「タカ…お仏壇 こっち…」
「何言ってるんだよ、仏壇がどうしたんだよ?」
絵美子が無言で 袖を引いている いつもの勝手口ではなく、玄関に通された
家の中は、白檀の匂いに包まれていた それが奥の間に近付くにつれ 強くなっていく
「あら、タカちゃんじゃない 久し振りね」
茶の間には 裕美子が座っていた いつもと変わらぬ、ふんわりとした可愛らしい笑顔を自分に向けているが、逆に絵美子の表情は強張っていた
「あ、御無沙汰してます…」
いつもと変わらぬ裕美子の様子に、緊張が解けていた ほら、いつも通りの裕美子じゃないか…
「あの…師匠、は…」
「今日は一日中、作業場に籠りきりなの…」
「ママ…」
絵美子の手を振りほどき、作業場の戸を開けた だが、そこには誰も居なかった 絵美子が背後から 呟いた
「パパが居なくなってから、ママ、おかしいの…」
聞こえぬふりをし、再び裕美子に話しかけた
「師匠、何処かに出掛けてるんですかね?」
「そうね…」
絵美子が、奥の間に続く襖を 開けた
「ママ、タカ…パパは ここだよ…」
あの南部箪笥の隣には、真新しい仏壇が備え付けられ、両脇の提灯は水色の影を映し出していた 白檀の匂いが、一際強く鼻腔を刺激する…
「ヒデさん…」
仏壇の前に立ち尽くす自分に、絵美子が線香を差し出した
「禁漁中に釣りしてた親子と、漁協の人が揉めてたんだって…弾みで子供が落水して、沢の上で竹を取ってたパパが助けようとして…助けようと、して…」
絵美子が、顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしていた 絵美子を抱き寄せ、泣き顔を自分の胸で隠した
「タカちゃん、お腹空いてない?丁度大根が良い塩梅に漬かってるの 食べる?」
裕美子が微笑んでいた 絵美子が顔を上げ、再び泣きじゃくる…
「タカ…タカ…」
絵美子を抱き締めたまま、その場にへたり込んだ 現実を受け入れたくなかった…
不安定な裕美子を絵美子の部屋に寝かし付け、絵美子が出してくれた赤筋大根の糠漬けをつまみながら、仏壇の前で冷酒を飲んでいた
「小僧、来てたのか」
十三が不似合いなアタッシュケースをぶら下げながら、上がり込んで来た
「ヒデもバカだよな…ガタイばかり良くても、身体はボロボロで力なんか無い癖によう…」
「十三さん…」
「裕美子に会ったか? ヒデが死んでから、ずっと ああだ…正気に戻れば、泣いてばかりで、な」
絵美子が十三に茶を差し出したが、十三は要らぬという仕草をし、話を続ける
「バタバタしてたが、色々一段落した所だ」
十三が アタッシュケースの留め金を外し、中を見せた ぎっしりと現金が詰まっていた
「十三さん、このお金…」
「釣りしてたバカ親に、子供を助けた礼をさせた…これはヒデの金だ…」
十三がどんな手を使ったのかは、聞けなかったが、この金を持って来たのもまた、裕美子の為なのだろう…
「タカ、今日は泊まって行くでしょ?」
半年前より、格段に大人びた絵美子が不安げに尋ねてきた 代わる代わる親戚筋や千代子などが面倒を見ていたが、実父でありながら 絵美子が心と身体を許した相手、自分の方が安心するのだろう…
「ああ、仕事はしばらく休むよ…嫁にもさっき連絡したから」
「本当?嬉しいっ」
今日、ここに来て、初めて絵美子の笑顔を見た…
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