祖母はオマンコにまだ太いままのマラをはめたままで、ゆっくり、しかも
妖しげに揺らせ続けるのです。
7,8分もそのような愛撫を続けているうちにまたもや淫猥な気をもよし
て、しっかりと抱き締め、息も出来ないほどに強く口を吸いながら、妖しげ
な呻き声を上げ、腰の動きが速くなってくるのです。
《ああ~っつ リン様! あなたっつ オマンコは好い! 好きよ! 愛
してるの! ああ~っつ 堪忍して 春はイキますっつ だめっつ イク!
ウググワ~ッツ》
どすんという表現がぴったりのように、イクのです。
それからの祖母は淫猥な気を催すと、昼夜を問わず、私を自分の寝室に連
れ込んで、はめるようになったのです。
祖母50歳は孫8歳と、連日連夜オマンコに耽るのです。
しかしオマンコの時以外の祖母は、相も変わらずに怖い女でした。
呼ぶ時もリン!!リン!!と呼び捨てで、オマンコでのリン様の欠片もあ
りません。
オマンコでの優しい女神が、それ以外ではうって変わり、夜叉になってし
まうのです。
初めの頃は気持ち好さと同じくらい怖かったのですが、慣れというのは恐
ろしいもので、怖い彼女には違いないのですが、気持ち好さが怖さに勝るよ
うになったのでしょうか、苛められながらも、祖母とのオマンコを期待する
ようになったのです。
それにしても私のマラは8才ながら彼女の狂ったような激しい腰使いのオ
マンコに応える事が出来たのですから、相当な大きさだったのでしょうね~
普通の8歳の子供であれば、到底オマンコで使い物になるはずがありませ
んし、また祖母は使用に耐えると見たから、オマンコにはめたのでしょう。
当時の私はオマンコの天国と、暴力の地獄を行ったり来たりしている状態
でした。
その1年の余、異常な状態に置かれて、近親姦淫に対して、余人とは異な
った感覚が植えつけられた、というよりもスイッチONされたと言った方が
適切かもしれません。
私のDNAには近親姦淫を容認、または積極的に求める因子が存在し、祖
母から近親姦淫の強制という外部因子の埋め込みがトリガーとなり、年を経
るにつれて、活動が活発になったのではと考えるのです。
やがて母の病も癒え、父の待つ満州へ帰りました。
帰る5日ほど前に、母の実家へ移ったのですが、その前の2日間は睡眠も
満足に取れないほど、祖母とオマンコ漬けでした。
鬼の目にも涙、適切な表現ではないかもしれませんが、その2日間の祖母
は泣きながらオマンコをするのです。
《リン様 好きなのよ 愛してる あなたが居なくなると 生きてゆけな
いわ オマンコが寂しくなるわ どうしてわたしから逃げるの? 行かない
で! 》
その翌日に私を引き取りにきた伯母は、睡眠不足で憔悴しきった私を見
て、驚くのです。
私を離す直前に、ひどい苛めをされたと思ったそうです。
苛めは苛めでも、優しくなった祖母のオマンコで虐められたのですから、
私は大満足だったのですが、伯母にそれは話せません。
怖くて、優しくて、痛くて、気持ち好かった祖母との1年余のオマンコ生
活にもピリオドが来たのです。
祖母とのオマンコはそれが最後と思っていましたが・・・・ 次に続く
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