母の病が癒えて、満州へ帰ってからもいろいろな事がありました。
そして終戦でしたが、父が医師であったので、一般の人のようにすぐ帰国
させて貰えずに、私12歳、1947年に帰国しました。
4年ぶりに見た祖母は54歳になっているのですが、以前と全く変わって
なく、若く瑞々しいのです。
また私を優しく舐めてくれた伯母も同じで、若々しいのです。
祖母のオマンコで近親姦淫のスイッチをONにされている私は、祖母、伯
母共にオマンコをしたい女として見たのです。
その後の私は、同年のいとこともオマンコの仲になり、娘紗羅羅をもう
け、さらには40代になって禁断の姦淫の極致、知らなかったとはいえ、実
の娘紗羅羅のオマンコを7年間も愛し続けたのです。
彼女達も私を単に血のつながった一族の者という視線ではなく、女として
特別に興味のある男として視ていたそうで、ちょっとしたきっかけですぐ、
近親姦淫の仲になったのです。
また近親姦淫の仲になった彼女達を思い返してみると、自ら積極的に近づ
いて来たので、近親姦淫を求めたのは、父、母、祖母の3家の中で私だけが
例外ではなく、父方、母方双方の系譜にそのDNAがあったとしか考えられ
ないのです。
3家から、そのDNAを色濃く受け継いでいたのが私でした。
50代までは近親姦淫の女たち、2~3人が存在しました。
その関係も1親等から4親等まで、多岐に亘るのです。
祖母 春 伯母 サト いとこ 玲子 娘 紗羅羅 です。
話は少々飛んでしまいますが、伯母サトは家の都合で望まない結婚をさせ
られ、その夫を蛇蝎のごとく嫌って、夫婦生活はないに等しかったのです。
帰国後は高い頻度でその伯母の家を訪れ、2階で寝転びながら本を読む習
慣でした。
伯母も新聞を持って来て、並んで寝転ぶのです。
そしてその記事の事を話し合ったりしていたのですが、その後はふざけて
抱き合ったり、脚を絡ませ合ったりしてました。
《世界で一番好きなのは サト伯母さんだよ》
《わたしも あなたが一番好き~》
ある日ひとしきりじゃれあった後でした。
無言で頬と頬をつけ、しっかりと抱き合ったのです。
これからの展開に言葉は要らないのです。
ついにその時が訪れたのです。
伯母と私は念願の女と男になるのです。
抱き締められた伯母は体を火照らせ、息遣いが速くなるのです。
《ああ~》小声で呻きながらしがみ付いてくるのです。
彼女の下着に手を入れ、豊かなお尻を撫でて上げるのです。
汗ばんだ素肌の足を絡ませた彼女は、一層強くしがみ付いてくるのです。
彼女は上半身までも汗ばみ、あやしげな気分になり声を上げるのです
その艶めいた声に私の近親姦淫DNAが急速に励起され、彼女の頬を挟ん
で、唇に舌を入れ、口を吸ってあげたのです。
彼女は初めての経験で、何が起きたのか分からずに放心の様でした。
下着を下ろし、オマンコを弄り、弩張したマラを握らせたのです。
純真な伯母は感電したようにビクッツとするのです。
《ああ~っつ 大きい~ 怖い~》
《サトさん だいじょうぶだからね任せるんだよ その日が来たのだよ》
《ああ~ お願い》彼女は夢中で何をお願いしてるのかが分かっていない
のです。
弄っているオマンコの中ほどに障害物があり、若しやと思いました。
その翌日彼女を全裸にして、口を吸い、オマンコを弄りながら、
《サトさん これから男と女になるんだよ》
《ああ~ 嬉しい 好きなようにして~ 可愛がってね~》
伯母のオマンコに、弩張仕切った太いまらをはめたのです。
《ひぃ~っつ 痛だ~ あなたっつ 痛だいっつ 救すけて~》
若しやはその通りだったのです。伯母は処女だったのです。
《嬉しいよ~ サトさんは処女だったんだよ》
《え~っつ あなたに処女を上げられたのぅ~ ああ~っつ》
それを知った伯母は泣いて喜ぶのです。
その瞬間に、伯母は私をオマンコでも愛する女になったのです。
私が学業を終え就職、20代後半に東京で体を病み、半年ほど入院した事
があったのですが、隔日にいとこの玲子、週に1回伯母サト、それと隣の家
の未亡人澤田京子とその娘が見舞いに来るのです。
入院中に囲碁の仲間が5,6人居たのですが、皆羨ましがるのです。
伯母は母親、京子は叔母、いとこはそのままいとこと紹介してたのです
が、おそらく誰もそれを信用しなかったでしょう。
見舞いに来た女たち全員が、私の側でニャンニャンしてるのですからね~
彼女達の帰りを送りがてら、旅館へ行き可愛がってあげるので、私に会っ
てる時は前戯みたいなものですから、べたべたしていました。
いとこの玲子は大胆で、自分の夫がその病院に勤務医師で居るのに、全く
問題にもしませんでした。 次に続く
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