マニアックな人々
◯スカトロ未満な人々
夜明け直前の街道は、どこか現実味を欠いたの紫色の静寂に包まれている。配送トラックの運転席から眺めるアスファルトは、私の孤独をどこまでも引き延ばす滑走路のようだった。
「……っ、う、あ……」
突如、下腹部を突き上げるような鋭い鈍痛が、嫌がらせのようにポエミーな私の思考を阻害する。
あたしは香菜。二十九歳のトラックドライバーだ。童顔に似合わない大型免許を持つ私の、この日の運命は、あまりに無慈悲な便意によって急転した。
冷や汗が額から滲み、ダークブラウンのショートボブがじっとりと首筋に張り付く。ややぽっちゃりとしたあたしの体躯が、シートの上で小刻みに震えた。
「くぅ…腹痛い…あと五分、いや三分…」
ルームミラーに映るあたしの顔は血の気が引いて白く強張り、内臓がわななき、直腸の出口付近で「それ」が今にも門を抉り開けようと猛っている。あたしは全身を震わせながら、必死の思いで運転を続け、なんとか最寄りのパーキングへと滑り込んだ。
エンジンを切るのももどかしく、私は運転席から飛び降り、女子トイレの入り口へ向かって全力で駆け寄ったものの、私の目に飛び込んできたのは、あまりにも無情な『清掃中』の看板だった。
「マジかあ…っ!」
最悪のタイミングで訪れた悲劇に、肛門も悲鳴を上げている。括約筋の限界はとうに過ぎ、ヒクヒクと痙攣していた。
最早、一秒の猶予もない。私は周囲を見渡した。幸い、まだ午前四時を回ったばかり。人影はない。
あたしは、まるで罪を犯すような背徳感に震えながら、隣の男子トイレへと飛び込み、一番奥の個室。重い扉を閉め、鍵をかけると、あたしは必死の形相でベルトを解いた。
「ん、んん…っ!ヤバい…出る…」
やっとの思いでカーゴパンツとショーツを下ろし、便座に腰を下ろした瞬間、張り詰めていた堤防が醜い音を立てながら決壊した。
ぶりっ…プスプス…
う……うぅ、ん……!
喉から漏れるのは、苦悶とも恍惚ともつかない吐息。私の内側に溜まった熱い塊が、肛門の粘膜を押し広げながら、ゆっくりと外の世界へと顔を出し始める。その感触はあまりに生々しい。
だが、『出したら終了』では終わらなかった。
「あーやべえやべえ!漏れる漏れる!」
「あはは、なんだよ、お前うんこかよ!」
静かだった男子トイレに、ドヤドヤという騒がしい足音と、若い男たちの話し声が雪崩込んできた。
あたしの血の気が再び引いた。肛門からは『腹痛の主原因』が⅓ほど顔を覗かせ、今まさにクライマックスを迎えようとしている。
彼らの乱入は最悪のタイミングだった。私は焦って、音を消そうと洗浄レバーを何度も捻る。
…カチッ。カチッ。
無機質な手応え。水が流れない。タンクに水が溜まっていないのか、あるいは故障か。
「あ…ああ、ぁ…」
絶望に打ち震える私を置き去りにして、括約筋は勝手に弛緩を始めた。止めることなど、もはや神にだって不可能だ。
ぶ、ぶり……っ。ぶりぶりぶり、っ!
静まり返った男子トイレに、私の卑猥な排泄音が響き渡る。限界を超えた肛門から、太い一本の『重量物』が飛び出し、便器の底へとしどけなく横たわる。
あまりに大きく、あまりに臭う。
狭い個室に充満する、自分自身の内臓の残り香。それはトラックのキャビンで嗅ぐ芳香剤とは対極にある、生き物の生々しい悪臭だった。
「…おい、今の聞いたか?」
「うわ、すげえ音。しかもこれ…臭えし」
扉の向こう、洗面台のあたりで男たちがひそひそと笑い、そして誰かが私の入っている個室の前に立った。
コン、コンッ。
「……っ!」
息が止まる。私は便座の上で、丸出しの股間を震わせながら固まった。
「おい、長くねーか? 腹壊してんのかよ」
「すいませーん、次、待ってるんですけどー」
コンコン、コンコンコン!
ノックの音が次第に苛立ちを帯びて強くなる。扉一枚向こうには、同年代か、少し若いくらいの男たちがいる。私は今、自分の生み出したばかりの、まだ湯気を立てているであろう「それ」を、流すことも隠すこともできずに見つめていた。
便器の底に沈む、太く、黒ずんだ、自身の排泄物。それは私の羞恥心を具現化したかのような醜悪さでそこにあった。
嫌な汗が全身を伝い、背中が冷え切る。逃げ場はない。謝るか? いや、声を出せば女だとバレる。男子トイレで、流れないウンコを残して立て籠もる女。明日にはネットの晒し者だ。
だが、ノックの音は止まない。ついにはドアを蹴るような振動まで伝わってきた。
「おい、まだ!?いい加減に出てこいよ!」
それはそうだろう。同じ状況であれば、あたしだって腹立たしいだろう。
万事休す。
あたしは覚悟を決めた。このままここに留まれば、通報されるか、扉を壊される。それならいっそ…。
私は震える手でパンティを引き上げ、カーゴパンツを履いた。ベルトを締める間も惜しみ、手すりを掴んで立ち上がる。便器の中の、あの惨状を振り返る勇気はなかった。
カチャリ。
あたしは、死刑台に向かう囚人の気分でドアの鍵をあける。扉を開けると、そこには怒気を孕んだ表情をした、茶髪の若者が立っていたが、彼は『個室の主』が女だと知ると呆気に取られ、理解が追いつかない視線を、私の足元、そして個室の中へと視線を走らせた。
「え、…女?なんで?」
「…えへへ、ごめんなさい。水…流れないみたいで…」
蚊の鳴くような声でそれだけを絞り出すと、あたしは彼の横をすり抜け、脱兎のごとく走り出した。
背後で、「うわっ、マジかよ、これ!」「え、ヤバ、めちゃくちゃ…」という悲鳴にも似た声が聞こえた気がした。
あたしは振り返らず、トラックのコックピットに逃げ帰った。激しく高鳴る鼓動。顔は火が出るほど熱い。ギヤを叩き込み、アクセルを踏み込む。
バックミラーに映るパーキングが遠ざかっていく。私は、自身の最もマニアックで、最も隠すべき部分を、あのアスファルトの片隅に置き去りにしてきたのだ。
朝日が昇り切った頃、あたしの頬には、屈辱と、そして何故か奇妙な開放感の入り混じった、熱い涙が伝っていた。
その後、あのパーキングには一度も行っていない
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