私が生まれて1年後、義理の弟・狗道一郎は生まれた。この時、祖父母のハルと一郎太、両親のサキと太一、紘子、私、一郎は秘密の家族写真を撮った。一郎の名付け親は祖父と太一だった。理由は一郎の代で終わらせるという願いとそれが叶わなくても生きてほしいという願いを込めてだ。ちなみに私の名付け親は祖母とサキだ。1枚しかない秘密の家族写真はサキが厳重に隠した。
私は狗道家と夜戸家の屋敷に住み、一郎は少し離れたところにある太一と紘子の家に住んだ。
私と一郎はサキと太一が結ばれた時のように物心がついた10代後半になったときに再会する事を約束させられた。
といっても一郎自身はその日まで何も知らされず、銭湯の息子として過ごし、私も自分の初めては一郎に捧げられる自身はなかった。
結果としてその自身は持たなくてよかったと思う出来事があった。正直、それに後悔がないと言えば槌になるが。
私は太一を父さんと呼ばず、「太一さん」と呼んでいたが、私にとってはこれが父の呼び名でもあった。祖父に関しては一朗太様と呼んでいる。私は週に一度の楽しみとして決まった曜日に銭湯に寄っていた。最初に来たのは保育園児の頃で祖母も母も一緒だった。
一郎は小学生になったとき、父親の仕事の手伝いとして銭湯の掃除もさせられていたが、彼と会うことはなかった。おそらく祖父と太一が意図的に会わないよう、掃除する曜日をずらしていたのだろう。
番台は太一さんだった。太一さんとは親子として一緒にお風呂に入るということはなかったが、5歳の頃、脱衣所で初めても私も父に裸を見せた。その時は祖母も母も一緒に裸だったので祖母とのあんな思い出がある太一さんは複雑だったに違いない。
それから私は毎週、行くようになった。それが私なりのスキンシップでもあった。私の身体は次第に少女から大人の女になりはじめ、太一さんにその過程を見せつけた。小学校高学年から胸が膨らみ、腹が括れ、お尻が丸みを帯びていく様子も、女子中学生になると毛も生えはじめ、腰もより括れ、お尻に続いて膨らんだ胸が丸みを帯びていく様子も、そして私のアソコに・・・
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