◯冷えた食卓の静寂
週に一度、妻と共にする夕食の時間が、私にとっては何よりも苦痛だった。
食堂の広々としたテーブルに着き、私と妻の弘恵が向かい合って座る。この日は私が好まない豪華な食事が並び、会話のない私たち二人は静寂の中で黙々とそれらを、口に運ぶ。
弘恵は、二十五歳になる私の妻だ。元々は食うに困る貧農の出で、口減らしの為に嫁がされてきた。
その楚々とした容姿と、私の父が望んだ「跡取りの嫁」という条件に見合うだけの品行方正さを持っているが、私にとってそれはどうでも良い。私と彼女の間にあるのは、書類上の夫婦という無味乾燥な事実だけだ。
弘恵は、いつも私の顔色を窺っていた。その瞳には私への畏れが宿り、私と顔を合わせる度に彼女は卑屈な笑みを浮かべた。
こんな私でも、彼女が苦しんでいるのは感じていた。
彼女には手を付けておらず、弘恵を処女のままにしている。それは、私には子種が無く、病を患う私の余命があとどれだけ続くかも解らないという事情があったからだ。
数いる候補者から弘恵を選んだ理由は、幼さ故に営みを回避でき、私亡き後でもやり直しが利く、その若さのみだった。
それは婚姻当初からの決め事であり、弘恵にも詮索をせず、私の考えに口を挟まぬ様に硬く命じている。
だが、事情を知らない弘恵の両親は、血縁者に家督を継がせ、貧農から抜け出したい一心で、弘恵に頻繁に圧力をかけ、それが彼女の焦りを生んでいる。彼女の痩せた背中には、常にその重圧がのしかかっているのが見て取れた。
弘恵の卑屈な笑みは、まるで腫れ物にでも触るかのような警戒に満ちた視線で、私の機嫌を逆撫でするものであった。
「旦那様、このお魚、身がふっくらと焼き上がっております」
弘恵が、か細い声で私に話しかけた。その声は、震えている。私が一度も、彼女に微笑みを向けたことがないからだろう。
「ああ、そうだな」
私は、「これ以上話し掛けるな」という念を込め、表情を崩さずに答えて箸を進める。
その緊張に耐えかねたのだろうか、弘恵は視線を泳がせ、不意にワイングラスに手を伸ばした。その手は、震えていた。グラスが、ガタガタと音を立てる。
「あ……」
その次の瞬間、乾いた音が響き、ワイングラスがテーブルの上で傾いた。赤ワインが、白いテーブルクロスに滲み出し、あっという間に大きな染みを作る。
弘恵は、血の気が引いた顔で、呆然と染みを見つめていた。その顔には、恐怖と動転の色が浮かんでいる。
「申し訳ございません、旦那様……すぐに拭き取りますので……」
彼女は、慌てて立ち上がり、手拭いを手に取ろうとする。その姿は、まるで罪を犯した子供のようだ。
私は、冷たい視線でその光景を見つめていた。私の心には、何の感情も湧き上がらなかった。ただ、苛立ちだけが募る。
「見苦しい」
私は、それだけ言うと、食べ掛けだった食事もそのままに席を立った。弘恵は、私の言葉にビクッと身体を震わせ、その場に立ち尽くしていた。私は振り返らず、私の聖域である書斎へと向かった。
書斎の扉を閉めると、外界の音が完全に遮断され、私だけの静寂が戻ってきた。私は、いつものようにタイプライターの前に座り、静かに目を閉じる。私の内なる世界に意識を集中する。
だが、今夜は違った。私の内なる世界に集中しようとした、その時だった。
コンコン、と控えめなノックの音が響いた。私は、眉をひそめた。書斎の扉を叩く者は、誰もいないはずだ。
「旦那様……」
扉の向こうから、弘恵の怯えた声が聞こえる。私は、舌打ちをしながら、ゆっくりと立ち上がった。
扉を開けるとそこに立っていたのは弘恵だった。薄いネグリジェの下に、痩せた彼女の小さな乳房と淡い桃色の乳首、殆ど陰毛の無い若く硬い陰裂が透けて見えている。
その痩せた身体は、私の視線に晒され、その肌は緊張のせいか粟立ち、薄く紅潮している。
「旦那様、先ほどは大変申し訳ございませんでした」
弘恵は、震える声で詫びた。その瞳は、私への恐怖と、そしてわずかな羞恥が混じり合っていた。
「粗相を詫びに参りました」
彼女の言葉は、まるで、私に許しを請うかのようだ。私は、無言で彼女を見つめた。弘恵は、私の視線に耐えかねたように、ゆっくりと書斎の中へと足を踏み入れた。その動きは、まるで獲物を前にした獣に怯える小動物のようだった。
弘恵は、私の目の前まで進み出ると、ゆっくりと膝をついた。その視線は、私の股間に向けられている。私は、彼女の意図を瞬時に悟った。私の怒りを鎮めるために、彼女は自分の身体を差し出している。彼女なりの贖罪なのだろう。
弘恵は、震える手で、私の寝間着の帯を解きパンツを刷り下げる。そして、だらりと股間にぶら下がる私の肉棒に恐る恐る触れた。その指は、まるで毒蛇にでも触れるかのように、恐怖と警戒に震えている。
「旦那様…ご奉仕させて頂きます…」
彼女は、か細い声で私を見上げた。その瞳には、恐怖と、いつも見せる卑屈な笑みが混じっていた。
私は、無言で彼女を見つめた。彼女の指が、私の肉棒を包むと、彼女は口を開けてそれを咥えた。温かい舌が絡み、唾液が私の肉棒を濡らす。しかし、私の肉棒は、だらりと項垂れたまま、何の反応も示さない。
弘恵は、何度か私の肉棒を刺激しようと試みた。その唇は、懸命に私を喜ばせようと動く。
しかし、私の肉棒は、まるで死んだかのように反応しない。彼女の額からは脂汗が滲み出し、その瞳には焦りと、絶望の色が深く刻まれていく。
ふと気付くと書斎の隅に、いつの間にか一美が立っていた。
一美は口元に手を当て、悲しい目で、この虚無の光景を見つめていた。その瞳には、深い悲しみが宿っている。まるで、弘恵の苦しみに共感し憐れんでいるかのように見える。
私は一美の存在に気づくと、弘恵から視線を外した。一美は、私の視線に気づくと、悲しげに微笑んだ。その微笑みは、私を深く抉る。
弘恵は、私の肉棒が反応しないことに、完全に絶望したようだった。その顔は、血の気が引いて真っ青になり、瞳に溢れた涙が溢れない様に虚ろに宙を見つめていた。
「申し訳ございません……旦那様……」
彼女の声は、か細く、今にも消え入りそうだった。私は、冷たい声で言った。
「気が済んだなら、出ていきなさい」
私の言葉に、弘恵はビクッと身体を震わせた。その瞳は、私への恐怖と、そして深い絶望に満たされている。彼女は、ゆっくりと立ち上がり、乱れた寝間着を整えようともせず、書斎の扉へと向かった。その背中は、ひどく小さく、哀れに見えた。
「旦那様……」
彼女は、振り返って、私を呼んだ。その声は、まるで今にも泣き出しそうだった。
私は、無言で彼女を見つめる。弘恵は、私の視線に耐えかねたように、書斎を後にした。扉が、静かに閉まる。
書斎には、再び私と、そして一美だけが残された。私は、感情のない冷淡な目で、一美を見つめた。一美は、何も言わず、ただ静かに私を見つめ返している。私の深淵を知るその瞳は、遣り場のない深い悲しみを宿していた。
私は、タイプライターの前に座り、静かにキーを叩き始めた。今日の出来事を、ありのままに文字に起こす。妻の弘恵の絶望。私の無感動な反応。そして、そのすべてを見つめていた、一美の悲しげな瞳。
私は、この虚無を、文字に刻みつける。私はこの業の先にあるものを静かに見詰めていた。
※元投稿はこちら >>