いつの間にか眠っていたらしい。
朝、いつものように義姉さんが起こしに来た。
「早く起きないと、仕事に遅れるわよ」………と
いつもと同じ、いつもと変わらぬ清楚な笑顔だった。
食卓につくと、兄貴もいつもと変わらなかった。
昨夜の事は、俺の妄想が生んだ夢だったのかと少しホッとした。
しかし、次の瞬間、朝食をテーブルに運んできた義姉さんの両手首を見てゾッとした。
兄貴は気付いていなかったが、昨夜義姉さんを縛り上げた縄の跡がクッキリと残っていた。
やっぱり、俺は終わったと思った。
「ごめん、何だか気分が悪くなってきた、兄貴、今日は休ませてくれ」
俺はそう言って、兆直も食べずに部屋に戻った。
何も考えられず、ただベッドの上でボーとしていた。
昼過ぎ、お昼はどうする?と、義姉さんが様子を見にやってきた。
「大丈夫?薬持ってこようか?」
義姉さんは、何事もなかったかのように、普通に俺に接してくる。
何も答えない俺の傍を離れようとしない義姉さん。
長い長い沈黙が続く。
義姉さんが俺の手を握ってきた。
「あの……昨日の夜の事なんだけど……」
来た!死刑先行の時間だ。
「………………」
俺の手を握る、義姉さんの手が力を込めて握り直してきた。
「た、拓海…さん……わた…し…私を…あなたの……あなたのメス…豚…奴隷にして……」
つぶやくような小さな声に、俺は耳を疑った。
「えっ?今なんて?」
握っていた手を放し、今度は床に正座し直し、床に三つ指を付きながら土下座しながら言った。
「拓海さん、いいえ、拓海様、どうか私を、淫乱な静香を拓海様のメス豚奴隷にしてください」
俺は訳が分からなかった。
「ね、義姉さんでも、そんな変態的な冗談言うんだ!仕返しのつもり?そんなの義姉さんのキャラじゃないでしょ!」
「違うの、本気なの、こんなことあなたにしかお願いできないの」
義姉さんは、今まで誰にも言えなかった自分の過去を語り始めた。
義姉さんの初体験は14歳、中学2年の時だったらしい。
相手は、見ず知らずのホームレスの男達、そうレイプだったそうだ。
廃屋に連れ込まれ、3日間監禁され、犯され続け、食事は男たちの小便と糞だったらしい。
抵抗すれば殴られ、ホームレスの臭いチンポを咥えさせられ、朝から晩まで犯された。
最初は3人、それから仲間のホームレスが増え、3日間で7人のホームレスに犯され続けたらしい。
発見されたとき、50発以上もの精子を浴びせられ、小便と糞まみれの哀れな姿で発見されたらしい。
しばらくは対人恐怖症、特に男性恐怖症になり、半年間の入院が必要になった。
入院して4週間、あれだけ生で中に射精されたのだ、当然のように妊娠も発覚した。
退院と同時に、義姉さん家族は地元を離れ、知り合いの誰もいない、今のこの土地に引っ越してきた。
半年の入院で、対人恐怖症は克服したが、男性はダメだった、実の父親でさえも。
引っ越すとき、娘のために離婚も考えたそうだが、男性恐怖症の克服のためにも父親の存在はあった方が良いということで離婚はしなかったようだ。
高校は女子高だったが、卒業の頃には男性と普通に話せるようになり、大学に入ってからは彼氏もできるまで回復していた。
当然、子供じゃないからセックスする関係にはなったが、全く感じなかったそうだ。
それが原因でかどうかはわからないが、兄貴と出会うまでは、ほとんどが身体の関係を持つと長続きしなかった。
いわゆる、マグロ女はつまらないと。
義姉さん自身も、原因がわからなかった。
高校時代、恋人がいた時期があった。
女子高だ、相手はもちろん女性、半年ほどレズの先輩と付き合っていたらしい。
もちろん、先輩とは肉体関係にあり、男は無理だが女性とのセックスの快感は感じていた。
同時に、そのころオナニーも覚え、性の快感は知っていたつもりだったのに、男性とのセックスではまるで感じなかったのだ。
男性に対しては、不感症なのだと諦めていた。
親父の会社に就職して、兄貴と出会い、やっと身体だけじゃない愛する相手を見つけたのだ。
でも、そんな兄貴相手でも、不感症は治らなかったらしい。
それなのに、昨夜俺にレイプされ、しかも縛られ、殴られ、何度も何度も感じた、逝った。
直後の兄貴とのセックス、まるで感じなかった。
風呂場でのオナニー、俺に犯されたことを思い出してしていた。
その時気付いたのだそうだ、自分はМだと、虐められて感じるドマゾなのだと。
高校時代の彼女との関係の中で、試したことはなかったがSМの知識はあったから、自分がマゾだということは容易に想像がついた。
思い返してみると、義姉さんのオナニーの妄想は、いつも拉致監禁レイプされていた時の事ばかりだった事に気が付いたからだ。
兄貴を送り出した後、それを確認する意味も含め、午前中ずっとSМ動画を見ていて、自分の性癖を確信したらしい。
※元投稿はこちら >>