かれこれ二十分程、車を走らせていた 地方のいう「すぐ先」「五分くらい」を甘く見てはいけない、そう感じていた
〇〇村営養鱒場 ホーロー引きの看板に、そう書かれていた ここだ、ちゃちなアスファルト舗装の山道から、脇の砂利道に入って行った
「よう、ヒデ…ん?」
「すみません、この券、使えますか?」
釣り堀の入り口に有るプレハブ小屋が受付のようだった 中に居た初老の男に釣り券を見せる
「顔に何か付いてますか?」
「ああ、いや知り合いの野郎にあんたがそっくりなもんで、つい見入ってしまってな」
「あ、ヒデさんですか」
やはり裕美子の言う通り、秀之と自分は似ているらしい 本人はそうは思って居ない様子だったが
貸し竿を受け取り、ぼんやりと釣糸を垂らす
玉ウキに板重り、鱒針に練り餌というシンプルなタックルだ
ビールケースが椅子代わりで尻が痛い 一時間と保たずに腰を上げてしまった
20メートル×10メートル程の四角い池には、自分と、向かいに一組の中年カップルしか客は居なかった
「あ、あれヒデさんじゃない?」
「違うよ、髭生えとらんし、年も若い」
「でもあの服、ヒデさんのシャツそっくり」
ここでも秀之と間違われてしまった 居たたまれなくなり、席を立って釣り掘を後にした
車に乗り込むとやにわに雲行きが怪しくなってきた 一雨来る気配がした
案の定、食堂に戻ってきた時には土砂降りになっていた 駐車場に車を止める直前、大慌てで洗濯物を取り込む裕美子を見た
仕事着を脱ぎ、白いTシャツ一枚の上半身は雨に濡れ、下着が透けていた 見てはいけないものを見てしまった気がして、暫く車中で時間を潰してから食堂に入ろうとしたが、入り口には鍵が掛かっていた
それでは、と 隣の古民家の勝手口に回り込む
「おう、お帰り じゃ作業場に付いてきな」
古民家の更に裏手には、離れの様な建物が渡り廊下の先に建っていた
ところ狭しと竹材や動物の毛皮、漆の入った缶などが納まっている 壁際にはズラリと和竿が吊るされていた
その中に、今朝自分に尺岩魚を釣らせてくれた朱赤のテンカラ竿を見付けた 今はちゃんとグリップが付いている 布袋竹の根を丁寧に黒漆で仕上げたものだった
布袋竹の根は個体差は有るが、間隔を置かず不規則に節が入り、根元部は松茸の笠のように膨らんでいて、人の手に馴染みやすい形をしている なんというか、つまる所、男性器そっくりだ 異形の男性器、そういう表現がピタリと当てはまる
「今朝、グリップが無いって言ってただろう? 実は裕美子のお気に入りなんだよ」
「?」
「だから、グリップ外して裕美子に使ってたんだってば」
「はあ」
なんとも間抜けな返事をしていた
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