男性に所有されるというのは、現代のモラルでは許されることではないのかもしれません。
でも私達のようにMの性質を持った女性にとって、それは甘く淫靡な憧れだと思います。
臨まない男性の所有物となり、心とは裏腹に反応してしまう身体に躾けられて玩弄されるというのもM女性にとっては想像するだけで濡れてしまうシチュエーションです。
それがもし愛する人に所有されて身体を求められるとしたら、どんな恥ずかしく辛いことでも耐えられると思うことでしょう。
いえ、正直に告白すれば、愛する人に所有されたなら、とても恥ずかしいこと、痛みを伴っても構わないから辛く苦しいことをして欲しい、そんな風に私は思うんです。
恥ずかしいけれど、隆と田中君に共有されて、身体をあの子達の自由にされる、そんな風に思うだけで激しく胸が高鳴りました。
そうです、私と真澄様は所有されるのではなく、共有されるのです。
母という身でありながら、息子たちに共有されて自由にセックスされることになるのです。
「ママ、静子さん、僕たちは二人ともママと静子さんを心から愛しています。一時の気まぐれや浮ついた気持ちではなく、本当に真剣に心から愛しています」田中君が静かにそう告げました。
私達四人は、全裸のまま今まで交わっていたお布団の上で正座していました。
「僕たちはママと真澄さんのことで、互いに嫉妬したり何かを疑ったり険悪な気持ちを持ったりしないで、今の気持ちのまま二人を愛していきたいと思っています。そのために、二人を僕たち二人で共有したい、何も隠さず二人を愛するために、そう思っています」
つい先ほどまで、二人に代わるがわる抱かれた私と真澄様、隆と田中君の言っていることが何の不思議もなく、何の疑いもなく心に入りました。
「ありがとう、隆、田中君。私を二人の共有にしてどうぞいつまでも可愛がってください」
「私も静子様と同じ気持ちです。隆さん、修ちゃん、ありがとう。私もお二人で共有して、そしていつまでも愛してください」
私と真澄様は隆と田中君の共有物となりました。
四人は隠し事をしない。
男性二人は、女性二人のどちらでもいつでも抱いてかまわない(これは、私と真澄様が望みました)。
女性から抱いて欲しいと望む事はなるべく控える(これも私と真澄様が望みました)。
男性は互いに連絡を取り合って、女性を抱くタイミングが重ならないようにする。
そして、男性が望むなら、女性はどのようなセックスにも応じなければならない。
誰かの気持ちが変わってしまったら、争うことなくこの関係を解消する。
私たちのルールは、これだけです。
私、真澄様とともに隆と田中君に所有されることになりました。
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