「京ちゃんが、あの子を殺すはずないわ・・・。それに別れてから何年も経っているんですよ。」
「俺だって、そう思いたい・・・。」
「疑ってるんですか!?」
八重が血相を変えた。
「信じてるさ!だが、今の状況はすべて京介が犯人だと言っているんだ。どう考えても犯人はあいつしかいないことになるんだよ。」
真理子の直接の死因は、鈍器のような堅いもので複数回、頭部を殴打されたことによるショック死であり、その凶器と思わしき大量の血液が付着した石からは京介の指紋が検出されている。
彼女の胸には、乳房付近に独特の十字模様が刻まれており、その犯行に使ったと思われるナイフも京介が持っていた。
加えて、被害者となった真理子と京介は顔見知りである。
元は恋人同士であったのだから、痴情のもつれによる犯行と動機付ければ、裁判官を納得させるなど容易いことで、これだけ物証もそろってしまったら検察が強気になるのは間違いなかった。
拘留期間など限度いっぱいに使わなくとも、京介は即座に起訴、逮捕されてしまうことになるだろう。
現職警察官の子弟であり、本人も黙秘していることから、今のところは捜査も慎重に進められているようだが、いつ起訴されてもおかしくはない状況にある。
そうなったら終わりだ。
検察がいったん起訴してしまえば、よほどの重要証拠でも出てこないかぎり、ひっくり返すのは難しい。
今までの警察官人生で、京太郎はそれを嫌と言うほど見てきた。
冤罪と思われる事件が、まったくなかったわけではないのだ。
「このままではあいつが犯人になってしまう。そのうち、お前の所にも警察は事情を聞きにやってくるだろう。だから、その前に確かめておきたい・・。いったい、夕べお前たちに何があった?お前のことと京介の事件は何か関係があるのか?いったい、どうしてこんなことになったんだ?お前も辛いだろうが、できるだけ詳しく話しを聞かせてくれ。それがあいつを助ける近道になるかもしれんのだ。頼む、八重・・。夕べのことを教えてくれ・・・。」
哀願するような京太郎の目が向けられていた。
それだけ、このひとも必死だということだ。
話せるものなら、すべて話してしまいたい。
あの子を助けるためなら、自分はどんな目に遭ってもかまわない。
それだけの覚悟はある。
でも、八重が真実をすべてさらけ出してしまったら、それは自分ばかりではなく京介を殺すことになる。
実の母親と情事を重ね、あまつさえ子供まで作ってそれを産ませるために暴行事件を利用した。
そんなことが世間にわかりでもしたら、それこそ京介の一生は破滅する。
社会的に抹殺されることは、生きたまま殺されるに等しい。
目の前にいる夫も無事では済まないだろう。
だからこそ京介は黙秘しているのであり、心の中では、いずれ京太郎や八重が助けてくれると信じているのかもしれない。
しかし、八方塞がりの立場に追い込まれて、八重は夫に告げるべき言葉が見つからなかった。
黙って俯いているだけの八重を、京太郎は羞恥による躊躇いと勘違いしたようだった。
「お前から言いづらいなら、俺が聞いていくことだけに応えてくれればいい。それでいいか?」
このままでは、どうにもならない。
いつまで経っても京介を助けることができなかった。
八重は、不肖ながらも頷いた。
「そうか・・では、まずひとつめだ。昨日はどこに行っていた?」
八重は重い口を開いた。
「昨日は・・、あなたに言われて病院へ行っていました・・・。」
「どこの病院だ?」
「○○にある産婦人科の病院です・・・。」
「○○の産婦人科?どうして、そんなところまで?それに腹が痛いんじゃなかったのか?」
「それは、あなたが勝手に思っていただけです。その・・下り物が増えてしまって、なかなか終わらないので、それを診てもらいに行っていました・・。」
妊娠の検査をしにいったなどと、口が裂けても言えるはずがない。
「どうしてここの近所じゃなかったんだ。産婦人科なら京介を産んだあそこがあっただろう?」
「それは・・・」
八重は必死に思考を巡らせた。
「京ちゃんにも用事があったので、ついでにと思い・・・」
「昨日、京介に会ったのか!?」
「はい・・」
「何時頃だ?」
「仕事が終わってからですから、7時過ぎ頃だったと思います・・・。」
これは立派な重要証言だ。
京太郎は、にわかに心が逸った。
「京介に用事とは、なんだったんだ?」
「それは・・たいしたことではなかったんですが、でも、病院でちょっと怖いことを言われてしまったものですから、それで、あの子に相談してみようかと思って・・」
「怖いこと?なにを言われたんだ?」
「あの・・子宮ガンの可能性があると先生から言われてしまって・・」
咄嗟に思いついた嘘だった。
「子宮ガン!?本当か!?」
「か、可能性です・・。もう一度検査してみなければ、はっきりとはわからない、と・・・。でも、なんだか怖くなってしまって、それであの子に相談しました。」
「電話に出なかった理由は?俺は何回もお前たちに電話をしたんだが、お前たちは電話に出なかった。その理由はなんだ?」
「申し訳ありません。ちょうど充電が切れてしまって、携帯は使えなかったんです。あなたに連絡しなければいけないとは思っていたんですが、突然にガンだと言われて、私もうろたえてしまってものですから・・・。京介にも電話をされたんですか?」
八重は少し考え込む振りをした。
「そう言えば・・・、あの子携帯電話を会社に忘れてきたと言ってました。そうです、思い出しました。私が急に呼び出したものだから、慌てて出てきたと。仕事を早めに切り上げてくれたんです。でも、おかげで携帯電話を忘れたと、あの子は言ってました。それで、あなたに電話することも忘れてしまったんです。」
電話に出なかった件は、あらかじめわかっていたから事前に想定していた。
訊ねられたら、そう答えようと最初から考えていた。
もっとも、今頃八重は精神に異常を来して口もきけない状態になっているはずだった。
だから、京太郎から追求を受けることもなかったはずだし、こんな言い訳を取り繕うこともなかった。
しかし、京介の逮捕という思わぬ事態になってしまい、そんなことも忘れていた。
京介のシナリオは狂いっぱなしである。
あの子も自分が逮捕されるなどとは、シナリオに一行も書いていなかったことだろう。
「そうか・・・」
納得したような顔ではなかった。
電話に出なかった理由としては苦しいのはわかっている。
公衆電話だってあるのだから、掛けようと思えばいつだって京太郎に連絡はできたはずだ。
しかし、それで押し通すしかなかった。
京介と強姦ごっこをやるために、わざと出なかったなどと言えるはずがない。
「電話の件は、それでいいとして・・・」
納得はしていないが、重要とは考えていないようだった。
夫が話しをつづけた。
「それで、お前たちは何を話したんだ?」
「特にたいしたことは・・・。あの子の顔を見て安心したかっただけなのかもしれません。あなたとの旅行が近かったですし、もし、ガンだったらどうしようと、京介に言いました。」
「その時の様子は?」
「特に変わったところはありませんでした。いつもの京介でしたよ」
一瞬、八重にナイフを突き立てようとしていた姿を思い出した。
あの子に、人殺しなんかできるはずがない・・・。
八重は目を伏せながら軽く首を振って、無理にその姿を打ち消した。
「どうした?」
「いえ・・なんでもありません・・あの、疲れているので、このあたりで勘弁してもらえませんか?」
これ以上追求されたら、どこでぼろが出るかわからない。
京太郎は渋い顔になった。
「八重、よく聞いてくれ・・。気持ちはわかるが、お前の話がとても重要になるんだ。近親者の証言は証拠として採用されないが捜査の方向を変えることはある。もし、お前が京介と一緒にいたという事実が証明できれば、少なからず、あいつの犯行ではないと考えてくれる捜査員も現れるかもしれない。そうなればあいつを出してやることだってできるんだ。もう少し、我慢してくれないか?」
頷くしかなかった。
「あいつとは、何時まで一緒にいた?」
「車の中で1時間ほど話してから、送ってもらいました。」
「ここへか?」
「いえ、・・・もう少し一人で考えたかったので、河川敷にある橋の袂で降ろしてもらいました・・。」
「何時頃だ?」
「10時ぐらいだったかと・・・」
京介の住む街から、自宅までは車で1時間半ほどかかる。
7時に待ち合わせをして、1時間ほど話し込み、それから京介の車でやって来たのなら、辻褄は合う。
真理子の遺体は、今日司法解剖される予定で検死の結果はまだわからかったが、死亡推定時間が10時前となれば京介にはアリバイがあることになる。
「それを証明できる者はいるか?」
八重は小さく首を横に振った。
「お前を降ろしてから、京介は?」
「家まで送らなくていいのかと心配していましたが、私が、平気だと応えたら、そのまま帰りました」
帰らなかったのだ。
あいつは何らかの理由があって、もう一度河川敷に戻ってきた。
なんのために?
10時頃といえば、京太郎がちょうど自宅に戻った頃である。
もう少し河川敷に残っていたら、京太郎は八重と出会っていたかもしれない。
そうすれば八重も・・・。
「それから?・・」
いよいよ聞きたくないことを聞かねばならなかった。
八重はしばらく押し黙っていた。
「言いたくないのはわかる。だが、教えてくれ・・・。そこで何があった?」
この時の京太郎は、京介のためというよりも、妻が何をされたかを知りたかったかもしれない。
それは妻を他人に汚された夫の心理だった。
「風に当たりながら歩道を歩いていたら・・急に口元を押さえられて、土手の下へと連れて行かれました。そこで・・・誰ともわからない人に乱暴されたんです・・。私の不注意です。申し訳ありませんでした・・・。」
八重は俯きながら、淡々とした口調でそれだけを短く応えた。
「顔は見たのか?」
「いえ、暗くてよくわかりませんでした・・・。でも、何か頭に被っていたように思います・・。」
「ひとりだったのか?」
「え?あ・・・はい。ひとりでした。」
「胸の傷は?」
「その時に、つけられました・・・」
応えながら、八重は夕べのことを思い出した。
『強姦魔は、襲った女の子の胸に傷をつけるんだ。だから、母さんの胸にも同じものを作るよ』
京介は、事も無げにそう言っていた。
『胸に傷?どうして?・・。それにあなたがなぜ、そんなことを?』
『父さんが教えてくれたんだ。酔っていたから口が軽くなってたんだろう。強姦魔は襲った記念に女の子の胸に十字架を刻むんだそうだ。だから、母さんの胸にも同じように十字架があれば、きっと父さんは河川敷の強姦魔にやられたと思い込んでくれる』
『そんなにうまくいくかしら・・・。それに怖いわよ。胸を切るんでしょう?・・・』
『大丈夫だよ。痛くなんかしないから。俺の赤ちゃんを産んでくれるんだろう?それに、胸に傷ができたって俺が承知してるんだから問題なんかないさ。ずっと母さんを可愛がってあげるよ。胸の傷も早く治るようにいっぱい舐めてあげる。だから、ね。ちょっとだけ痛いのを我慢してくれよ』
そう言って京介は拝むように頼んでいた。
ズボンから飛び出していたものを手のひらに握りながら、それが欲しいばかりに渋々だったけれど頷いてしまっていた。
これで、この子の赤ちゃんが産めるかもしれないと思ったら、覚悟もできた。
急に襲われたときは、顔も隠していたし、雰囲気が京介ではなかったから本物が出たのかと思い、震え上がったりもしたけれど、胸を切っているときに浅く傷をつけようとしていることに気付いて、やっぱり京介だとわかった。
京介はひどく興奮していて、ナイフの刃先をじわじわと八重の肌に滑らせながら、膣の中にある肉塊を異常なほど大きくさせていた。
今にも射精しそうなほどビクビクと跳ねさせ、その大きさに八重は歯を食いしばって堪えていたものだ。
世の中には自分を傷つけて陶酔感を得るひとがいる。
若い女の子がリストカットなどしてしまうのも陶酔を得て、崩れそうになる精神のバランスを保とうとするからだと何かの本を読んで知っていた。
京介は、自分ではなく他人を傷つけて興奮するタイプなのかもしれない。
淫虐な性交を好む子だった。
あの子は楽しみながら、八重の胸に戦果の烙印を刻んでいたように思う。
ふと、そのとき頭の中に何かが浮かんだ。
違う・・・。
何かが違う・・・。
模糊とした意識が、八重に何かを思い出させようとしていた。
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