漆で朱赤に塗られた竿が、美しい曲線を宙に描いている 渓流釣り用のベストの背には、強力な磁石で留められたランディングネットがぶら下げられている 左手で竿を持ち、右手を背に回す
迂闊にも、手を滑らせてしまった ネットは手から離れ、川底に沈んでいく
「しまった」
「これ使って」
気付くと背後には、あの男が立っていた 手には恐らくハンドメイドであろう、綺麗な楕円形をしたランディングネットを持っていた
「多分、尺岩魚だよ」
「すいません、ネット借ります」
朱赤の曲線が大きくたわむ チラと男に目線を向けると、先程まで岩陰であんなことをしていた癖に、今は少年のような眼差しで曲線の先端が差す先を凝視している
「よっしゃ獲ったっ」
水辺まで移動し、ネットの中を覗き込む
男の言った通り、体表に見事な紋様を見せる尺岩魚だった
「自分、尺岩魚なんて初めて釣りましたよ」
「そうか、おめでとう」
改めて男をまじまじと観察する 歳は三十路半ば、背の丈は175センチくらいだろうか、頑丈そうな体躯に短く刈り上げた頭、顎と口元には髭を蓄えている そして、岩魚を目にして満足気に少年のような笑顔を見せていた
「竿、取り戻してくれて有り難う」
「あ、これお返しします…でもグリップが流されたみたいで…」
一瞬、バツが悪そうに目が宙を泳いだ後、男が口を開いた
「あ、グリップ、ね…有るんだ…」
男は振り向き、堰の上から心配そうに顔を出している女を見た 男は口をパクパクさせて、女に合図している
(リッ…リップ…グリップ…)
途端に、女の顔が火が付いた付いたように真っ赤に染まった 朱赤の竿の様な見事な赤面を見せた後、女はヒュッと身を消した
「夏とはいえこのままずぶ濡れでは風邪を引いてしまう、とりあえず食堂に戻ろう」
確かにこのままじゃ釣りにはならない 沈んだ自分のランディングネットも、恐らく流されてしまっただろう 自分は男の言葉に従った
男は食堂の主だった 時刻は九時を回った頃、沢の水音の代わりに、蝉の鳴き声が辺りに響いている
「俺は開店準備が有るから、後は裕美子に任せるよ」
あの女は男の妻のようだ 二人共お揃いの指輪を左薬指に着けていた
「さ、こちらに」
平屋の木造モルタルで建てられた食堂の隣には、同じように平屋の古民家が建っていた
勝手口から上がり込む 古い造りだが、掃除が行き届いていてこざっぱりとした家だ
「主人の短パンとシャツだけど、シャワー浴びたら着替えて下さいね」
奥にに導かれ、浴室のガラス戸を引いた 浴槽はリフォームされていて家の外見とは裏腹に、近代的な設備だった
「じゃ、お言葉に甘えて」
先程まで岩にしがみついて何度も絶頂していた女とは思えない程、ふんわりした可愛らしさ溢れる奥ゆかしい女性に見えた あの時、確かに目の前で絶頂していた女と浴室で二人きりだ 不覚にも、勃起していた 慌てて背を向け、勃起に気付かれぬようにずぶ濡れの格好のまま話しかける
「あ、あの、裕美子、さん? 服、脱ぎたいんですけど」
「あら嫌だ私ったら」
裕美子もまた、赤面しながら慌てて浴室から飛び出して行った
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