愛する彼は6年生 その10
彼との秘密の出来事があった日から数週間後に、息子が久し振りに彼を連れて家へやって来ました。
「今日はやっちゃんも一緒だよ」
息子らは、何やら楽しそうな会話をしながら二階へと上がって行きます。
彼は
やっちゃん「お久しぶりです」
と一言だけ言って会釈をした。
私も
「久し振りね。元気だった?」
などと相打ちを打って彼を迎えた。
私と彼は目を合わせなかった。
いや、私が意識的にそうしたのかもしれません。
私には負い目がありました。
彼を半ば強引に、性の対象としてしまったからです。
ひょっとしたら、彼にも何かしらの理由があったのかもしれませんが。
とにかく、彼と会えたのはそれが最後の機会になってしまいました。
彼にお礼を言うべきか、はたまた謝らなければならなかったのか。
今となっては、到底分かり様も無いことです。
そしてその後、息子の悟から聞いた話では、彼は私立大学附属の中学校を受験したそうです。
彼の能力でしたら、先ず間違いなく合格する事でしょう。
案の定、彼は試験を通って、この春から息子とは違う道を歩む事になりました。
息子と彼の接点も、多分少なくなって行く事でしょう。
私は寂しさと安ど感の両方を感じていました。
女の、ずるい感情だったのかもしれません。
それから6年が経ったある日の事です。
今日は息子の大事な日です。
大学受験の合格発表があるのです。
私は合否の連絡を待っていると、外から賑やかな声が聞こえて来ます。
私は、何事かと玄関まで行くと、そこには息子と彼が立っていました。
そう、あのやっちゃんです。
やっちゃん「あっ、おばさん! お久しぶりです!」
彼は大きく成長をしていました。
背も、そして声の張りも。
でも間違いなく、あの、やっちゃんです。
悟「母さん、こいつ凄いよ!」
「あの、○○大に入ったんだよ!」
やっちゃん「いや~、ただのエレベーターだからね」
悟「そんな事はないよ、お前の実力だよ」
やっちゃん「それより、お前こそやったじゃん!」
「国立の○○大だもんなぁ~」
悟「いや~、結構ヤバかったんだよね」
「マジでギリギリ!」
まあまあと、私は二人を居間へ上げた。
「やっちゃん、大きくなったね」
と私が言うと
やっちゃん「改めまして、お久し振りです!」
と彼が丁寧に挨拶をしてくれた。
「い~え~、こちらこそ」
と私も彼に返す。
彼は本当に大人になった。
背の高さだけではない、生き生きとした雰囲気。
勢いのある若さを感じました。
「ど~ぞ!」
私は彼らにお茶を出しました。
すると彼が、何やら紙袋から品物を取り出した。
見覚えのある目覚まし時計です。
やっちゃん「あの、随分と時間が掛かっちゃいました」
「はい、これ!」
と言って彼が手渡してくれたのは、あの壊れた目覚まし時計だったんです。
「これって?・・あの?」
やっちゃん「はい、あの時のです」
「えっ? あんなに前の?」
「これ、直ったの?」
やっちゃん「はい、何とか、直しました」
「部品が無くて大変でした」
彼は本当に直してくれた。
あの、時計を。
やっちゃん「おばさん、もう、忘れちゃったかな~って」
「結構、ビクビクものでした(笑)」
「そんな、 忘れる訳・・ないよ」
やっちゃん「遅くなってごめんなさい」
悟「何それ? お母さんの目覚まし?」
「そう!」
「わたしの、・・」
やっちゃん「本当は、もっと早くお渡し出来れば良かったんですけど」
「遅くなっちゃいました」
「あ、りがとう」
やっちゃん「そんな、大したことじゃないです」
私は胸がいっぱいになりました。
あの時計が時を刻んでいます。
正確に。
少しの狂いもなく。
「やっちゃん、約束、守ってくれた」
この瞬間から私の止まっていた時が動き出したのかもしれません。
彼が彼への負い目から救ってくれた。
私はこぼれる涙を止め様がありませんでした。
悟「何?お母さん、大げさだよ!」
「あっ、うんっ、そうだよね。ごめん」
彼は黙って、微笑んで、私を見ていました。
彼は大学を卒業したら、何やら難しい名前の鉄道の研究所に就職したいと言っていました。
息子は、新幹線の運転士になりたいと、いつも言っています。
やっちゃん「いつか、僕の造った新幹線を悟が運転するかもね!」
悟「ちゃんとしたヤツ、造ってくれよ!」
二人には夢がある様です。
楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。
そして彼が帰り際に言いました。
やっちゃん「あの、あの時が僕を救ってくれました」
「あれがなければ・・・」
彼は私の近くまで来て
やっちゃん「ありがとうございました。 真理奈さん!」
彼は小さな声で私に云った。
私は確かに聞きました。
「ま、りな・・・」
今日はあの日の様な、良い天気でした。
おわります
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