与兵衛はいつも昼近くまで寝ているのだが、この日は早目に目を覚ました。お理津と紫乃はまだ寝息を立てている。二人を起こさぬよう忍び足で寝床を抜け、土間で支度をする。雨戸を閉めたままの部屋は暗く、台所の風取り窓から洩れる光と雀の声でのみ朝だと解った。
「あら与兵衛さん、今日は珍しく早いじゃないか」
くたびれた弁髪もそのままに、部屋から出てきた彼に声を掛けたのは長屋の奥、井戸端に群がる女房たちの一人。
「まぁ、たまにはな」
「朝早いのはいいけどアンタ、頭ぼさぼさじゃないか」
「いいのさ。別にお城に上るわけでもねえし」
「そんなんだから嫁もきないんだよう」
「大きなお世話だ」
そう言って自嘲気味に短く笑うと、照れ臭さを残しその場を退散した。
「……あれで夜鷹なんか連れ込んだりしなきゃ、いい男なんだけどねぇ」
与兵衛の姿が見えなくなるなり、声を小さくして囁き合う女房たち。
「まったくだよぉ。昼行灯な所もさ、きっとあの夜鷹に毒されてんだよ」
みな一様に苦虫を潰したような顔。
昨日の雨が嘘のような快晴。与兵衛は長屋を出て蔵の並ぶ運河沿いの道を歩き、久間の屋敷を目指した。暫くして河岸町に差し掛かった辺り、何やら人だかりが出来ている。何事かと人垣の肩越しからひょいと首を伸ばして様子を伺った。運河の水面に、死んだ魚の腹のような白さ。すっかりふやけた土左衛門である。
「おう、与兵衛」
声を掛けたのは、久間紀之介であった。
「何があったんだ?」
「どうもこうもねぇや。仏さん、美濃屋の平吉だ」
岸では喜作が荷鉤を持ち、俯せで浮かぶ仏を掻き寄せている。
「昨夜俺の屋敷で飲んでいてな、しこたま酔って帰ったんだが、どうもなぁ」
そこまで言って彼は与兵衛の袖を引き、人垣を離れた。そして急に小声で喋り出す。
「平吉の旦那を送って行ったはずの紫乃が帰って来ねぇんだ。しかも弁天橋の手前に焼けた提灯が落ちていた」
「紫乃というと、お前んところに奉公している、あの娘か」
「辻斬りにしちゃぁ血痕も斬られた痕も無ぇ。どう思う?」
「さてなぁ」
人だかりは増える一方。眉間に皺を寄せながらも溺死体に皆興味津々である。
「旦那、少々若過ぎるくらいの娘が好きだったからなぁ。差し詰め紫乃に妙な真似でもして、川に突き落とされたんじゃねぇかって睨んでんのさ」
「あの小娘にそんな力あるかね?」
久間は一層神妙な面持ちを深めた。
「ただねぇ、万が一うちの奉公人が突き落としたとなっちまうと……」
「うまくないな」
「だろぅ?」
「なぁ、久間よ。もし下手人が紫乃だったとしてだ、見つけたらどうする?」
久間は腕を組み考え込む。
雨戸の隙間から斜陽が射し込み、舞い上がる埃が光の筋を示している。あまりにも静か。そのせいか、お互いの息遣いすらも聞こえる。布団を被りながら右向きに横たわるお理津の目の前、同様に向かい合う紫乃の顔。斜陽が産毛輝く鼻梁から目元へとうつろい、眩しそうに一重瞼の目を細めた。投げ出された小さな左手に、お理津は左手を包み込むよう被せた。
「くす……」
声を立てずに笑う紫乃。瞳は真っ直ぐお理津を見詰めている。
「静かだねぇ」
気だるそうな声。半ば下敷きとなっている右手が紫乃の顔を触り、指先でその前髪を玩ぶ。
「綺麗な髪……」
照れくさそうに、はにかむ紫乃。
「肌も綺麗。あたしみたいに汚れてないよ」
「でも私、色気無いし」
今度はお理津がはにかむ。言葉を発する度に互いの息が互いの顔に触れた。やがて二人の左手はその指を絡め合う。斜陽は紫乃の小さな耳から艶のある黒髪を撫でて行った。
「あ、だめ、お理津さん……」
熱い吐息は細すぎるほど。
「嫌かい?」
口を真一文字に結びながら、みるみる赤くなってゆくその顔に、お理津は顔を近付けて行った。
「んっ」
唇が重なり合い、小さく体を震わせた紫乃。布団が蠢く。
「ここ、自分で弄ってひとり遊びした事、あるかい?」
微かに頷く。
「誰かに弄られた事は?」
「あっ……ん……な、ない……です」
呼吸が荒くなってゆく。
「紫乃ちゃんも、あたしの……」
額と額がくっ付いた。息遣いが混じり合い、その熱く湿った呼気を吸い込む。お互いが手探りの中、布団の中で快楽の闇を泳ぐ。やがて、紫乃も気付かない内に長着の帯が解かれ、小さな胸が露になった。
「可愛い……」
「嫌……。私、まだ、子供だから……」
「もう初花(初潮)は迎えてるんだろう? 立派なおとなの体だよ。それにね、あたしのも……」
言いながらお理津もまた帯を解き、胸を裸ける。比べれば、さして変わりも無し。
「ただあんた、綺麗な色してる」
お理津はその桜色の乳首に触れた。刹那、紫乃の肩がびくりと震える。指先で弦を弾くように強く、そして弱く刺激する度、敏感に呼応する体。口に含み舌を圧し当てれば、無駄に抗うが如く芽を出す。
「だめ……変になっちゃ……うっ!」
「濡れてるよ?」
「お、お理津さん、だって」
結っていない髪が乱れ、互いの心音が早まるごとに汗が滲む。
「お尻、こっち向けて」
言われるまま、仰向けになったお理津に跨がる。少年のような尻がお理津の鼻先に迫ると同時に、布団が捲れ上がった。立ち昇る熱気。
「まだここ……男を知らないんだよねぇ」
しみじみと眺めながら言う。そして、熱く火照った溝に舌を這わせた。
「あっ……だっ……広げちゃ」
男とは違って柔らかく、そして軽い体に、少しだけ男になった気分のお理津であったがしかし、それも束の間。紫乃の指が再びお理津を濡らし始める。
「あっ……し、紫乃ちゃん、だ……め」
指が三本、四本と沈んでゆく。昨夜、三人の男の前で見世物のようにやらされた事と同じく。
「すごい、お理津さん……簡単に入っちゃうよ?」
「くぅ……かっ……」
目の前の尻を鷲掴みにし、悶える。
「気持ちいいの?」
「いい! 紫乃ちゃ……」
紫乃は姿勢を変え、お理津の開いた脚の間へと身を移した。すっぽりと呑み込まれた手が更に奥へと進み、そして遂には腕までも。子宮に達さんばかりの腕で、臓腑を掻き回されているような感覚。中で拳が握られる。と、今度はずるずると、出る。
「出るぅっ!」
信じ難い量の淫汁が溢れ出す。紫乃の目は好奇だろうか、或いは残酷な闇を宿しているのか。指の節々が壁の至るところを突く。捻り込むように再び奥へと沈め、その小さな拳は変幻自在。出しては沈めを繰り返すうちに、膝ががくがくと痙攣し始めた。膣内で手首を反せばお理津の体が俎の上の鯉の如く跳びはねる。口の端から漏れる唾液と、とろりとした恍惚の目。
「いくっいくっ」
仰向けのまま腰を高く浮かせ、悶絶。紫乃は熱い眼差しでその痴態を見詰めていた。女というのは、ここまで溺れてしまえるものかと、空いた手で自らの溝に指を滑らせながら考えた。気がふれるほどに感じてしまえば、思い出したくない事も、先の不安も、何もかも忘れてしまう事ができるのだろうかと。
「むぅっ」
ここまで濡れた事も、これ程快楽の波に襲われた事も無かった紫乃。自らの股間を弄る指は激しさを増すばかりで、止まらない。お理津もまた、ここまで太いものを、これ程奥まで挿れられた事が無かった。またそれは、一種異様な光景でもあった。
ガラリ、と、突如開け放たれた戸板に、二人は跳び上がる。
「お前ら、何してやがる!」
「きゃぁぁっ!」
叫んだのは紫乃。お理津から腕を引き抜き、剥いだ布団にくるまる。現れたのは他でもない、与兵衛であった。
「ひとの寝床でじゃれ合ってんじゃねぇよ」
むせ返る程に充満した女の匂い。お理津は股を開いたまま、未だ息を切らして雲の上。その有り様を呆れた顔で見下ろす与兵衛。一瞥した後、部屋の隅で縮こまる紫乃の前にしゃがんだ。
「紫乃。お前に話がある」
紫乃は目を伏せて顔を背けるが、構わず続ける。
「正直に答えろ。お前、美濃屋平吉を川に突き落としただろう」
「……」
「今朝土左衛門が河岸町に上がった。お前、昨夜平吉を送って行ったそうじゃねぇか」
答えない。
「ただな、久間にしてみれば手前んとこの奉公人が下手人となっちゃぁ都合が悪い」
紫乃はきつく目を瞑った。昨夜の光景が瞼の裏に甦ってくる。
「どうにもあいつは、事を荒立てたくないと思っているらしい。心配するな。お前がここに居る事は話してはおらん」
うっすらと目を開ける。
「お前が、やったのか?」
紫乃は小さく頷いた。
「怖かったんです……美濃屋の旦那が、私に変な事しようとして……」
「変な事なぁ……」
与兵衛はぐったりと横たわるお理津に目をやる。ならばこれは如何にと。
「とにかくだ。久間はお前を見付けたら他国へ追放すると言っておった。仲買人に売り付けて、どこぞの飯盛り女として一生こき使われるだろう」
飯盛り女とは街道筋の宿場にいる非合法の遊女である。紫乃は貧しい百姓の生まれで口減らしのために売られて来たが、遊廓ではなく久間の屋敷に奉公したのは、不幸中の幸いであったかも知れない。
「だから、昼間は出歩かない方がいい」
「じ、じゃぁ……」
「ただし、ずっと置いておく訳にもいかん。俺も下士の身ゆえ、傘貼りで小遣いを稼いではいるものの、とてもお前を囲えるような身分ではない。離れた土地で奉公先は無いか当たってはみるがな」
「……体を売りさえすれば、ご迷惑は掛からないんですね」
「紫乃!」
叫んだのはお理津であった。
「体売るなんて、軽々しく口にするんじゃないよ!」
「お前はいいから服を着ろ」
素っ裸で仁王立ちするお理津の姿が、そこにあった。与兵衛にしてみれば目の遣り場に困る。
「好きでも無い男に抱かれんのが、どんなに辛いか。だからあたしは、こんな風になるしかなかったんだ。だからあんたには、あたしみたいになって欲しくないんだ」
「お理津さん……でも、私……」
目に涙を浮かべるお理津に、狼狽えたのは与兵衛。お理津が彼の前で涙を見せるのは、これが初めてであった。
「あたしみたいに堕ちたら、もう後戻りできないんだ。あたしはもう、誰に抱かれても、何突っ込まれても、濡れちまうんだよぅ」
「……すまぬな」
甲斐性もない十石二人扶持の貧乏侍は、お理津を嫁に貰う訳でもなく、ただ燻っているばかり。そんな負い目が与兵衛にはあった。
「あんたが謝るんじゃないよ! 悪いけど、あたしはあたしで、一人で生きて行けるんだから!」
飢えを凌ぐためには仕方なかった。生きるためには、どんな事にも耐えて来た。しかし、畜生と同等に扱われ、性欲の玩具にされながら生き永らえる事に、一体如何なる意味があるのか。そう考えている時であった。お理津は、この与兵衛と出会ったのだ。
「くそっ!」
立ち上がり、二本差しを差して与兵衛は部屋を出てゆく。ばたん、と、木戸が大きな音を立てて閉まった。啜り泣くお理津に、紫乃は恐る恐る近づいて肩に手を乗せる。
「本当は、あんたに抱いて欲しいのに……」
傾いた西陽に土間が照らされて、淡い朱色に浮かび上がった木戸に向かい、お理津は嘆き掛けた。もうそこに与兵衛の姿は無い。
「お理津さん……」
鼻を啜り涙を拭う。
「ごめん、取り乱しちゃった。もう平気だよ」
気丈に笑い掛けながら、紫乃の髪を撫でる。
「何があっても、あんたは私が守るよ」
お理津の決意であった。
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