事件のあらましを話せばこうなる。
河川敷の堤防は、頂部に車両が進入できるほどの大きな遊歩道があり、その遊歩道を挟んで河の反対側は雑然と一軒家の建ち並ぶ住宅街が広がっている。
夜中に突然湧いた女の悲鳴に、そのうちの一件が通報したのは深夜零時近くのことだった。
通報を受けて、直ちに付近を警ら中だったバトカーに連絡がなされ、もっとも近い位置にいたパトカーが現場に到着したとき、遊歩道にはリフトアップされた背の高いサーフがエンジンを掛けた状態で停車していた。
乗員はいなかった。
機捜員たちは不審車両とみなして、すぐさま署に連絡を入れ、乗員を見つけるべく下車して付近の捜索を開始した。
捜索開始直後に、まず遊歩道を下りて10メートルほど進んだ河原から女の遺体が発見され、つづいて藪の中を逃げていく男の後ろ姿が目撃された。
それが京介だった。
京介は、葦の薮の中に身を隠していたらしい。
警官たちが女の遺体を発見して、にわかに慌ただしくなった隙に逃げようとしたらしく、そこを目撃され、追いかけてきた機捜員たちに車に乗り込もうとしたところを捕らえられた。
拘束当初は、俺は関係ない、と容疑を強く否認していた京介だが、署に連行されてからは黙秘に徹しているという。
もっともまずかったのは、彼がナイフを所持していた点だ。
殺された女の胸には、致命傷とはいかないまでも鋭利な刃物でつけたと思われる大きな傷があった。
あの「河川敷の強姦魔」が犯行の記念として犠牲者たちに刻んでいたクロスの十字模様である。
その十字を刻んだと思われる京介が所持していたナイフからはルミノール反応が検出され、血液型が被害者女性と一致している。
加えてまずいことに、今回殺された女と京介は面識があった。
「誰、だったの?・・・」
状況を説明する京太郎に、八重が不安げな顔で尋ねた。
二人は仏間に戻っていた。
八重は敷かれた布団の上に正座をして、胡座をかいて畳の上に座る京太郎に向き合っている。
「矢野真理子だ・・・」
京太郎の声が重い。
「やの・・まりこ?・・・」
夫が苦渋の表情で告げた女の名を八重は思い出した。
「もしかして・・あの真理・・ちゃん?」
八重の顔色が変わった。
矢野真理子は、京介が大学生の頃に付き合っていた彼女だ。
男のわりには綺麗な顔をしていた京介は、それなりにもてて学生の頃は、度々女の子を家に連れてきたことがあった。
京介の性格なのか、それとも女の子が奪い合いをするのか、とにかく家を訪れる女の子の顔は頻繁に変わって八重は呆れもしていたが、大学に入ってからは、ひとりの女の子だけがよく遊びにくるようになり、それが矢野真理子だった。
おとなしい性格で、顔も可愛らしく、どこか守ってあげたくなるような印象が強い真理子を京介はとても気に入っていたようで、大学生活のほとんどを彼女だけとしか付き合わなかったから、もしかしたら京介はこの女の子と結婚をするのではないか、などと八重は思ったりしたものである。
その真理子は京介が就職をした頃から、ぴたりと家に来なくなり、いつの間にか八重の記憶からも存在が消えかかっていた。
あの殺されていた女のひとが、真理ちゃんだったなんて・・・。
ぎろり、と目を剥いた女の顔を思い出した。
「ど、どうして・・真理ちゃんが・・・」
途端に吐き気が込み上げてきて、それを抑えるのに苦労した。
あの女と真理子の顔が、どうしても八重の中で繋がらない。
月明かりに照らされただけでしかなかったが、わずかな光の中で見た彼女の服はだいぶ派手であったように思う。
質素ではなかったが、あの頃の真理子はいつも可愛らしい服を好んで着ていた。
それが似合ってもいたし、ストレートの髪を肩ほどまでしか伸ばしていなかった彼女は、清純といったイメージしか浮かばない女の子だった。
家庭的だった彼女とは一緒に台所に立ったこともあり、いつも真理子は愛らしい笑顔を見せながら、八重の隣で京介たちに振る舞う料理を楽しそうに作っていた。
娘がいたらこんな生活になったのだろうかと、八重も嬉しくなったものである。
藪に転がっていた女は、きつめのウェーブが掛かった長い髪を扇状に広げていた。
どうしても真理子とは、印象が結びつかない。
八重が彼女に気付いたのは、首のあたりにこれ見よがしな大きなネックレスを幾つも掛けていたからだ。
月明かりの下で輝いていた長いネックレスたちは、大きくはだけられた白い胸に刻まれる×印を彩るように首から掛けられていた。
八重と同じように、意図的に刻まれた十字模様であることはあきらかだった。
彼女が真理子だったなんて・・・。
「詳しいことは、まだわからん。だが、あの子が殺されたことだけは確かだ。そして京介が・・・その犯人にされようとしている・・・。」
京太郎の顔にも苦渋の色が濃かった。
しばらく京太郎は俯いて黙り込んでいた。
彼が俯く理由は二つあった。
ひとつはもちろん一人息子の身を案じてのことだが、もうひとつには、京太郎自身も真理子をとても可愛がっていたからだ。
男の子しかいなかった京太郎たちにとって、性格がよくて可愛らしい真理子は、家の中に華やかさをもたらす愛らしい存在だった。
真理子のほうもすっかり打ち解けてくれて、彼女が家に来るといつも朗らかな笑いが絶えなかったものである。
彼女との付き合いが長くなっていくと、京太郎は真理子を実の娘のように可愛がるようになり、彼女がうちに遊びに来るときは、いつも上機嫌になっていたものだ。
その真理子が殺された。
複雑な想いがあると思う。
真理子は、京介と同学年で一緒に大学を卒業し、それからは、これといった職業に就くこともなく家事手伝いとしてアルバイトなどをしていたはずだが、京介が県外に出てしまってからは、うちに遊びに来ることもほとんどなくなり、就職から1年も経った頃に別れたことを京介から聞かされ、それを八重が京太郎に教えてやると、彼はあからさまにがっかりとした表情を浮かべて肩を落としていたものだ。
可愛がっていた真理子なだけに、京太郎には彼女の死も辛いのだろう。
ましてや、その犯人として息子が疑われている。
やるせない気持ちになるのも無理はなかった。
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