暮れも押し迫った12月30日、私は息子と二人で、今は住む人の無い私の実家へと行った。
夏には下の集落に3世帯の年寄りが住んでいたのに、半年経ったら僅か1世帯の老夫婦が残っているだけだった。
実家の建物は、電気も簡易水道もあり、そう荒れてもいなかった。
来る途中で買ってきた食料品等を冷蔵庫に収め、石油ストーブに給油した。
それからざっと室内を掃除する。
良く気が付く息子は、押し入れの布団を僅かな日光に当ててくれた。
私は掃除機を掛けた後、畳や廊下を拭き掃除し、サッシの窓も拭いている。
私はすでに、息子から言われて、ショーツ一枚の裸体なのだ。
寒風が肌を突き刺し、指も悴んだ。
「お母さん、寒さでお母さんの肌、真っ赤だね。きれいだよ。」
息子はそう言ってからかっているのか、誉めてくれているのか?
寒さの中を裸で働かされるのも惨めだが、その場所が私が幼い頃から生まれ育ち、両親や祖父母から可愛がられた思い出の場所だと言うことが、一番惨めだった。
掃除が終われば、お風呂を沸かし、夕食の支度だ。
母から料理を教えてもらった台所に立って息子と私の夕食を作っていると、息子が後ろから忍び寄り、私のショーツを下ろすと、おまんこに茄子を捻込んだ。
「佑ちゃん、やめて。
お母さん、お料理してるのよ。
手を切っちゃうわ。」
「お母さんはずっと働き通しだから、お腹空いたでしょ。
取り敢えずその茄子を下のお口で食べててよ。
食べきれなかったら、後でお浸しにして二人で食べようね。」
息子はそう言うと、茄子を入れたまま、ショーツを上げる。
これで、僅かに動いても、子宮が直接刺激されて、私は腰をくねらせることになるだろう。
夕食の席で、また息子が私の身体をいたずらする。
寒さと、この後息子からされるだろういやらしい行為への期待から、私の乳首は硬くしこってしまっている。
その乳首を、息子は箸で摘まんだり、つついたりして遊ぶのだ。
「いつ見ても、お母さんのおっぱいはいやらしくて美味しそうだね。」
そう言われながら、勃起した乳首を、箸の先でチョンチョンとつつかれたら、それだけで気が狂いそうないけない快感が押し寄せてくる。
もはや、忌まわしい息子との近親相姦、息子のおもちゃにされる母親等と考えても仕方なくなった。
息子が車に積んでここまで運んで来た大きなバッグには、荒縄、綿ロープを初めとして、私を虐めつくす多くの道具が入っている。
息子は、今夜は家の中で、散々私を責めるつもりらしい。
そしてきっと明日の朝はきっと、凍りつく寒気の中で、私は荒縄でしばりあげられ、股間にも荒縄の縄ふんどしを締められて、外を歩かされる。
寒さに凍えて歩けなくなると、息子は温かいおしっこを駆けてくれるだろう。
そうして家に戻っても、母屋には入れて貰えずに、牛小屋に繋がれ藁の中で暮らさなければならない。
ああっ..、私はなんて惨めな母親なんだろう。
お正月の朝、息子は温かい母屋で、私が作るお雑煮を食べてお屠蘇を飲むが、私は火の気の無い牛小屋で、息子のおしっこを飲み、精液を啜らされる。
でも、仕方ないんだ。
一度息子のおもちゃになったら、もう人間の母親には戻れないんだ。
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