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林檎に毒を盛った魔女と、まんまとそれを利用した白雪姫。いまの自分の中には、果たしてどちらの『女』が存在しているのだろうか──。
通話を終えたばかりの携帯電話をダイニングテーブルに置き、香純は悩ましくため息をついた。発信履歴には『北条』と表示されている。
夫を亡くしてからというもの、自分を取り巻く環境は目まぐるしく変化しているというのに、その中心にいる自分だけが取り残されているようで、香純は言いようのない孤独を感じていた。
通夜や告別式こそ気丈に振る舞っていたのだが、初七日法要を終えた頃になると、夫の遺骨を前に物思いに耽ることが多くなっていた。
この現実を受け入れるには、もうしばらく時間が必要な気がした。
「あなたはもういないのですね」
香純は呟きながら遺影の正面に立ち、ゆっくりと両膝を折っていく。そして線香をあげて合掌すると、すうっと立ち上がり、両肩を抱きすくめるようにして着衣を脱ぎ落とした。
黒のワンピースの次に、おなじく黒いスリップを、ついには黒で揃えた下着をするりと脱いでしまった。色白の裸体の足元で、黒い衣がとぐろを巻いている。
「この痣(あざ)が消えてなくなったとしても、あの頃の私にはもう戻れない。せっかく女として生まれてこれたのに、こんな体、誰も愛してくれないでしょう」
そう言いながら香純は自分の腹部に視線を流し、そこに残る醜い痣を指でなぞった。赤紫色のそれは、ちょうど林檎大くらいのまるい形を浮き上がらせている。
痛くも痒くもないが、一生消えることはないと医師からも告げられていた。忘れたくても忘れられない忌まわしい記憶が、香純の美しい皮膚に寄生しているのだ。
涙は、遠いむかしに置いてきたつもりだった。こんなふうに裸体を晒すことに抵抗を感じなくなるまで、どれくらいの時間を費やしただろう。
それを思うと、抑えていた感情が涙となってぽろぽろと溢れ出してきた。と同時に、膣に微熱を感じる。
濡れている──香純はそう思った。指先の感覚だけで確かめてみると、ほんとうに濡れていた。
家には自分独りきりなのだ。今ここで、秘め事を楽しみたいと思っている。
喪に服した身でありながら、香純は畳の上に寝そべり、両膝を立てて開脚した。そしてその中心にある皮膚の花びらへ右手を伸ばし、左手で乳房をむずむずとまさぐった。
さっきよりも息が荒くなってきている。指の腹で乳首をころがすと、そこは銀杏みたいに硬かった。それでいて快感が詰まっている。
あっ、と反応する自分の声に恥じらいながらも、下半身の割れ目を容赦なくこねくりまわす。
ぴちゃぴちゃと音をたてる指と陰唇、ときどきクリトリス。莢豌豆(さやえんどう)の豆を剥き出し、甘い刺激をあたえた。
しだいに敏感になって、神経が毛羽立っていくような感覚を知る。上唇と下唇とをすり合わせ、うっとりと目を閉じると、実体のない人影に犯されている場面を想像した。
執念深い指使いが、体中を這いずりまわる舌の動きが、凶暴な男性器から注がれる歪んだ欲望が、香純のイメージ通りに快感を浴びせてくる。
強姦された暗い過去は封印したはずなのに、妄想の中の自分は、その禁断の味に悦びを感じているのだ。
憎たらしい男を受け入れることで、女の部分を満たし喘いでいる。
狂っている──香純はそう自嘲した。家の外に出れば貞淑な良妻の顔を通しているけれど、こんなふうに人目を遮断してしまえば、あとはもう行き着くところまでどこまでも堕落していくのだ。
気がつけば三本もの指が膣を出入りしていた。動きは大人しめでありながら、得られる快感は果てしなく、病的なまでに身を滅ぼしていく。
気持ちが良すぎて、しんでしまいそう──。
香純は身を起こした。そして膣から指を引き抜き、白濁の糸を引いたそれを口にふくみ、味わうようにしゃぶる。そこでも糸が垂れた。
体の芯が物足りなさで疼いていた。火照りが冷めないうちにその足で玄関に向かい、棚に飾られた民芸品を物色した。
ふとして靴脱ぎの先に目をやると、そこには紳士用の履き物があった。夫である孝生のものだ。
その靴を履いてこちらを振り返る孝生の姿が目に浮かぶが、香純はすぐにその光景を払拭し、民芸品の一つを手に取った。自慰のつづきを、これに頼るつもりなのだ。
香純はしばらく手の中で、その『こけし』を可愛がるように扱った。
それに飽きると今度は玄関ドアを正面にして立ち、片足を壁にかけ、片手で反対側の壁を支えにいく。利き手には『こけし』が握られている。
昼下がりに乱れ散る哀れな未亡人のことを覗き見る者はいない。それでもドアの向こうに人の気配を期待しながら、香純は『こけし』を握りなおし、調わない呼吸に肩で息をする。
ここが入れるタイミング──そう思った瞬間、香純のおもちゃは鈍い音をたてて、膣深くにまで埋没した。
はあああ、と長い吐息で緊張を抜く。そうして『こけし』を握った手をひくひくと動かせば、極まった快感が膣と脳とをつないで痺れさせた。
爪先にまで力が込もっているせいで、微かに指先が白い。
知らず知らず込み上げてくる声は、いやらしいピンク色に染まって耳にとどく。
湿る肌、猥褻な唇、揺さぶられる乳房、あらゆる部位が無防備に露出している。
もしもこの姿が人目に触れたなら、自分はあっという間に絶頂へ達してしまうだろうと香純は思った。
いくう……、いくう……、あああいくう──。
骨盤が小刻みに震え、挿入をくり返す姫穴から吐き出されるものが、板張りの床に液溜まりをつくっていく。つつつと滴ったり、ぽたぽたと撒き散らしたり、行儀の悪い女を演じているのだ。
そうして意識の糸が切れるまで、膣の口径を広げながらいじくり尽くしていく。
やめてください……、私には主人が……、ああもうだめになりそうなんです……、何も言えなくなってしまう……、どうか許して……、だめ、だめ、あああ、いい、いく、いく──。
下腹部がよじれ、胸はきゅんとくすぐったい。
そうして香純はその場に崩れ落ち、巾着を絞めるように局部を痙攣させていた。
こんなことまでしているのだから、アブノーマルな女だという自覚はある。しかしこんな体質になってしまったのは、あの事件を体験したからではないのか、と香純はまた古い記憶を思い起こして遠くを見つめた。
そんな時、家のインターホンが鳴った。玄関口の小さな窓に人影がある。
香純は汚れにまみれた『こけし』を床に転がし、全裸のまま受話器を取った。
「はい」
と応答しながら壁に寄りかかる。
「宅配便です。花井香純さんはご在宅でしょうか?」
「私ですけど」
体育会系の雰囲気がある声を相手に、香純は気持ち良く応対した。
「印鑑、いただけますか?」
「少しお待ちください」
香純は丁寧に受話器を戻すと、さっき脱いだ黒色のワンピースだけを着て、印鑑を手に玄関ドアを開けた。暖かい陽気を浴びた外の空気が、香純の足首を撫でた。
宅配業者の人間は若い男だった。
「ごくろうさまです」
「こちらに印鑑だけ、お願いします」
香純は伝票に押印し、荷物を受け取った。
たったこれだけのやりとりのうちに、香純は彼の視線が気になっていた。前屈みの姿勢で印鑑を押した時には、彼の視線は胸元にあてられていて、だから香純は胸元を手で隠す仕草をした。それからしゃがんで荷物を受け取った時などは、擦り上がったワンピースの裾から中身を覗き込む彼の目に気づき、さり気なく着衣をなおした。
下着を着けていないことが彼に知られたら、きっとただでは済まないだろう。しかも体の芯はまだ興奮が冷めないでいるのだ。
「あの……」
と男の口が動いた。
香純は目の表情だけで、何か?と聞き返す。
男は目の前の美女から視線を逸らし、棚の『こけし』に注目した。妄想はすぐに膨らんだ。
いまここでこの人を押し倒して、あれを体に突っ込んだり、めちゃくちゃにレイプして気絶するほど逝かせてみたい。それが無理なら、あれを使ってオナニーに狂うこの人の姿を見てみたい。いや、きっとどちらも叶いっこない。外見が綺麗な女の人はそれなりに節操があるし、下手な誘いには見向きもしないだろう。自分とは住む世界が違う。そういう目には見えない境界線を越えた時、自分は犯罪者になっているはずだ──。
「どうかされました?」
ワンピース姿のお姉さんに声をかけられ、男はようやく妄想から覚めた。みっともない顔をしていたに違いなかった。
「ありがとうございました」
男はすぐに仕事の顔を取り戻し、花井家を出た。
最後に口から出た礼は、妄想のヒロインになってくれてありがとうございました、という意味で言ったつもりだった。
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