「なんじゃこれは…」
「あは、ごめんね。ちょっと散らかってるけど上がって」
「いや、ちょっとじゃねぇだろ…」
意外にも1DKの小さなアパートに住んでいるあおいの部屋は、大量の本や漫画、ゲーム、DVD、CDなどで溢れていた。
「お前の実家の部屋とは大違いだな」
「だって10年前は、こんなに楽しいものがあるって知らなかったんだもん」
散らかったテーブルの上を慌てて片付ける。
「ひなた君がいつも私の知らないことばっかり教えてくれるから、すっごくワクワクしてたんだ。
会えなくなった後も、ひとりの世界に籠りたくなくて…
いっぱい本や漫画も読んだし、名作って言われてる映画もたくさん見たよ。
音楽もいっぱい聴くようになって、すごく心が癒されたんだ」
あの鳥籠みたいな屋敷の中で、彼女は一生懸命に外の世界を知ろうとしてたんだろうか。
「でもやっぱり、ひなた君のことばかり考えてた。一緒に見たいなぁ、お話したいなぁ…ずっと思ってた」
「あおい…」
「…大袈裟に聞こえるかもしれないけど、今まで生きてきた中で、ひなた君と遊べた2ヶ月ちょっとが…私は1番楽しかった。ずっと…忘れられないでいたの」
あおいは恥ずかしそうに前髪をいじっている。
「俺だってお前のこと…忘れたことなんかなかった」
「えぇ~本当かなぁ…ふふ」
「…会えないのに、忘れられなくて…あれ、見るたびに辛くて…でも捨てられなかった」
「…あれって」
俺の財布の中には『厄除守』と書かれたお守りが常に入っている。
その中には
「また会いたいって気持ちの方が強くて…未練がましくずっと持ってたんだ」
深い、濃い、青色のペンダント。
「これ…あの時の…」
「これは、お前の名前の石だから…いつかまた会えたら、ちゃんと返したかった」
俺の手の中で静かに光る石に、あおいは手を乗せて笑った。
「やだ…懐かしい。持っててくれたんだ…」
「うん」
「嬉しい…あ、よくふたりであの呪文言ったよね」
「あぁ、滅びの呪文?」
あの時の彼女は、映画の真似をしてよく呪文を口にしていた。
『…唱えたのに、何にも変わらないよ』
『バカ、当たり前だろ。あれは映画の世界なんだから』
『そうだけどさぁ…この家がどーんって崩れちゃったら、もっと自由になれるかなぁって』
『物騒な奴だなぁ。別に崩れなくたって、俺がいつでも来てやるから…それでいいだろ』
『本当に?約束だからね』
そう言えば…指切りしたのに、俺は約束を守れなかったんだなぁ。
「俺…あおいに会えたら言おうと思ってたんだ」
「えっ、滅びの呪文を?
ひなた君、口の悪さに拍車がかかってるから、本当に何か起こりそうで怖いんだけど(笑)」
「バカ、違うよ…」
そっとあおいの手を両手で包む。
「大好きだよ」
最初から、ずっと。
「ずっと、言いたかった」
*******
実家の私の部屋は2階の西側にあり、大きな窓からは近所の公園が見えた。
夕日がキラキラ輝く中で、自分と歳の近い子たちがキャーキャー言いながら遊んでいる姿をよく見ていた。
「いつまで遊んでるの!ご飯出来てるわよ!」と、子どもを叱る母親の声もよく聞こえていた。
両親は食事会だ会議だと言って留守が多く、私に「ご飯が出来たよ」なんて声をかけてくれたことはなかった。
歳の離れた兄さんたちは優しかったし、お手伝いさんが用意してくれるご飯も美味しかった。
キレイな服を着て、欲しいものは何でも買ってもらえる子どもだった。
端から見たら恵まれ過ぎていたことだろう。
だけど私は、1度で良いから泥だらけになって遊んでいるところを、母親に迎えに来てほしかった。
『これ、お前んちの犬?』
逃げた愛犬を泣きながら探していると、まだ初夏だというのに日焼けした男の子と出会った。
彼は私の知らないことばかり教えてくれて、それは楽しかったり、面白かったり、感動したり…私の気持ちはこんなに動くのかと驚いたものだ。
彼が1番好きだという映画を見て、私は祖母のくれたお守りを飛行石と重ねた。
これがあれば、いろんな世界が見れる気がする。
彼が8月の暑い日に「ここを抜け出して、花火を見に行こうぜ」と言ってくれた時、私は嬉しすぎて鳥肌がたった。
初めて自転車の後ろに乗ったが、バランスがうまく取れず彼にぎゅっとしがみついていた。
家を抜け出したドキドキとは違う、知らない感情が私の胸をいっぱいにしたのを覚えている。
彼は口が悪いけど優しい人だから、私を喜ばせようとして神社に連れていってくれたのだと分かっていた。
だからこそ、自分のせいであんな怖い思いをさせてしまったことを、私はずっと悔いていた。
いっぱい怪我もしていた。大人に蹴られて痛かっただろうなぁ。
どうか彼を…ひなた君を守ってください。
私にたくさんの気持ちをくれたひなた君を、どうか助けてあげてください。
お守りの石に、私は強く強く願った。
次に会う時、彼に何て言おうか。
怪我はもう大丈夫?
私のせいでごめんね。
また来てくれて嬉しい!
いろいろ考えていたが、いつまで待っても彼は来てくれなかった。
父親が彼に「二度と近づかないで欲しい」と言ったことを知ったのは、事件から半年以上たった冬の終わり頃だった。
愕然としたけど、両親に詰め寄ることはできなかった。
あの事件の時、大泣きして私を強く抱き締めてくれたお母さん。
「良かった、良かった…」と何度も撫でてくれたお父さん。
私は初めて、ちゃんと愛されていると感じた。
そこから両親は私となるべく過ごすようになったし、一緒に話をしたり映画を見たりすることも増えた。
相変わらず同じ学校の上品な友達としか遊ばせてくれなかったけど、忙しい中で一生懸命愛情を注いでくれたんだと思う。
そんな人たちを、私は責めることが出来なかった。
ひなた君は同じ町内にいるんだから、ほとぼりが冷めたら何とか会うことくらいできるはず…
そう思っていたら、彼はいつの間にか遠くへ行ってしまっていた。
もう二度と会えないと思っていた彼が、今まさに目の前にいる。
あの時のお守りを、ずっと持っていてくれた。
今まで見てきたどの映画よりも、それはすごく夢のようなお話に思えた。
つづく
※元投稿はこちら >>