(あれから、十年、か…)
通い慣れた国道を走りながら、ぼんやりと昔のことを思い出していた…
(あれ?こんな交差点有ったか?)
震災以降、この辺りのインフラも急激に整備され、毎年度の様に新しい道路が出来ていた
慌ててナビを触り、あの山道へのルートを検索する 何代目かの三菱の四駆が、僅か数秒後に最短ルートを指示した
(昔は地図眺めて、蛍光ペンで道をなぞったもんだったな…)
早朝の国道は、大型トラックが気違い染みた速度で走り抜け 沿道には二十四時間営業の牛丼屋やコンビニがポツポツと建っていた
此処に来るのは一年振り、やはり秀之の命日辺りだった
「半日券で」
養鱒場に併設された エリアフィッシング場の受付には あの時と変わらない親父が座っていた
「あいよ…お、タカか…そういやヒデの命日、今日だったか?あ、昨日か?」
この親父だけは、四半世紀経っても昔のままのジジイだな…一体何歳なんだ?… などと思いながら、釣り座に付く
マイクロスプーンを投げ倒し、地蔵の様に固まっている他の客を尻目に ミノーでポンポンと虹鱒をキャッチする エリアフィッシングはあまり好きでは無いが、禁漁期間中は仕方が無い…
しばらく釣りをしていると、初老の男性が、近付いてきた
「良く釣りますね…何をお使いで?」
「いや、普通のプラグですよ」
よく男性を見ると、麓の釣具屋の主だった
「その竿…もしかして秀の…」
自分の竿の銘を目敏く見抜いた主が、途端に嫌らしい目付きをした
「師匠の竿です…」
「やっぱり…これ、いくらで譲って貰えます? 秀の作品、最近になって引く手あまたなんですよ…ヒヒッ」
「?」
「工房に行っても、奥方がなかなか竿や毛鉤を売ってくれなくてね…今、出回ってる竿…プレミア付いてるんですよ ヒヒッ」
主が金の亡者にしか見えなかった あの時、秀之の作品を絶賛していた人物とは思えなかった…
丁重に断りを入れ、納竿した 山道を下り、秀之が命を落とした、あの沢へ降りた
「師匠…」
長財布程の包みから巻き紙を引き抜き、秀之が好んで吸っていたゴールデンヴァージニアの葉を巻いた
武骨に角ばった、底面に1932と誤印されたジッポーで火を点し、沢に投げ入れた
「不法投棄!逮捕!!」
山道を見上げると、絵美子が笑っていた もう成人を迎え、今は裕美子と二人で食堂を切り盛りしている
「タカ…久し振りね…」
仕事着姿の絵美子が沢へ降りてきた 顔も雰囲気もすっかり成熟し、昔の裕美子を彷彿させた
「毎年来てるの、知ってるよ?家やお墓には来ないけど」
絵美子の言う通り、このまま食堂や墓には行かず、秀之と一緒に釣った沢や、泊まった宿などを巡って帰るつもりだった… 絵美子と会うのも、三年前、七回忌以来だった
「此処にいると、何故分かった?」
悪戯な笑みを浮かべながら、絵美子がスマホを取り出した
「十三さん…ほら、あそこ」
遥か上方の崖に、望遠鏡の様な測量機器を据え付けている十三らしき姿が見えた、ような気がする 四十を過ぎた辺りから、悲しくも老眼が始まっていた
「あの人、まだ仕事してるのか…」
「今日は逃がさないわよ、タカ…ママも会いたがってるし」
「あら、タカちゃん!」
絵美子の軽トラに先導され、食堂に着くや、裕美子が勝手口から飛び出してきた 最後に裕美子と交わった、七回忌の夜を思い出していた…
「絵美子を抱いた後でも、相手してくれて有り難うね、タカちゃん…」
「まあ、こうなるんだろうとは、薄々と…」
「いやん、タカちゃん…まるで私が淫乱みたいじゃない…主人以外はタカちゃんだけなのよ?」
脂の乗りきった豊満な身体は、年に一度の交わりを堪能し 初冬だというのに全身が汗ばんでいた その数時間前には絵美子に半ば強引に押し倒され、喪服のまま馬乗りで精を絞り取られていた
三年前を思い出しながら、食堂のカウンターに座り、メニューを何気無く手に取る
「タカ、お昼まだでしょ?何か作るよ?」
「じゃあ、カツ丼 頼むよ」
初めて この食堂で食べたカツ丼… あの味は忘れられない…
「はい、カツ丼お待ちどうさま」
絵美子がこしらえ、裕美子が運んできた 大根の糠漬けが 脇にちょこんと添えて有った…
(!…醤油の味しかしない…同じ味だ…)
「絵美子…」
「なあに?タカ?」
「ご飯が進む味だな…」
「ちゃんと食べないと、身体が保たないわよ?タカちゃん?」
裕美子が意味有り気に微笑み、絵美子は自分を見つめ、上唇をペロリと舐め上げていた…
裕美子と絵美子、自分が食堂で騒いでいる頃…
誰も居ない作業場の壁にぶら下げられた、朱赤のテンカラ竿が、嬉しそうにゆらゆらと揺れていた…
完
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