サクラには何故か忘れられない文章がある。
教科書に載っていたのだろうか、それは草木染めに関するエッセイであった。
全文は覚えていないのだが、強く印象に残っているその下り。
桜の花弁の色を染め付ける際、染料を得る為に用いられる素材に関する話であった。
素材として用いられるのは桜の花、或いは実や種かと思いきや、桜の樹木そのもの、しかも樹皮を用いるのだという。
桜の木、しかも樹皮と言われても、その時のサクラにはイメージが湧かない。
それっきり忘れていたのだが、ある日、近所の道端に植えられている樹木が桜だと知った瞬間、その記憶が蘇る。
その苔むした樹皮は、見た目にもゴツゴツとして無骨であり、指で触れれば外観通りの感触が指先に返ってくる。
桜の花弁、その微妙な色合いが、この無骨な樹皮から再現される。
その事実は意外でもあったが、不思議なことに何故か腑に落ちた。
理由は分からない。
それ以来、サクラは何故か桜に心を惹かれるようになっていく。
「サクラだから桜が好き。普通じゃない?」
周囲の意見は概ね一致しており、判で押したような反応を示される。
だが、事実は微妙に異なっていた。
正確には『桜が好き』なのではなく、『桜に惹かれてしまう』のだ。
そして『惹かれる』のは全てにおいて、好ましく惹かれるわけではなかった。
そのひとつの例が夜桜だ。
そして全ての夜桜が常にそうだというわけでもない。
サクラは時と場合により、夜桜を恐ろしく感じる時があった。
内臓を身体の芯に沿って鷲掴みにされ、呼吸すらままならないような感覚。
恐ろしければ目にしなければ良いし、近寄らなければ良い。
その場から去れば済むことだ。
だが、それが出来ない。
脚が竦み、視線を逸らすことが出来ない。
一年に一度だけ花を咲かせ、十日もしないうちに散る桜の花。
その刹那的な生と死。
そして毎年、場合によっては何百年と繰り返される再生。
桜の木が裡に秘めた禍々しい程の生命力に圧倒されながら、サクラが感じているのは怖れでもなく、恐れでもなかった。
それは畏れ、畏怖の念なのだが、サクラ自身はそれを理解していない。
理解こそしていないものの、サクラが自覚する現象があった。
強大な生命力を前にする時、無意識のうちにサクラは死を意識して昂ぶりを感じる。
死を意識した生命が、種の保存の本能を刺激する為なのであろうか。
サクラには分からない。
だが、夜桜に畏れを抱いた夜、必ず忌々しい程に欲情してしまうのは事実であった。
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