旅に出て喜美子は心が解放された気分になっていた。
それはと言うのは、絶えずそばにいる夫の存在でも有る。
俊夫との事は悔いていないが、胸を張って言える事でもない。
胸の奥底にしまい、秘匿する事は正直辛いものだ。その思いを日々感じてい
たが、
今日ばかりはその事を気にする必要もなかった。
お互いの気持ちを理解しあった二人だ。
肩の力を抜いて、本能のままに動ける事に歓びを感じている喜美子だ。
俊夫との一戦を終え、喜美子は晴れ晴れとした顔をしていた。
「ねえ、食事の前に夜の海を見に行かない?」
喜美子は俊夫を外へ誘った。
二人は腕を組んで、海岸通りから、浜辺へと降りて行った。
海からの風が心地よく喜美子の顔をなぜる。
先程までの行っていた交わりの余韻が、喜美子のその下半身に残っていた。
その感覚が、息子俊夫を強く意識させる。
(彼と先程まで愛し合っていたのだ・・、まるで夢の様なひと時だった。)
浜辺を歩きながら、そんな事を考えている喜美子に、
「母さん・・、本当に産んでくれるの?」
俊夫は足を止めると、喜美子に向かってそう話しかけた。
喜美子は同じ様に俊夫に向いて、頷いた。
「彼方の子が欲しいの。」
喜美子はそう言って、俊夫の胸に飛び込んだ。
「喜美子」
俊夫は喜美子の身体を抱きしめた。
「もう私は彼方のものよ、彼方だけのもの。」
二人は自分達の行く先をその時見定めていた。
長い接吻を交す二人を、沈みゆく夕日が照らし出していた。
二人の長い夜が始まろうとしている。
二組の夜具が、寄り添う様に敷かれていた。
夫婦と言う事で、宿の人が、気を利かせて敷いてくれたのだろう。
窓際に置かれた椅子に、二人は向かい合う様に座っていた。
それぞれの思いは同じだが、今はその瞬間を味わっている様だ。
浴衣着に着替えた喜美子は、心持胸元が開いていた。
「喜美子、来なよ。」
俊夫が喜美子を手招いた。
喜美子は、黙って席を立つと、そのまま俊夫の膝の上に腰を下ろし、その身
体を預けた。
言葉を交す事なく、その唇を合わせた。
喜美子が顔を少し横に向け、俊夫に合わせる感じだ。
「映っている・・。」
二人の姿がまるで鏡の様に、窓ガラスに投影されていた。
俊夫の膝に腰掛けた喜美子の姿が、そのままに。
「本当だ、鏡みたいだね。」
「前に行ったラブホテルみたい。」
喜美子は、初めてラブホテルを利用した時の事を思いだした様だ。
<影法師>
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