「しても……いいよ」
「な!」
彼女は僕の胸に顔をうずめたまま、言った。どうにでもなれ。そんな気持ちだった。強く抱きしめれば、思ったより華奢な体がピクリと反応する。いつもピリピリしていて小言ばかり言う先輩とは別人のようで、そのままソファーに押し倒した。
「ホントに、いいんですか?」
頷く先輩は横顔のまま。それが不満で、僕はその頬に手を添えこちらを向かせた。見詰め合えば、なんて切な気で寂し気な瞳なんだろう。彼女を満たしてあげられたら。そう思いながら僕はそっとその唇を塞ぐ。
「んん」
背中に回された手は力なく、肩にばかり力が入っていた。先輩の緊張が僕に伝わる。Tシャツの胸はノーブラで、意とも簡単に探り当てられる突起。僕は自分を抑えきれず、そのTシャツを捲り上げた。
「ちょ、待って、明かりぐらい消してよ」
「あ、す、すいません」
落ち着け。そう自分に言い聞かせてリビング入り口の脇にあるスイッチを切った。点けっぱなしだったユニットバスの白熱灯が廊下に漏れているだけの部屋は、足元も覚束ない。僕はそのまま服を脱ぎ捨て、カバンに潜めてあったいつ買ったかも忘れたコンドームを握りしめてソファーに戻った。
「んん……新倉、くんっ!」
横たわる女体は先輩の裸。ソファーの前で、まるでピアノでも奏でるように指を滑らせれば、肌に触れただけで跳ねるように反応。吐息は官能的な音色となり静かな雨音と重なりあう。この人は一体、何年ぐらい男に抱かれてなかったんだろう、なんて考えながら腿の内側から付け根に指を這わせる。
「や、だめ、新倉くん……」
「すごく感じてるじゃないですか、先輩」
「律子って……呼んで」
じんわりと湿った毛を掻き分け、溝に指を沈めればぬるぬると滑る。
「すごく濡れちゃってますよ、律子」
「恥ずかしい……」
温かな体内へと指を挿れながら、まだまだ張りのある胸を口に含む。静かな部屋に先輩の喘ぎ声だけが響いた。
「挿れて……」
何も考えなかった。まさか先輩とこんな風になるとは思わなかった。しがみつく腕は細く、いつも僕を叱っていた声はまるで別人だった。
「んむ……」
挿れた途端に、きつい締めつけ。痙攣する肩に、震える唇。奥まで。足の付け根と付け根がぶつかり合うほどに、奥まで。
「動かしますよ」
「あ、ん、ゆっくり……お願い」
彼女の全身から立ち昇る熱気。僕の全身から噴き出す汗。体を密着させれば互いの汗と息が混ざり合う。乱れた髪が額に貼り付き、潤んだ瞳は僕を見詰める。
「痛く、ないですか?」
「ん、大丈夫、新倉くん。気持ち……いいわよ」
脳天を突き抜けるほどに心地よい摩擦。大きく形の整った胸を鷲掴みにすれば思ったより柔らかく、優しく撫でれば海老反りにしなる体。
「あっ、い、いいっ、いいのっ!」
ただの男と女になって、ただ強く、強く突き上げては抱き締めて、お互いを貪るように愛し合う。
「いっ……ちゃう……」
「律子……」
彼女の孤独が埋まってゆくように、僕の孤独も埋まってゆく。二人の溝と突起がピッタリ嵌まって一つになった。これで良かったんだ。後悔などは、しない。
とんだ雨宿りになってしまった。と、笑えば彼女も笑う。
「普段からこんな風に笑えばいいのに」
「うん、これからは会社でも笑えるかも」
むせ返るような熱気の中で、二人の荒い息が混じり合うのは、頬と頬とが触れ合うほどに近いから。自然と唇を重ね合わせ、舌を絡ませる。
「しちゃったね」
「しちゃいましたね」
「またしてくれる?」
「いいんですか?」
恋人でもないのに。それとも、僕は先輩と付き合うようになるのだろうか。先輩は、僕の事をどんなふうに思ってるのだろう。
「空気、入れ換えましょうか」
窓を開ければ、涼しい夜風とともに虫の声が流れ込んでくる。雨はすっかり止んでいた。
「あー、それ捨てちゃだめ」
「もう使わないでしょ!」
日曜の朝は雲ひとつない快晴で、大掃除には持ってこいだ。
「ちょっと律子さん、雑誌なんか読んでないで手伝ってくださいよ。だいたいその雑誌、捨てるやつでしょ」
「いやー、ついつい」
会社では相変わらず仕事に厳しい先輩で気まずくもあったけど、いつも通りに接してくれた。でも会社の外では、明るく笑う女性に変わる。
「ほら、掃除機かけるから、そこどいて下さいよ」
「えー、掃除なんか後でいいじゃない。それよりさ……」
言いながら、昼間から僕の服を脱がそうとする。このだらしない部屋を掃除するには、まだ随分と時間が掛かりそうな気がした。
新入社員の三人が帰って、オフィスには僕と先輩以外誰も居なくなった。僕はもう先輩を見る目が女を見るそれへと変わっているのに、先輩のスイッチはまだ切り替わっていない。人を寄せ付けない威圧感と言ったら大袈裟だろうか、そんなオーラを発していた。
「そろそろ上がりません?」
「あー、アタシまだこの書類片付けなきゃなんないから、新倉くん先帰っていいよ」
「そう、ですか」
また先輩の家に行ってエッチな事したいという下心は見事に砕かれた。
誘ったのはどちらからと言う訳でも無く、その後付き合おうと言う訳でも無く、ただ一度部屋の掃除をしに行った際になし崩し的に二度目のセックス。先輩にとって僕はどんな存在なのかハッキリしないまま、モヤモヤした日々が続いていた。
「それじゃ、お先に失礼します」
「はい、お疲れ様ー」
事務的なやりとり。あの日以来、僕は先輩の体が忘れられなくなってしまった。夜毎布団に入っては、彼女の体を想像してしまう。メアドを知っても何て書けばいいのか迷い送れない日々。僕が何かを打破しなければ何も変わらないような気もする。
「そうだ城戸先輩、今度飲みにでも行きませんか?」
「え? あ、まぁ、別にいいけど」
意外って顔された。別に変な事言った訳でも無いのに。
「明日週末だし、明日なんかどうです?」
「二人で?」
敢えて聞くのかそんな事。
「あ、まぁ、他の人も誘って構わないんですけどね」
「いいわよ。付き合ってあげても」
あくまで超上目線なんだ。そこは。
「ありがとうございます」
変にプレッシャーを感じ、ついそんな風に言わさられている僕。
会社は社長以下二十人ほどの零細企業と言うやつだった。半分が営業で外回りに出ており、企画宣伝を担当する僕には一人の新人がつき、経理は城戸先輩が一人でこなしている。先輩の下にも新人がついていたが、入社ひと月もしない内に辞めてしまったのだ。
土曜日は暖かな陽射しで、昼休みは公園のベンチ。気兼ねなく煙草を吸えるのは灰皿のあるこの場所しか無い。僕と同じように周辺のオフィスから喫煙難民たちが集まる。
「あ、新倉先輩。どこでメシ食ってたんスか」
声を掛けて来たのは新入社員の森下だった。三つ年下の新卒だが、妙に馴れ馴れしい所が馴染めない。
「三原だよ」
「ああ、あのタンメンが美味いとこっスね。自分どっちかって言うと船見坂の方が好きなんスよね」
一人の時間が邪魔される。コイツも城戸先輩同様僕のテリトリーを荒らす。
「あの店、ラーメンも美味いけど店員で可愛い娘がね、いるんスよ」
「ふぅん」
「ほら、ウチの会社って、たいした女いないじゃないっスか。そう思いません?」
「まぁ、そうかもな」
コイツは会社に何しに来てるんだ。
「しいて言えばそうだな、城戸先輩とか巨乳でいいかも知んないっスね」
「なっ! お前、ああ言うのが好きなんか?」
「城戸先輩てなんか怖そうだけど、でも案外夜んなったら豹変してすげーエロくなったりするんじゃないかなって思って」
いい加減な事を言いやがる。当たってるけど。
「お前、城戸さんも範囲内なんだ」
「そりゃぁもう、熟女ってほどの色気は無いけど素材はいいんスよねぇ、あの人」
分かってるじゃないか。案外コイツとは気が合うかも知れない。
「まぁな。でも手とか出すんじゃないぞ。あの人怒らせたら会社居らんなくなるぜ」
「マジっスか!」
釘を刺しておいた。妙な真似をされても困る。
「あーでも、あんな人とヤレたら別にクビんなってもいいかなー」
笑えない冗談だ。
彼女の本当の魅力は僕だけが知っていると言う優越感があった。彼女に比べたらお茶を運ぶ新人の娘が子供っぽく思えてくる。
「ちょっと新倉くん、この書類、判、捺してないじゃない」
「あ、すいません」
「ちゃんと確認してから出してよね」
でも仕事中はいつも苛立っていて、特に僕に対しては相変わらずキツかった。眼鏡の奥の瞳が遠く感じる。そんな先輩はいつも社内の雰囲気をピリピリとした緊張感で包むと同時に、空気を重くしていた。
営業の連中はだいたい午後の外回りから直帰で、夕方ともなるとオフィスには五人くらいしかおらず、特に土曜ともなると休みの連中も多い。
「新倉先輩、今日飲みにでも連れてって下さいよ」
「ん、あ、今日はちょっと……」
森下が言い出した。社長も部長もおらず、頼みやすい僕しか居なかったのが好都合だったのだろう。しかしよりによって今日はまずい。今日は城戸先輩と……。
「城戸先輩もどうスか一緒に?」
「ア、アタシ?」
「新倉先輩のおごりで」
「まてまて」
「まぁ、アタシは構わないけど……」
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