結局、ヤられなかった。
ホッと安心、やや・・・・・残念。
・・でもヤってもらう資格・・無いよ。
アタシ・・あんたの不幸・・
・・一瞬とはいえ喜んだんだもん・・。
しかもヒトの生き死にで、だぜ・・。
サイテー・・だ。
いや、その場においては、そこが問題ではないのだが・・。
いずれにせよ、マトモに歩くことすら出来ない程に酩酊した私は、タクシーに放り込まれて深夜の帰宅。
翌日の朝はアタマが痛くて遅刻。
ショボショボする眼を擦すりながら資料の作成を進めるが、一向に生産性は上がらない。
・・気分転換、と。
私は喫煙室でタバコに火を点ける。
お、ライター借りパクしちゃったい。
電子タバコは充電を切らしたまま、しかも自宅に忘れたのだ。
紫煙を燻らせつつも昨夜の彼の話が断片的に頭を過ぎる。
『最初、現実感がなくてさ・・。』
目立った外傷が無かったからか、眠っているだけのような奥さんの遺体。
バタバタと進む弔いの儀式と手続き。
取り乱す彼女の両親への対応。
有能な彼にしてみればオチャノコサイサイだ。
だが、その内実を誰が知っているのだろうか。
『それに出張続きで自宅で寝るのも少なかったからさ。』
月に半分は出張の彼。
すれ違い夫婦ではあったが八年に及ぶ円満な夫婦関係であったらしい。
ケンカらしいケンカすらなかったそうな。
だが、それ故にだろうか。
二人の長いような短いような共同生活に関する憶い出は希薄だったという。
『しかもさ、最初は全然、悲しくねーの。』
は?
何だ、それ・・?
・・薄情なヤツ。
『まるで現実感が無えの。』
淡々と語る彼。
ただ聴くコトしか出来ない私。
居た堪まれなかった。
誰かの不幸を聴くのが、こんなに辛いだなんて初めて知った。
きっと・・これは罰だ。
『誰かの不幸』を喜んだ罰。
・・・謹んでお受けします。
『夢でうなされるようになったんだよね。』
葬儀を済ませて半年が経った頃だという。
具体的な内容の無い、感情だけに満たされた曖昧模糊とした悪夢。
それは現実的なまでにプリミティブな孤独感と寂寥感だけが渦巻く精神的な地獄。
夢の中故に逃げ場は何処にも無く、ただただ剥き出しの意識が晒される。
『普段の精神的なテンションが、これくらいとするだろ?』
自分の胸の高さの位置、彼は指先で空中に水平な直線を描く。
温和で物静かな彼ならそうであろう。
ちなみに感情の起伏が激しい私であれば、三元方程式を表すグラフのように不規則に乱高下するに違いない。
『んで、寝てるからこれくらいのテンションだとするでしょ?』
最初の直線の二十センチ程下、再び空中に描かれた水平な直線。
就寝中のテンションは低めで安定傾向、と。
なるほど、そりゃそうだ。
『夢の中でさ・・・』
妻を失った事実、それに伴う孤独。
そして生前の妻に対する後悔の念。
『してあげられなかったコト、つい言っちゃったコトとかさ・・』
悪夢の中、テンションはマイナスの係数を持つ急激なタンジェントカーブを描きながら急下降。
まるで真っ逆様に墜落するかのような。
そして巨大な渦の中心に逆らうことも出来ずに引き込まれるかのように。
『もうダメだぁ・・って思った瞬間、眼が醒めるわけよ・・』
じっとりとした嫌な汗に塗みれて覚醒した彼は安堵する。
夢に過ぎない事実に胸を撫で下ろす彼。
だが違う。
先刻までは確かに夢だ。
だが、起きてしまった事実は、、妻を失ったことは揺るぎない真実。
『夢だぁって思った瞬間、さ・・』
覚醒と同時、放り出されるようにして彼のテンションは平常時のレベルまで復す。
束の間の安堵。
だが、次の瞬間、真実が彼を襲う。
『あ。俺、独りだ・・って事実を唐突に・・心底、理解すんだよね・・』
私は黙り込む。
黙り込むことしか出来なかった。
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