の中を出入りし、それが数時間も続くと思うとこのまま殺してと思ってしまいます。
それでも祖父が数分出し入れしているとだんだんと痛みが薄れてきて、その時になると父も母もお役目ごめんと言うように部屋を後にして出て行ってしまったのです。
祖父と二人きりになった私は、「もう足を離してもいいぞ。」と言う祖父の言葉に離すと、祖父が前倒しになってきて私の体を抱きキスをしてくるのです。
「シズク、よく頑張ったな、今宵は朝まで交わり続けるんだ。いいな、、」
私は声が出なくて頷くしかありませんでした。
その夜の事は結婚をして子供を4人も産んで、長女を今年の3月3日に父との儀式を済ませた今でも忘れられません。
地域によってが嫁いだ家の家長とと言う事もあるようですが、私の地域では近親者で続けられているんです。
祖父に処女を捧げ儀式は一晩中続きました。
翌朝まで寝かせてもらえず義父は一晩中私を抱いてくれたのです。
いろいろ体位も帰祖父は私が気持ちよくなる体位を考えてくれていました。
翌朝には初めて祖父の物が入ってきた痛みなどどこかへ行ってしまったのか、祖父と交わる快楽だけがありました。
その祖父も私が22歳の時亡くなってしまいましたが、私の妹も、従妹の子3人も儀式をこなしてくれて感謝しかありません。
私もいずれは娘や息子の男の子が14歳になったらその儀式を行うのですから。
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