「しよ?」
玄関に入るなり、私は彼を抱きしめ求めた。
身体に残る痴漢の感覚を
どうしても上書きしたかったのだ。
急ぐ私は彼の返事を待たずに唇を奪う。
温かい彼の唇は驚いたのか少し硬くなったが、
次第にほどけ、私の舌を受け入れる。
軽く舌を絡ませた後、
部屋の電気も点けずにベッドまで行くと、
彼に覆い被さって、
何度も唇同士をソフトタッチさせる。
その度に目を合わせ、
彼のいとけない笑顔を確認すると、
身体にまとわりつく部外者の
残滓が洗い流される気がした。
上書きが上手くいっていることに
一人ほくそ笑むと、彼の目を見つめたまま
ワイシャツのボタンを1つずつ外していく。
はだけた彼のワイシャツと
地肌の間に手を滑り込ませ、
彼の乳首を摘もうとした時、
玄関からスマートフォンの着信音が鳴った。
互いに深くため息をつく。
彼は仕事上重要な連絡先には、
サイレントモードでも
着信音が鳴るように設定している。
それが業務時間外になると言うことは、
間違いなく何かしらのトラブルがあったのだ。
「出てくる」
目を瞑って一息吐くと、
彼はベッドから出ていった。
項垂れた後ろ姿は、
電話を取るとさらに項垂れ、
不機嫌極まりない顔をして戻ってきた。
「後輩に引き継いだ取引先あったでしょ、チョコ菓子の。トラブったらしくて」
「そうなんだ・・・。行っちゃうの?」
「うん、ごめん」
彼は伏目がちに返事をすると、
忙しくワイシャツのボタンを閉じて
玄関に向かった。
私も彼の背中についていく。
行かないでと言う言葉が喉元まで
出かかったが、これまでの彼の苦労を思うと、
言えなかった。
「埋め合わせはするから」
玄関のドアを開けながら彼が言う。
外から雨音が聞こえてくる。
返事をせず黙って傘を渡すと、
彼は再び「ごめん」と言って出ていった。
部屋には私と雨音だけが残された。
心の淋しさが彼の部屋を異様に広く、
よそよそしくさせる。
自宅に帰ろうとも思ったが、
それも気が進まなかった。
結局は1人であり、
今日1人でいることは、
痴漢と一晩共にするような
気がして嫌だったからだ。
どうしても、この残滓と
淋しさを打ち払いたかった私は、
身勝手だと分かっていながらも、
「さみしい」とメッセージを送ると、
ベッドに寝そべり返事を待った。
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