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◇
「ラーメン、おまちどお」
白いコック帽を被った初老の店主は、カウンターにどんぶりを置いた。
客の男はそれを自分の前まで引き寄せると、箸もつけないうちに、
「昔ながらの和風だしの中華そばだね」
などと知ったふうな口を利く。
店主は面白くない顔をして、
「そばじゃねえ。うちは昔っからラーメンしか出してねえんだ」
と腕組みの姿勢をとった。まさしく労働者らしい太い腕をしていた。
男性客はスープの中に箸をくぐらせると、そこから引き上げたちぢれ麺を一気にすする。
そして納得の表情で何度か頷き、立ち上る湯気の中で、美味い、美味い、と絶賛しながら食べつづけた。
美味くて当たり前だ、と店主は無言で次の仕込みに取りかかる。
「じつはですね」
客の男があらたまって言った。
「僕はラーメンを食べに来たわけじゃないんです」
突然なにを言い出すんだという目で、店主は彼のことを凝視した。
「少しだけ、お話を聞かせていただきたいのですが」
そう言って彼は手帳を示し、加えて北条(ほうじょう)と名乗った。
店主の顔に焦りの色が滲んだ。
「それってまさか、今朝の事件のことですかい?」
「そうです。あなたの奥さんが公園で発見したという、あの全裸の女性についてです」
「うむ……」
あまり関わりたくないのか、店主は明らかに狼狽している。
幸いにも北条以外に客はおらず、込み入った話がしやすい状況ではあった。
「わたしが自分で見たわけじゃないから、正確なことは言えませんがね」
そう前置きをしてから、ラーメン屋の主は渋々といった感じで喋りだした。
「うちの女房がね、いい歳してるくせに若い恰好でウォーキングをやるわけですよ。なにが楽しくてそんなことをやり始めたんだか。それがねえ、なにをやっても三日坊主だったあれが、めずらしく続いてるじゃないですか。わたしに言わせれば──」
「お話の途中、すみません」
「はあ」
「その部分は結構なので、今朝の状況だけ聞かせてください」
北条が申し訳なさそうに口を挟むと、空気の読めない店主はきょとんとした。そして中空を漂わせていた目を閃かせ、話のつづきをした。
「そうそう、そのウォーキングコースの途中に、ちょうどあの公園があるようなんです。んで、不法投棄っていうんですかね、壊れた電化製品に混じって大きなごみ袋が放ってあったとかで、その中身を確かめたわけですわな」
「そうしたら中から全裸の若い女性が出てきた、ということですね?」
「はあ。女房はそう言っておりました」
「それは何時くらいの出来事でしたか?」
「どうでしょうな。だいたい五時半から六時のあいだってところですかねえ。何せ女房のやつ、帰るなり床の間にこもってしまいまして、口を開いても曖昧なことしか言わねえんです」
「お察しします」
北条はゆっくりと瞬きした。
「ところで、被害者の女性の身元についてですけど。青峰由香里という名前に、心当たりはありませんか?」
若い刑事の問いに、店主は首を横に振った。
「それではあなたの奥さんは、被害者の女性以外に何かを見たり、聞いたりしたということは、おっしゃっていませんでしたか?」
この問いに対しても、店主の反応はおなじだった。
「わかりました。ありがとうございます」
北条はスマートに手帳を仕舞った。
そこでようやく重い荷が下りたというふうに、店主は大きな溜め息をついた。
「最後にもう一つだけ、お願いがあります」
と北条は右手の人差し指を立て、相手の返事を待たずにこう繋いだ。
「餃子も一人前、お願いします」
*
北条は店を出るとすぐに手帳を開いた。そしてそこに書かれた文字を事務的に目で追う。
被害者となった女性は、青峰由香里、二十五歳の専業主婦だ。全裸の状態でごみ袋に入れられ、公園に放置されているところを近所の主婦が発見する。
命に別状はなく、目立った外傷も特になし。陰部に乱暴された痕跡があり、膣内には複数の男性のものと思われる精液が残留していた。
ごみ袋の中身については、被害者自身のほかに、辱めに使われたであろう道具が多数見つかっている。ごく一般的なバイブレーターやディルドのほか、小型ローター、シリンジ、首輪とリード、被害者の私物といった具合だ。
さらに被害者の手足には玩具の手錠がはめられており、口は猿轡(さるぐつわ)で塞がれていた。
警察側は強姦事件と断定し、犯人捜索に人間を充てるつもりでいたのだが、この件に関して事件性はまったくないと言った人物がいた。
外でもない、それは被害者である青峰由香里本人の口から出た言葉だった。
彼女はどうして嘘をついたのだろう──北条は目をしかめ、冷静に次の手を探っていた。
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