食事が終わり、僕は風呂場へ向かいます。いつからか、風呂のお湯を張るのは僕の仕事となっていたからです。
その間、母は食事を終えた洗い物を始めます。蛇口から勢いよくお湯が出るのを確認すると、僕はリビングに戻ってテレビを観るのです。
洗い物を終えた母は、すぐにタンスの中から着替えを取り出し、僕のお風呂に備えます。いつからか出来てしまったローテーションです。
15分後。時計を確認した僕は、母の出した着替えを手に持ち、お風呂場へと向かいます。母の姿も気になりますが、それがいつもの行動なのです。
脱衣室で汚れた作業着を脱ぎ、下着姿にまでなります。ここが、最後のチャンスでした。昨夜、僕が満足をさせた女性に声を掛けるのか迷いました。
しかし、声を掛けることは出来ず、いつも通りの入浴となるのです。
肩まで浴槽に浸かり、仕事の疲れを取ります。多めに入れたバスクリンが、お湯をオレンジ色に染めています。
ここでも、思うのは母のことでした。一緒に風呂に入ろうとした魂胆などすでに消えていて、頭はもう今夜のことを考え始めています。
『今夜もするのか?』『どうやって誘えばいいのか?』『うまく出来るのか?』、そんなことばかり考えてしまうのです。
『ぬるいよ。入り。』、バスタオルで髪を乾かしながら、リビングにいた母に伝えます。父が亡くなってから、ずっとこうなのです。
母の返事は、『ありがと。入るわ。』でした。母の入浴は不定期で、遅くなればシャワーで済ませるタイプですが、この日は素直に入るようです。
母がタンスに向かい、着替えを取り出して、風呂場に向かいます。その顔が一瞬だけ見えました。僕には、『不安。』、母の顔からそう感じました。
普段通りを装っている母も、やはり今夜のことを考えているのかも知れません。
風呂場からは、シャワーが出される音が聞こえて来ます。洗面器で掛けられたお湯が床に落ち、大きな音を立てています。
何十年も聞いているはずのこの音も、今夜は聞き耳を立てるようにして聞いていました。昨日抱いた女性が、全裸で身体を洗っているのですから。
25分後。浴槽から大きな音がして、ドアノブが握られました。母が風呂場から出てくる時の音です。ドアが開き、静寂が訪れます。
そして脱衣室からは物音が聞こえ、同時に『フゥ~、』『ハァ~、』とため息をつきながら、母がバスタオルで身体を拭くのです。
しばらくして、扉が開くと、ピンク色のパジャマを着た母が現れます。しばらく買い換えていないのか、少し痛んだパジャマです。
まだ乾いていない頭にバスタオルを乗せ、『まだ勝ってる~?』と僕に聞き、最近弱い巨人軍の心配しています。
『ああ、坂本がホームラン打ったわ。』と伝えると、『やった~!』と言って喜ぶ母。
しかし、その後は素っ気なく自分の部屋に向かい、化粧台の前に座るのでした。
15分後、母が再びリビングに現れます。冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターを飲むようです。
顔を見ると、全体的にテカりを見せていて、クリームが塗られているのが分かります。今年47歳、ちゃんとアンチエージングは欠かしません。
おかげでなのでしょうか。同年代の女性と比べても、息子の僕が言うものなんですが、母は若いと思います。
これも僕が言うのも変ですが、それなりの顔立ちを母がしているからだろうと思います。髪型も吉瀬美智子をイメージしていて、あの短髪のまんま。
身体が大きい分、あのスリムな女優さんとは似付きませんが、『どの芸能人に似てる?』と聞かれれば、やはり『吉瀬美智子。』となってしまう母なのです。
台所にいた母が、リビングに入って来ます。手にはお皿に乗せた葡萄が持たれていて、『はい。』と僕に手渡されます。
夜食のフルーツは欠かさない母です。フルーツを食べながらの野球観戦となります。
リビングは、言い様のない雰囲気に支配をされていました。巨人軍の勝敗など、もうどうでもいいことです。
昨日のように、『母さんさぁ~…、』と口火を切れば言いのが分かっていても、それが出来ない今日でした。
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