それは或る日のことだった。
例によって例の如く、彼の家に泊めて貰ったあたしは、深夜、不意に眼が覚める。
一組しか無い布団の中にはあたし独り。
・・トイレ?
ちょうどいいや・・
・・あたしも。
寝惚けマナコを擦すりつつ、あたしはトイレのドアを開ける。
彼は・・いない。
じゃぁ、ごぼごぼごぼ・・・
トイレを済ませ、室内を見廻すが、六畳二間と六畳のダイニングに彼の姿は見当たらない。
押入れにも・・いない。
当たり前だ。
未来から来たネコ型ロボットじゃぁないんだから。
・・・あたしは明らかに寝ぼけていた。
午前二時半、外に出掛けるとも思えない。
『ちょっとコンビニに行く。』にしても車が無いと不便なエリアなのだ。
半覚醒の状態であった為だろうか、あたしは取り乱す。
あたしは、その場にへたり込んでいた。
彼があたしを置いて居なくなってしまった。
何の根拠も無いにも関わらず、あたしはそう思い込む。
パニックに陥る寸前、ベランダに続くサッシに誰かの影が映った。
あ・・。
タバコ・・・か。
稀にであるがタバコを嗜む彼。
梅雨時には封を切ったタバコが湿気ると溢していた。
からからから・・
あたしはサッシを開けてベランダに出る。
寒っ・・
真冬の深夜、空気は身を切るように冷たかった。
吸い殻を始末しながら彼はあたしに問い掛ける。
「どした?」
「・・寒くて・・。」
確かに躯が冷え切っていた。
だが、それは寒いからじゃなかった。
・・不安だった・・の。
『一緒にいる時は独りにしないで。』
喉元まで出掛かった言葉。
だけど言えなかった。
ウザい女だって思われる。
距離を置かれるに違いない。
だって・・あたし達の未来には破綻しか待っていないんだもん・・・。
・・だから『今』だけだ・・。
・・『今』しかない・・。
『今』を少しでも長続きさせて、破綻を遅らせることしか出来ない。
代わりに口にしたのは同じ言葉だ。
「・・寒くて・・。」
「ん。布団に入ろ。」
布団に潜り込んだあたし達。
彼は、大欠伸をするや否や秒殺で眠りに陥ちてしまう。
・・の○太・・か?
・・あたしの気も知らないで・・・。
太平楽に鼾をかく彼の横、あたしは唐突に殺意さえ覚える。
『不倫あるある物語』として女が男を刺す場合、恐らくは似たようなシチュエーションなのではないだろうか。
北◯の拳でもそうだった。
ラ○ウ曰わく。
望んで手に入らない相手なら、いっそ命を奪ってしまえ。
そーすりゃ永遠に手に入る。
リ◯クの娘さんも言ってたな・・。
相手が振り向いてくれないなら命を差し出せばいい。
そーすりゃ相手は決して自分を忘れない。
何てこったい・・。
少年漫画にそんな含蓄が隠されていたとは。
だが、だ。
出来るわけなんかなかった。
眼の前で爆睡する大切な存在の時間を止めることなんかできやしない。
だったら、あたしの時間を止めて貰うしかない。
そして、その日、その瞬間までを充実させるしかないのだ。
時間を止める、それは結局のところ比喩に過ぎない。
つまりはお別れだ。
どんな形なのかは分からないけど、必ず、しかも遠からず訪れる筈の別れ。
彼の寝息から煙草の残り香が僅かに香る。
そうなったら、あたしは煙草を吸おう。
彼が吸っているのと同じ銘柄の煙草を。
お線香みたいなもんかな。
んで、あたし自身の冥福を祈るのだ。
彼のことを忘れるまで。
彼のことを忘れる・・・?
ぶわっ
またもや涙が溢れる。
・・・・・忘れることなんか・・
・・出来るわけ・・ない・・じゃない、か。
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