「良かった、ぴったりじゃない」
仕事着に着替えた自分を見て、裕美子は微笑んだ おそらく本当に自分は若い頃の秀之そっくりなのだろう 当の本人同士はピンときて居ないが…
「まあ、来る客はいつもの連中か、ドライブ客くらいだから気楽にな」
「はい、飲食店は経験有るんで多分、大丈夫です」
「あ、しまった 昨晩 店閉めちまったからうどん仕込んでねえや」
この店の、有る意味で一番人気、うどんが品切れだった
ガラリ、と店のアルミサッシが開く
「うどんと炊き込み」
「悪いな、うどん品切れなんだ」
農機具メーカーのロゴが入った帽子を被ったオヤジが、狼狽している 品書きをじっくりと三往復程読み込むと、恐る恐る 注文をした
「か、カレー、かな?」
「へい、カレーライス一丁」
秀之が小声で自分に囁いてきた
(おい、タカ、カレーくらい作れるよな?俺は急いでうどん仕込むから、やっといてくれ)
「はい、分かりました」
秀之が厨房から出て行き、うどん打ち用の小部屋に籠ってしまった 仕方ない、やるしかない
豚肉と玉葱を炒め、水を加えて煮込む 業務用のカレールーを溶かし込み、皿に盛った飯にかける 仕上げにグリーンピースを乗せ、福神漬けを添える 至って普通のカレーだ
「カレーライス、出来ました」
裕美子が盆に乗せ、オヤジの元へ運ぶ
神妙な顔をしたオヤジが一口、食べる きょとんとした表情で振り向き、厨房の自分を見た
「あれ?ヒデ…じゃない、誰だ?」
裕美子が慌ててオヤジに話しかけた
「あ、重さん タカちゃんね、あれよあれ、主人の甥っ子でね、しばらく遊びに来てるの」
「成る程、道理で似てると思った 料理の腕は似なくて良かったなあ、おい」
あはは、と愛想笑いを返し、ホッと胸を撫で下ろす 和竿や毛鉤、餌箱など あれほど見事な仕事をする秀之が、何故 料理だけは…そして何故、食堂を開く気になったのか… 謎だった
「うどんと…」「あ、すみません…」
来る客全員と、ほぼ同じやりとりを繰り返し、厨房を覗かれる 頼む飯はまちまちだったが、反応は一緒だった
客足も一段階した所で、やっと秀之が戻ってきた
「待たせたな」
裕美子と二人、顔を見合わせた後、どちらからとも無く 噴き出した
「なんだよおい、感じ悪いぞ?」
憎めない人だな、そう感じていた
一旦暖簾を下げ、一息入れていた 聞けば、秀之の釣りの師匠がうどん屋で、うどんだけはしっかり仕込まれたこと、それ以外の料理は店を開いてから独学で覚えたこと、そもそも食堂をここに構えた理由が、沢へのアプローチが一番近い場所だったから、という 何とも秀之らしいものだったこと…
「じゃ、後は頼むな 本業に戻るわ」
秀之は仕事着を脱ぎ、離れに消えていった
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