木材で魅せる趣のある駅舎を背に、長閑な景色に胸を踊らせる。真由美の生活エリアから電車で僅か1時間半で、こんな所に来られたことが不思議でならなかった。
東京の西部は同じ東京都とは思えない自然が身近に感じられ、少し歩くだけで国道沿いに流れる川を見下ろせる。
都会の喧騒から離れ、未だ昭和を色濃く想わせる建物がいくつも並ぶ前を通り過ぎ、胸に空気をいっぱい吸い込みながら歩みを進めていく。
少し残念なのは、雨が降っていることだろうか。
もしかしたら檜もあるかもしれないが、ほぼ杉ばかりと思われる濃い緑の山に霧がかかっている。
この地に行こうと思ったのはつい数日前のこと。
テレビの番組のロケをするのを観て、いいなぁと思ったのだ。週末にでもと夫を誘ったけれど、やれ釣りだのゴルフだの付き合いだのと、休日の夫は何だかんだと遊びに行きたいようなのだ。
息子たちも母親と出かける年齢ではなくなった。
幼い頃はあんなにくっついてきていたのに、成長していくことに嬉しさを感じつつも、一抹の寂しさを覚えてしまう。
一応は前の晩に仕込んだカレーを冷蔵庫に用意しておいた。夜までには帰るつもりだと家族には言い残し、真由美の日帰り温泉旅はこうしてはじまったのだ。
寒い時期は過ぎ去り、真由美はカーキ色のワンピースを身に着けつたいた。雨の中を傘を指して歩くので蒸し暑く感じると思ったのに、都会よりも数度は気温が低いのか、少し肌寒さを感じる。
通りを歩いていると何気ない路地に、看板が出ている事に気づいた。車で観光にとこの地にやって来る者は、駐車場もないこの店には気付かないのではないだろうか。鼻をくすぐる出汁の香りに誘われて、真由美は引き戸を開けて中へ足を踏み入れた。
古くから営業をしているであろう食堂らしく、壁には年季の入ったメニューが並んでいる。真由美は山菜蕎麦を注文し、出てきた湯気が立ち上る丼に割り箸を伸ばして口に運んだ。
啜るたびに濃い出汁が舌を楽しませ、色ややの濃い田舎蕎麦の旨味が口の中を豊かにしてくれる。
ホッとする味に身体を温められ、最後まで出汁を飲み干してしまった。
さあ目指す温泉はあと少しだと、傘を勢いよく広げた真由美は雨の中に足を踏み出した。
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