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「ただいま~」
ガーー、ガコッガコッ、ガーガー…
家に帰ると、来島くんは鼻唄混じりで掃除機を掛けていた。
「た だ い ま !」
「わっ!あ、おかえり」
「…掃除してたの?」
「うん、掃除くらいは~と思って」
何だか、一緒に過ごした1週間の後片付けをされているみたいだ。
ここを出ていく準備をしているのかな…
じわっと視界がぼやける。
慌てて「ちょっとトイレ~」とその場を離れたが、途端にポロポロと涙が落ちてくる。
あぁもう、涙腺がバカになってる。
気持ちもぐちゃぐちゃで落ち着かない。
普通にしなきゃ、普通に普通に…
私は心臓を押さえながら、一生懸命に息を深く吸ったり吐いたりする。
ふぅぅ……うん、大丈夫。
「腹へった~夕飯なに?」
「今日はね、しょうが焼き」
「やった!俺すげぇ好きー!」
無邪気に笑う来島くんを見ると、胸がチクチクと痛む。
「…すぐ作るから、待ってて?」
「はーい」
バタンッ
「ん、何これ?」
冷蔵庫を開けると、そこにはピンク色の箱が入ってあった。
「あ、見つけた?」
来島くんはニヤニヤしながらこっちを見ている。
「その~何て言うか、お礼って訳じゃないけどさぁ、榊には迷惑かけたし…」
「これって…駅前の…」
『来島くん!ここ最近できたんだよ!チーズケーキがすっごい美味しいんだって!食べたいなぁ~』
『へぇ、こないだダイエットするって言ってたの、もう終わったの?』
『う……それは、えっと…でも、みなみちゃんが美味しいって…』
『へぇ~ふ~ん、榊のダイエットはすぐ終わるなぁ~』
『…っ、そんなことないよ!ちゃんとするもん!』
『はは、冗談だって。食べれば良いじゃん。行こうよ』
『行きませんっ!食べませんっ!来島くんひとりで行けば良いじゃん!』
『えぇ~榊が食べたいって言ったんじゃん』
「食べたいって言ってたじゃん。そこのチーズケーキ、絶品なんでしょ?」
来島くんが指差しながら、笑ってこっちを見ている。
「っ…!」
やばっ、と思うより先に、涙がボロボロッとこぼれた。
「え」
「あ、や、違…」
私は慌てて顔を隠したが遅かった。
「どしたんだよ、何泣いて…」
「ご、ごめん、違うの。こ…コンタクト!…が、ずれちゃって…やば、痛い…はは」
慌てて洗面所に行こうとしたら、後ろから腕を掴まれる。
「…コンタクトずれたって顔じゃないだろ」
だめ、見ないで。
「何かあったの」
何もない。何にもないんだよ、来島くん。
私たちの間には、もうすぐ何もなくなるんだよ。
来島くんは、この生活を終わらせようとしている。
それは当然のことなんだけど…だけど…
「榊?」
「…来島くん、会社に復帰するって連絡したんだね」
「へ?あ、あぁ。今週のうちには戻れるかなと思って。引き継ぎしかけてた仕事もあるし、なるべく早く…」
「っ…!」
『あいつ、俺たちに仕事の引き継ぎ頼んできてさ。もしかして、本社とかに異動じゃないよね?』
「え、それがどうか…」
「ごめんね!さっさと戻りたいよね!私のくだらない呪いのせいで、生活めちゃくちゃにしちゃってごめんっ!
あと1回セックスすれば終わるもんね?
は、早くこんな生活から…解放されたいよね」
「え、どしたの」
「もぉ~本っ当、ごめんね~
いくら元に戻るためとは言え、フッた女と何回もセックスするなんて、絶対精神的にキツいよねぇ。
あー本当、私が変な呪いなんかかけたせいで…」
「榊?いや、むしろ俺の方がいろいろ迷惑…」
「でもごめんっ!……ごめんね、来島くん」
もうだめだ。隠せない。
ボロボロと涙を流しながら私が顔をあげると、来島くんはびっくりした後、とても困った顔を見せる。
そんな顔させちゃってごめん。
だけど、もう…
「…もう、私…来島くんとセックス…したくない」
好きだから。
来島くんのことが大好きだから、これ以上できない。
自分から終わらせることが出来ない。
ごめんなさい。
来島くん、迷惑かけてごめんなさい。
私の涙は止まらず、喉は焼けるように熱くて言葉が出ない。
来島くんの手は私の頬に触れそうな位置にあったが、その手が涙を拭うことはなかった。
ザーーーー
外はいつの間にか雨。
もっともっと、大きな音を立てて降って欲しい。
私の情けない泣き声をかき消して欲しい。
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〈…で?私が空中散歩している内に、君は何をやらかしたわけ?〉
雨で濡れた羽をパタパタと振りながら、コニーは怖い顔をして俺を睨む。
「べ、別に変なことはしてない…と思う」
〈はぁ!?何もしてないのに、急に『セックスしたくない』なんて言う?〉
「シーッ!!あいつ部屋で休んでるんだからデカイ声出すなよ!」
泣きじゃくる榊を前にして、俺は何も言えず、何も出来なかった。
『…ごめん、今日は……ごめん』
フラフラとよろけながら、榊はそう呟いて部屋に入ってしまった。
「どうしよう、俺…相当榊に無理させてたのかな」
はぁ~とため息をつくと、コニーはトスッと頭に乗ってくる。
〈…全部が嫌々なら、ここまで呪いが解けることはないわよ。
ちゃんと、塔子ちゃんは来島くんのこと想ってたはずよ〉
「だけど…あんな泣いて、もう俺とはしたくないって…あぁ、でも普通そうだよな。自分をフッた男となんて…」
榊が俺に優しくしてくれるから、自分がどんなに傷付けてしまったか、つい忘れていた。
いくら事の発端は榊の呪いでも、そうさせたのは俺のせいなのに…
〈うーーーん…〉
唸るような声を出しながら、コニーは俺の頭の上で足をバタバタさせている。
「…今の俺、24歳なんだよな?もうほとんど変わらないから、別にこのままでも…」
〈ダメよ!完全に呪いが解けないと、エッチしない時間が続くほど、来島くんの身体はまた若返っていくわ〉
「…まじかよ」
〈おそらく…1週間で1~2歳くらい。1ヶ月もほっとけば、あっという間に元通りよ〉
「うーん、でもなぁぁ~」
はぁ、とうなだれる。
〈まぁ…逆に言えば少しは猶予があるから、ちょっと様子みてみたら?塔子ちゃんにも冷静になる時間が必要でしょ〉
「…そうだよなぁ」
ごめんな、榊。
傷つけてごめん。
早くちゃんとしたいのに、うまくいかない。
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昨日はいつの間にか寝てしまっていた。
腫れぼったい目を冷やそうとリビングに行くと、そこに来島くんの姿はなかった。
作りかけのしょうが焼きはラップをされて、キッチンはきれいに片付けられている。
「………っ…ぐすっ」
自分から拒んだくせに。
自分の方が苦しめてるくせに。
涙が止まらない。
ふとテーブルを見るとメモが置いてある。
『今日は家に戻ります。
また明日来るけど、
嫌だったら無視してくれて良いから。
ごめん。 来島』
〈…来島くんのこと、嫌いになっちゃった?〉
いつの間にかコニーちゃんが私の肩にとまっている。
「違っ…嫌いになるわけ…す、好きだよ…すごく、大好き…」
〈それなら何でエッチしないの?〉
「……全部終わっちゃう…来島くん、また離れていっちゃう…」
〈塔子ちゃん…〉
子どもみたいに泣きじゃくる私を、コニーちゃんは小さな小さな手で一生懸命撫でてくれた。
〈塔子ちゃん、この1週間来島くんと過ごして何を思った?〉
「え、何をって、…」
〈淫の気だけじゃないでしょ〉
「あ、当たり前じゃない!」
〈だったらその気持ちに向き合って、ちゃんと決着つけなさい!
…逃げても先延ばしにしても、何の解決にもならないわよ!〉
「…そうだけど」
〈自分の気持ち、ちゃんと伝えたら良いじゃない〉
「そ、そんな簡単なことじゃないんだよ。どうせ来島くん困らせることになるし…」
〈あーーーもうっ!!!〉
コニーちゃんの大きな声に私はビクッとなる。
〈塔子ちゃんも来島くんも面倒くさいわねぇ!
何なの人間って、こんなにウダウダしてる生き物なわけ!?
結局本当のこと言って、自分が拒まれたり傷つくのが怖いだけじゃない!
…困らせるって、こんなことになって今さら何言ってんのよ!
言い訳ばっかりして、逃げてるようにしか見えないのよーー!!!〉
ハァハァと息を荒くするコニーちゃんは、キッと私を睨み付ける。
〈…こんなんじゃ、一生呪いなんて解けないよ。
自分でかけた呪いに、塔子ちゃんずっと苦しむことになるわよ!〉
「……」
〈…来島くん、今日仕事に行くって〉
「え…」
〈どうする?仕事ずる休みでもして逃げちゃうの?〉
コニーちゃんが意地悪そうに笑う。
「……行くよ。顔洗ってくる」
私は腹をくくって洗面所に向かう。
〈…はぁ~本当面倒な人たちねぇ~〉
コニーちゃんは来島くんの書いたメモをペシッと蹴飛ばして呟いた。
つづく
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