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◇
「ほんとうの私のことなんて、何も知らないくせに」と香純が口答えしてきた。
「言い方は古いけど、火遊びをしたくなることだってあるんだから」
「あなたが火遊びか。まったく想像がつきませんね」
「使い古したおもちゃを私がどこに棄てているのか、それだって調べてあるんでしょう?」
付き合いきれないなと思いつつ、北条は頷いた。
「全裸の青峰由香里が見つかった早乙女町の公園、あそこは以前から不法投棄が酷かったと、彼女を発見した主婦が話していました。その主婦にもあなたの顔写真を見せました。そうしたら、卑猥な形をした玩具を投棄しているあなたの姿を見かけたことがあると、そんな台詞が返ってきました。どうです、これで満足ですか?」
そんな刑事の軽薄な一語一句が気に入らなくて、香純は思わず腰を上げた。北条の目線の高さに、香純のくびれのあたりがくる恰好だ。
「私の性癖を教えてあげる」
それは異世界からの囁きのようだった。北条は瞬きもできずに、ただ前だけを直視していた。
女物のカーディガンが見える。前閉じのボタンが外され、花柄のカットソーが覗くと、躊躇うことなくそれがたくし上げられた。
ブラジャーに包まれた乳房、そのすぐ下に、赤い林檎が浮かび上がっている。いや、それこそが近親相姦を物語る忌まわしい痣だった。
肉体は若く美しいままなのに、花井香純にふさわしくないものが沈着していたのだ。
女はさらに色を仕掛ける。スカートに指をかけるだけで、それはいとも容易(たやす)く脱げ落ちた。そこは女の恥部であり、面積の狭いショーツで覆われていた。
片脚ずつ折り曲げながらショーツを下ろしていくと、淫らな花園が姿を現した。裂け目は下を向いているので、北条の位置からでは確認できない。
「待ってください」
北条が沈黙を破った。
けれども香純は従わなかった。後ろのバッグに手を入れ、ふたたび取り出した手には黒いディルドを握っていた。喉が渇いたと言って中座したときに仕込んだのだろう。
歪(いびつ)な男性器をかたどった彫刻のようにも見えるそれを椅子の座面に立てると、下半身のそこに狙いをつけ、わなわなと腰を落としていった。
「もうやめましょう」
そんな北条の制止も虚しく、香純は異物を受け入れた。
あうっ──という香純の儚げな肉声が聞こえた。そこに収まるのが当然であると思えるほど、雨天のようにぐずついた香純の膣は、その黒い具をしっかりとくわえていた。
いじめて欲しくて仕方がない──香純の表情はそういう種類のものだった。いまにも泣き出しそうだ。
体を上下に揺すり、豊かな液を垂らして、そこから聞こえる音もしだいに熟れていく。
ねっとり、ねっとり。
ねち、ねち。
くちゅ、くちゅ。
ちゃぷ、ちゃぷ──。
快楽を訴える声が、香純の口から漏れている。このままでは、彼女はほんとうに果ててしまう。そこで北条はこう言った。
「香純さん。あなたにとって最も残酷な事実を、僕の口から言わなければならないようですね」
そう言われたことで、香純の動きが大人しくなった。刑事が告げようとしている次の言葉を待っているのだ。
「あなたはすでに、子宮を失っている。違いますか?」
香純は息を呑んだ。彼と視線を合わせることもできず、自分の振る舞いが惨めに思えてきたのだ。
痛いところを突かれたというより、『もうこれ以上、自分を偽らなくてもいい』という慰めの言葉にも聞こえた。
じわりじわりと込み上げてくる感情が、香純の目頭を熱くしていく。そして下半身に挟まっている物が床にごろりと転がると、そのままの体を椅子に沈ませた。
「あなたは、子宮を全摘出する大手術を経験した。そうなってしまったのも、外でもない父親から受けた暴行が原因だった。損傷したままの子宮を放置すれば、今度はあなた自身の命に関わる恐れがあった。つまり、あなたに選択の余地はなかったのです。その手術を執刀したのが、木崎ウィメンズクリニックの木崎智也(きさきともや)という医師だった」
ぐったりとうなだれ、剥き出しの両脚を内股に畳んだ香純に向かって、北条なりに優しく喋った。
「手術自体は別の大学病院で行われ、無事に終わった。しかし木崎智也はその後、ある物をクリニックに持ち帰っています」
数秒の沈黙があって、「それは、摘出したあなたの子宮です」と北条は言った。
一瞬、部屋の温度が下がったような気がした。
「もちろんこれは違法にあたります。ですが、それを望んだのは香純さん自身だ。そうしてかけがえのない物を失ったショックから、あなたは恐ろしい行動に出たのです」
そう言いながら北条はキッチンの方向を指差した。
「もし、あなたの体の一部が、あの冷蔵庫の冷凍室に眠っているとしたら、あなたはある意味、魔女よりも恐ろしい人だ」
その言葉は、香純の耳にも届いているはずだった。しかし香純は感情がうまく表現できないでいた。ただ涙を流すだけの、表情のない人形のように見えた。
「木崎智也の存在を我々に知らせてくれたのも、藤川透でした。彼が亡くなった直後、警察宛てに一枚のDVDが届きました。送り主はやはり藤川透でした。収められた映像の中に、青峰由香里や月島麗果を凌辱する木崎智也の姿がありました。あなたの手術に携わっていた医師は、そうとう歪んだ性癖の持ち主なのでしょう。だからこそ、あなたが子宮を要求したときには、彼は快く引き受けたのだと思います。そうしてあるとき、自宅の冷凍室に保管してあった子宮を、夫である花井孝生に見られてしまった。これは何だと、しつこく問い詰められたことでしょう。僕は彼に同情します。小さなクーラーボックスの中から出てきたのが、グロテスクな朱色をした肉片だったんですからね。それが食用の精肉だったなら話は別ですが、まさか人間の臓器だとは彼も信じなかったでしょう」
「私が喋りました。孝生さんには、ほんとうのことを全部告白しました。そうしたらあの人、悪趣味な嫁なんて、子どもが産めない妻なんていらないって、外で浮気をするようになったんです。だから……、だから私……」
遠く彼方へ懺悔するように、香純の声は天に呑まれていった。
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