もちろん、最初から母をそのような目で見ていた訳ではない。
母の身体もとい、巨大な尻に性的な興味を覚えたのは・・・・・・いつだろう・・・?
少なくとも、店の手伝いに出てから酷くなったのは確かだ・・・恐らく。
父の他界により、一人残された母を支えなければならないと、
純粋な気持ちで手伝いを名乗り出たまでは良かったが、
最初に経験した感情は、とてつもなく大きな後悔だった。
俺は始め、あの場が嫌で仕方なく、これほどの苦痛を抱くとは思いもしなかった。
母 「今日はお客さんが何時もより少ないから、部屋に戻ってていい」
と言われた日は、正直、大きな安堵があった。
顔を赤らめ、醜く顔を歪めながら、下品な笑いと、時折挟まれる自分の肉親のエロ談義と視姦の嵐。
裸電球の下、煙草の煙と中年男達の熱気が、狭い店内を濁すさま。
息子として、誰がそんなものを見聞きしたいと思うだろうか。
父と母が二人で店をやっていた時は、どうだったのだろうかと思いを馳せた事もあった。
しかし、父が他界することによって、メニューを変更せざるを得なくなり、さらに立ち飲みスタイルになっても
母 「どうなる事かと思ったけど客足が減らなくて助かったわ、常連さん達には感謝しないと」
という母の言葉を聞くと、客がこの店に来る目的は、
美しい母の豊満な肉体をつまみに、酒を飲む事なんだろうと思う。
常連客達に感謝しなければいけないのは分かってる。
そんな事は分かってる、あいつ等の金で俺達は飯食ってんだ。
だが心がついていかなかった。
(( 下衆が、気色悪い話しやがって、自分の嫁でマスかいてろオッサン、風俗にでも行けクソが ))
と何度思った事か。
俺にも気持ち悪いという感覚はあった・・・確実にあった。
ところが、毎日、店に出る中、
仕事から解放された後の中年達の、容赦ない性欲の捌け口のような視線と会話は、
まるで、目の前で豊満な母が幾人もの男達に、
汚されている様を見せ付けられているようで耐えがたく、
未熟なガキの俺にとって、正にそれは猛毒であり、守る術がなかった。
毎夜毎夜、店の手伝いに借り出される中で、母の豊満な肉体に対する強力な劣情を、
強制的に、徹底的に、何年にも渡り、植えつけられたと言っていい。
一番最初に母でセンズリした時の事は忘れもしない。
みぞおちに鉛が入ったような嫌悪感、苦しいほど呼吸が荒くなる。
母の100cm余裕超えの逞しい双臀に向ける肉欲視線、
お前もコイツらの仲間だと、まるでこちらの気持ちを嘲笑うかのように、
陰茎が別の意思をもったかのようにドクドクと脈打つ。
俺の気も知らず、忙しなく動く母の特大の肉尻は、
無遠慮にユサユサと男達の目の前で揺さぶり踊っている。
ネットのエロ動画では決して得られない生々しい質量ある色気。
エロがこれほど苦しいものだとは・・・頭が割れそうだった。
麻薬を求めるようにお店のトイレや自室に駆け込む。
さっきの場面を元に、自分の顔の前で、
巨大な生肉尻をユサユサさせる母をイメージで作り上げる。
そして挑発的な笑みを此方に向け「いいのよ」と柔らかい声で囁きかける妄想の中の母。
「ぉおお・・・」と咽ぶような声を漏らしながら深い双臀の谷間に顔を埋める自分をイメージ。
我慢する間もなく「うぐぅ・・・っ!!!」と食いしばりながら果てる。
胸の苦しみはそれでも消えず、いきり立ち続ける陰茎。
自身と男達の性欲に敗北したような気持ち。
犯されるってこんな気持ちだろうかと思った・・・異常な肉欲の昂ぶりの中、
「最悪だクソッタレが」と顔をしかめた。
母に対する、愛憎が入り混じったあの気持ちは今も消えない。
母 「ちょっと充!充ってば」
横で洗い物をしていた母の呼びかけに我に返る。
俺 「あ、ああ・・・何?」
母 「何じゃないわアンタ、こっちが聞いてるの
さっきからずっと呼んでるのにボーっとして、なに?」
心配よりも苛立ちが強めの口ぶり。
でも、コレに何度も助けられてる。
母と客、そして自分の事で、気持ちがしんどくなっていた所に、
キビキビとした、歯に衣着せぬ物言いは、本当に心強かった。
まあでも、母の臀部に欲情してましたなんて、正直に言えるはずもない。
俺 「さすがに疲れたよ」
と、当たりさわりの無い返事をする。
母 「そういう事は早く言いなさい、小さな子供じゃないんだからっ! 今すぐ部屋に戻りなさい」
俺 「ああ、そうさせてもらう、母さんも無理すんなよ」
と俺は、母さんの肩を叩きながら洗い場を後にした。
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