「三十石だ。申し分無いだろ」
「まぁ……そうだが」
「旅役人の付き人ったって別に年がら年中城下を離れてる訳じゃねえ。長屋を引き払う事もねえしよ」
久間は何も言わないが、与兵衛の狼狽えなど承知の上であった。しかしながら背中で与兵衛の反応を伺うばかりである。
「まあ俺の屋敷に寄ってけ。茶ぐらいは出すからよ」
三十石もあれば女二人を養うぐらいどうにかなる。しかし留守をするとなると、彼女たちの拠り所をどうするか。別に長屋を借りて住まわせるほどのゆとりまでは無い。
久間の屋敷は静かであった。喜作も出払っているようで、広い屋敷には誰も居ない。
「どうも人が居ねえと落ち着かなくてな」
「無駄に広いからだ。嫁でも貰え」
「そうだな。ひとの心配ばかりしている場合でもねえか」
「全く、広くて困るとは何とも贅沢な悩みよ」
「お前んとこみてえな長屋暮らしの方が、俺の性には合ってんのかも知れねえ」
湯呑みを啜る与兵衛。昼下がりの庭は音も無く、和らいだ陽射しが眠気を誘う。
「お前、囲ってる夜鷹の事が気掛かりなんだろう?」
突然そう切り出されて、思わず茶を吹きそうになる与兵衛。
「べ、別に囲ってる訳ではない」
「そのまま住まわせておけばいいさ。俸禄を受けるまでの家賃は俺が立て替えてやってもいい」
与兵衛は考え込み、暫くしてから口を開いた。
「すまぬ。世話ばかり掛けてしまう」
「いいって事よ。その代わりと言っちゃあなんだが、お前んとこの夜鷹にな、掃除をしに来て貰いてえんだ」
「お理津にか?」
「掃除ぐらいできるだろ。紫乃も居なくなっちまったし、女手が無いと何かと不便でなあ」
「……実はな久間。話さなければならん事がある」
与兵衛は膝を正した。いつまでも隠し仰せはしない。そう思っていた。
「なんだよ改まって、水臭せぇ」
「紫乃なんだが。……実は、うちに転がり込んでいる」
「なっ!」
久間は呆気にとられた顔で与兵衛を見詰める。
「そこで、折り入ってお前に頼みがある。紫乃を俺に引き取らせてくれ」
憮然と腕を組む久間。
「何言い出すかと思えば。だいたい紫乃は美濃屋殺しの下手人だぞ」
「ああ。ただ、この屋敷の奉公人でもあった」
ため息を漏らし茶を啜るも、視線は与兵衛を見据えたまま。
「お前の言う通り紫乃をしょっ引いたら厄介な事になる。突き落としたのが同心屋敷の奉公人ともなりゃあな」
「紫乃は美濃屋に襲われて、突き飛ばした拍子に堀に落ちたと言っていた」
「ああ。そんなこったろうと睨んではいたさ。だがまさか、お前んとこに逃げ込むとはな」
「頼む。久間。紫乃をそっとして置いて欲しいのだ」
与兵衛は頭を下げた。
「お前がそこまで言うなら仕方ねえがしかし、なぜお前が紫乃を庇う」
「放ってはおけぬのだ」
「まあ、お前らしいが。しかしなぁ、女を二人も囲おうとは分をわきまえぬも甚だしい」
「分かっている。だからこそ、どんな役目でも受けさせて貰うつもりだ」
久間の屋敷を出た時には、陽も随分と傾いていた。紫乃の事は目を瞑って貰えそうであったが、多少の不安もある。
「それにしても……」
陽の陰り始めた運河を見詰めながら、橋の上で独りごちる与兵衛。
「女のためにここまでする俺も阿呆だ」
村落取締出役は実際呑気な役回りである。平穏な世ゆえに剣を抜く事などもまず無いだろう。まして馬廻り役などはただ馬を引き、陣屋や宿屋の手筈をするくらいである。
「まぁ、いつまでも傘を貼って燻っているよりは、ましかも知れんな」
七つの鐘が鳴る。与兵衛は長屋へと足を向けた。
薄暗くなり始めた部屋には紫乃一人が佇んでいた。
「お理津は出掛けたか」
「あ、お帰りなさいまし。お理津さんなら先程出て行かれました」
「左様か」
「あ、あの……」
紫乃はちょこんと部屋の隅に正座し、板敷きの木目を見詰めている。顔が少々赤いのは、中庭を照らす暮れの陽射しのせい。
「私に出来る事があれば何だって致しますから、何なりとお申し付け下さい」
「どうした」
「こうして置いて頂けるばかりでは申し訳なくて」
「ははは、なにも気にする事は無い」
与兵衛は二本差しを抜いて、框にどかりと腰を下ろす。すかさず紫乃は土間から大ダライを引き摺り出し、水瓶から水を掬って注いだ。
「それよりな、紫乃。久間はもうお前を捕えたりしないぞ」
「え?」
「あいつにとっても、美濃屋を突き落としたのが自分の所の奉公人だと都合が悪いのだ。まぁ美濃屋の一件は誤って河に落ちたって事で落着するだろうな」
紫乃は目を見開いて与兵衛を見詰めた。
「それとな、これからは俺がお前の身請け人だ。そのよう久間の奴に話を着けて来た」
頭を土間に擦り付けるほどに深々と土下座をする。与兵衛が足を入れる大ダライの脇で、その小さな肩が震えていた。
「もうお前は何も案ずる事は無い。安心してこの長屋で暮らすと良い」
「あ、ありがとうございます!」
涙を浮かべ鼻を啜りながら、与兵衛の足を洗う紫乃。
「仕官する先も決まったんだが、俸禄を得られるまで暫し掛かる。多少は金子を借りる宛てもあるが、その間お理津の稼ぎでお前とお理津は食わねばならぬ故、多少ひもじくはなるがな」
「そんな、私は置いて頂けるだけで充分です」
足を洗い終えると紫乃は与兵衛の膝元で鼻をひくつかせた。
「与兵衛様、汗も流しますから、帯を……」
「よいわ。行水ならば自分でやる」
「手伝わせて下さい」
言うなり紫乃は帯を勝手に解き始めた。どうにも照れ臭いのか、頭を掻く与兵衛。仕方無しと言った具合にゆっくり立ち上がると、着流しを裸ける。下帯を解いた時、紫乃は目の前にぶら下がる逸物に釘付けとなりながらも顔を赤く染めた。
「こら、どこを見ている」
「つ、つい……」
目を伏せる紫乃は胸を押さえた。与兵衛は構わず大ダライに胡座(あぐら)をかき、浅い水に浸かる。紫乃は顔を赤くしたまま、手拭いを水で湿らせて与兵衛の体を拭き始めた。
「女を孕ませる訳でも無し、たいして役にも立っておらん持ち腐れだ」
「……いいえ。与兵衛様は昨晩、私を天に昇らせて下さいました」
胸板の汗を拭いながら、紫乃は与兵衛の顔を潤んだ瞳で見上げた。
「お、お前……」
「もしお理津さんが居なかったら、私が与兵衛さんの事を好いてしまったかも知れませぬ」
くすり、と、悪戯っぽく含み笑い。
「な、なんて事を言う。俺は……」
なぜ、昨日紫乃まで抱いてしまったのか。自問自答した所で答えなど出ない。所詮自分はただの好き者に過ぎないとしか。ならば尚更、この長屋を離れるのは自分の義にとって好都合なのかも知れない。そう、与兵衛は思うのであった。
「あ、こらっ! そこは自分で……」
タライの水から掬い出された玉鞠が、手拭いと小さな掌に挟まれている。いくら心を平静に保とうにも、意に反して頭をもたげてゆく是非も無し。
「与兵衛様。したい時は私の体も使って下さいまし」
「俺はそんなに助平ではないわ!」
「あら、でも……」
水面から顔を覗かせた亀頭と見詰め合う紫乃は、なおも悪戯っぽい笑みを浮かべたまま。
「これは……お前が触るからだ」
紫乃の顔は紅潮し、その息は荒くなっていた。やがて頭を股の間に沈め、両の掌に包んだ亀頭に口づけをする。
「や、やめなさい」
「私、もう知っちゃったんです。こういう事。それと、私がどうしようもなく淫乱だって事も」
「紫乃……」
困った様子を見せながらも、与兵衛はさせるがまま。葛藤も下半身には勝てず。
「理津さんやお坊さんに弄られてから変なんです。私」
「うっ……」
舌先が先端を擽る。下腹部から上目遣いで見詰めるその目は、どこか醒めているようにも見えた。
「すまぬ」
頭を掴み、押し下げる。
「んぐっ」
棹はひと息、根元まで呑み込まれてしまった。みるみる内に暗くなってゆく土間で、淫靡な水音だけが静かに響く。時に遠く、烏の声。
「だ、出すぞ」
暮れ六つの鐘の音とともに、与兵衛は口の中で果ててしまった。眉間に皺を寄せながらも喉を鳴らし、全てを吸い尽す紫乃。
「す、すまぬ……」
彼女は首を横に振り、与兵衛の体にしがみ付いた。
「私が変なんです。昨日からずっとあそこが疼いてて、きっと私、おかしくなっちゃったんだ」
肝を冷やすような笑みであった。どこか、ごく一部だけが壊れてしまったかのような、遠い眼差し。与兵衛はそんな紫乃を強く抱き締めた。
「俺もだ。今までずっと抑え込んでいた物が破裂してしまったようだ。このような好色者は武士として失格だ」
「ならば与兵衛様。淫乱と好色で色情狂い同士、お互い様ですね」
「そうだな。いっそ地獄まで、お理津も連れて共に堕ちるやも知れぬ」
「いいえ、地獄には堕ちません。昨夜のお坊様は、天に昇られて逝かれましたから……」
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