霞ヶ関に勤めていた頃は、通勤に地下鉄を利用していたものだった。一見可愛らしく見られることにコンプレックスを感じ、本人の気持ちとは裏腹に三十を過ぎても表情次第で20代に間違われるほど、年齢不詳に見られるのも珍しくはなかった。
そのために痴漢の被害は跡を絶たず、その度に哀れ、痴漢はゆき子の手で連行となる。今日も同伴出勤か?……などと苦笑する上司の顔はもはや日常と化していた。最初の頃はゆき子に想いを寄せる同僚も密かにいたけれど、彼女の本性を知るやいなや誰もが身を引いた。
柔道を得意とするゆき子は痴漢を連行する際に、暴れて逃走を図ろうとする犯人を投げ飛ばし、自分よりも遥かに身体の大きい相手の動きを先ずは封じる。相手の利き腕を抱えて引き伸ばし、股に挟んで固定する。普通の相手なら腕を決められて身動きが出来なくなるものだが、怪力のある男だと50キロしかないゆき子の身体は、大した障害にはならないことがある。
軽量級のゆき子が得意とするのは寝技であり、スルリと身体を移動させて股で相手の首を締め上げる。頸動脈を圧迫すればどんな相手も数十秒で鈍くなり、血流が遮断され続けた相手はやがて失神する。後は背中に活を入れて目覚めさせ、隠語でいう本社に同伴出勤という流れになる。
綺麗な顔しているのに鼻血を流した屈強な相手を、まるで牛を引き連れて歩くようにするゆき子を何度も見せられては、さすがの同僚も苦笑いを浮かべるしかない。こうしてゆき子の婚期はまた一つ伸びていくのだった。
そんな職場に別れを告げた理由は、痴漢に苦しむ女性は水面下にまだまだ沢山いると肌で感じ、名乗り出られないでいると分かったからである。
ゆき子は民間の女性専用のセキュリティ会社を立ち上げ、こうして活動を開始したのは4年前である………。
立ち上げた当初は閑古鳥が鳴いていた会社だったけれど数件のストーカー事案を解決し、なかなか網に掛からなかった数件の痴漢を撃退していくと、女性からの依頼が殺到するようになった。
それに伴ってスタッフを増員し、ゆき子自らもわざわざ現場に出向くのだった。
ゆき子の身体は痴漢たちにとってはこれ以上なく魅力的であり、長い手足にとりっと上がったそのお尻、ジャケットの上からも分かる胸の盛り上がり、そして童顔でありながらも大人の女性の美しさを見せるすっきりとした顔。それら全てが痴漢をおびき寄せる良質の餌になる。依頼者の後ろにぴたりと立てば、ほぼ間違いなくお尻に手が触れてくるのである。
その手つきや手順、そのやり方から依頼者に付き纏う痴漢だと確信したゆき子は、憤りを抑えながら触らせ続けた。魚釣りに例えるならヒラメである。エサを飲み込むまで辛抱強く待つ必要があり、引く竿先を見詰め続けて最後に大きく竿が曲がった時が、エサを完全に飲み込んだ証となる。
強く合わせて竿を上げ、魚の口に釣り針を引っ掛けるのだ。
今はまだ相手に油断させなければならず、不本意ながら自由に触らせなければならない。この日のためにミニタイトスカートを身に着け、罠に掛かった痴漢の手がスカートの中でお尻から前側へと這い回る。女の共通の敵を知るために詳しく聞いていた通り、痴漢の技は巧みなものだった。
パンストの上からでも容赦なく指先を巧みに動かし、敏感な場所を捉えて動かしてくる。その甘い感覚を呼び起こす刺激を、憤りで相殺する。
不意にビリッ!…っと、破かれる嫌な音がした。
不快な指先の感覚がリアルになり、パンストの壁を突破した指が下着に触れていると理解する。
忌々しい気持を奥歯を噛み締めて堪え、焦点を絞った指先がくねくねと動かされる刺激に堪える。
悔しいけれど認めたくないくらいに上手な指が、ゆき子の戦意を挫こうとする。眠っていた女の性がムクリと頭をもたげ、注がれる甘い蜜に身を委ねようと気持を揺さぶってくる。負けるわけにはいかず、唇を噛んで自分を必死に保とうと踏み留まる。下着の底が濡れ始め、勢いづいた相手の指がこれでもかとのの字を描き、膝の力が抜けて立っているのが困難になる。痴漢がショーツを横に寄せて、いよいよ挿入を試みようと指先が少し中に入りかけたその時だった。
ゆき子はその手を両手で捻り上げ、身体を翻して相手の後ろに回ると背中に手首を再び捻り上げた。絶叫する痴漢を開いたドアからホームへと出すと、逃走を図ろうと走り出した男の足を引っ掛け転倒させる。男の抵抗は凄まじく、彼の胸の上に馬乗りになったゆき子を振り落とす勢いを見せる。犯人も必死だろうけれど、卑劣な犯行を繰り返してきたことを考えれば、許すわけにはいかないのだ。
胸の上に馬乗りになっていたゆき子を持ち上げようとされるのを逆手に取り、素早く相手の首を股に挟んで締め上げる。普通なら首の後ろからする技で、相手の着るシャツを両手で引き寄せるのだけれど、正面からとなるとそうはいかない。
相手の首の後で脛をクロスさせ、太腿で首を圧迫させなければならない。逃げたくて息が苦しい男は必死にもがき、咆哮を上げる口をゆき子の恥部に押し付ける。
フガフガと呼吸を確保しようとする口が、この期に及んで甘い波を呼び起こす。顔だけを見てみればいわゆるイケメンなのに、人は見掛けによらないのだ。涎と鼻水を出しながら真っ赤な顔で抵抗を続け、身体を暴れさせながら男がまったく意図せずに唇でクリトリスを挟み、揺さぶり擦り上げ敏感になったそこを刺激する。
人集りの面々は必死な形相のゆき子が懸命に戦っているからだと理解してくれるけれど、実は自分との戦いのほうが割合は上だったことは内緒である。感じていることに抗わなければ、痴漢を逃してしまいかねなかったのだから………。
公衆の面前で大立ち回りを演じ、下着をバッチリお披露目したことよりも、感じてしまったことが恥ずかしかった。駆けつけてきたのは制服組だけではなく、その後にはスーツ姿の同族をも引き連れているではないか。どうせ大立ち回りを展開する喧嘩が勃発しているとでも、通報が入ったのだろう。
ゆき子の顔を見た元同僚は、あぁやっぱり……。
そんな苦笑いをを見せて、痴漢男にこう言った。
相手が悪かったな、お前さん………。
そしてゆき子に対しては、こう言った。
もう少し穏便に済ませられないか………?
皮肉しか言えない元同僚に睨みを効かせたゆき子を見た彼は、慌ててこうも付け加える。
まっ…まぁ何だ、怪我は無いみたいだし、相変わらず腕は確かなようだな………。
元同僚はこれで勘弁しろとでもいうように男を引っ立て、最後にこうも言った。
あぁ…その……何だっ………見えてるぞ、白い………。
ゆき子はずり上がったままのミニタイトスカートの裾を慌てて下げると、元同僚に言葉を最後まで言わせず殺意を込めた睨みを効かせた。
彼は弾かれたように痴漢の腕を引っ張り、逃げるようにその場から去っていった。
その場に残る制服組の1人が、もじもじとしながらゆき子に一歩近づく。
あの後でホニャララ署まで出頭を、お願いします………。
あの、松本ゆき子…先輩ですね、お噂は聞いてます………。
あの、お目にかかれて光栄です、本日はお疲れ様でした………。
羨望の眼差しで見詰めてくる最下級の彼は、緊張を見せながらシャキン!……っと敬礼をして見せると、足早に去っていった。
あの若い制服の彼は緊張した歳は、言葉の頭に「あの」を言う癖があるらしい。
噂といってもどうせ男女とか、女を忘れてしまった女だとか、ろくな話ではないに決まっている。
それに今はもう民間人なのだから敬礼をして見せる必要はないのに……と、背中がむず痒くなる。
それにしても身体が火照って、仕方がない。
それもこれも痴漢を確保するためとはいえ、あんなクンニリングスまがいな格好になったからである。もうしばらく男性の肌から遠ざかり、そうは言う意味では女を忘れている。それをこんな形で呼び起こされるなんて、皮肉以外の何物でもない。
何か発散できることはないだろうか………。
そんな愚痴を吐ける唯一の友達に、ビールを片手に色気のない独身女の話を聞かせたのだ。
彼女はそれならデッサンモデルでもしてみないかと、持ちかけてきたのだ。詳しく聞くといわゆる普通のモデルからヌードまでがあるらしい。
あんたさえ良ければだけど、自分が許すレベルまで挑戦してみれば………?
そう言われて魔が差したとしか言いようがないけれど、話を受けてしまったのだ。
年齢は彼女のほうが一回りは歳上だけれど、その女友達とは不思議と馬が合って、今の仕事を始めてからだから知り合ってからもう数年が経つ。
彼女の名前は、安西美紀という………。
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