私に女にされた伯母里子は、急速に淫爛な女になったのです。
彼女の乳首を舐めて、吸って、そして優しく咬んであげると、身悶えして
気持ち好がるのです。
そして濡め濡めになっているオマンコを執拗に舐めてあげるのです。
オマンコからは、淫液がとめどなく溢れ出してくるのです。
家の都合で結婚させられた彼女は、亭主を嫌悪し2年間も同衾を拒絶して
いたのですが、ある夜の睡眠中に穢されてしまったと言うのです。
しかし私との初めてのオマンコで、私の弩張した太いマラをはめられたオ
マンコからは大量の出血があり、彼女の処女幕は完全に健在でした。
その穢された時の状況、亭主の性器などを詳しく聞いてみると、亭主の小
さいチンポコは、彼女の太ももの辺りをちょろちょろしていて、間もなく射
精してしまったのでした。
当然に、痛みも何も感じなかったと言います。
オマンコへの挿入すら出来ずに、太ももですからお笑いですね。
昔の女郎が太ももに射精させるのを、【素股】と言いますが、図らずもそ
うなったのです。
亭主は箸にも棒にもならない、スットコドッコイなのです。
極短小、極細、極早漏、真性包茎あげくは勃起不全で、どうにもならない
男でした。
結婚以来セックスの回数も、数えられるほどだったと言います。
その行為も最初と同じで、太ももに触れるとすぐ射精、気持ち悪くて仕方
なく、直後には風呂場へ行き、ごしごし洗ったそうです。
早漏をコケコッコーと言いますが、スットコドッコイの場合は、コケッツ
なのです。
不完全オマンコの時間は、10秒足らずだったそうです。
伯母が処女だったのは、幸いで甥の私が女にしたのです。
《あなたにわたしの処女を上げられて 好かった~ やっと大好きなあな
たに女にして貰い こんなに可愛がって貰えるなんて 夢見たい 私の全て
があなたのものよ~ あなた~ん 太いマラオマンコの中いっぱ~い》
彼女のムチムチプリンの肉体、乳房、お腹、太もも、腰、お尻どれひとつ
とって見ても、素晴らしいの一言なのです。
彼女が言うには、私たちは甥と伯母でありながら、生まれた時からマラと
オマンコで愛し合う事が、天の定めで決まっていたなどと言うのです。
12歳の甥の私に添えて、嬉しいというのです。
昔で例えてみると、将軍義政と今参りの局か?
その頃の私は、日中は性に対しての知識が足りない伯母に、教えながらの
オマンコ、夜は隣の未亡人京子とのオマンコ、時には祖母とはめたりでし
た。
当時、13歳の私は、毎日のように3人の女たちと、オマンコに明け暮れ
ていたのです。 次に続く
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