『ヴァギナビーンズ症候群』
17
千佳は新婚初夜を迎えていた。といっても、新郎の三上明徳の姿はどこにもない。
目はぱっちり覚めているというのに、頭だけが霧の中にあるようにもやもやしている。生理日が近いわけでもないから、貧血の可能性は低い。
八月に入ってからしばらく、例年以上の猛暑が続いていたせいで、今夜も熱帯夜になるだろうと予想はしていた。
それにしてもこの体調の異変は、睡眠薬を飲んで眠ったあとの目覚めの症状によく似ている。
千佳はそこまで気づいておきながら、自分がどんな格好をさせられているのかはまったくの無関心だった。部屋の明かりが消えているせいもある。
それに嗅覚を利かせてみると、絵の具のような匂いがするのである。
あまりにも体が重いので、彼女は水でも飲もうかという具合に、上半身を起こそうと試みた。ところがだ。
あれ?どうして?なんで?
千佳は起き上がれなかった。得体の知れないものが体中に張り巡らせてある感覚、それと下腹部を中から圧迫する不気味な存在感。
二十三歳の成人女性の身体能力は、そのすべてを封印されていたのだ。
「うう……うん……、なによ……これ……、ちょっ……とっ」
何かの悪い冗談なのか、それとも事件に巻き込まれてしまったのか。
そういえば、と千佳は今日あった出来事を巻き戻してみた。
披露宴の途中のお色直しを済ませて、キャンドルサービスの為に新郎の三上明徳と共に列席者の各テーブルをまわった。
カメラのフラッシュが焚かれた瞬間は目が眩みそうにもなったが、気分が悪くなるほどでもなかった。
メインキャンドルに火が灯り、会場全体が神秘的な雰囲気に包まれていて、どこからともなく聴こえた祝福の讃歌も心地良さを運んでくれていた。
一同が着席して、私は新婦側のグラスの一つを手に取った。黄金色のシャンパンが豊かな気泡をつくっていた。
私がグラスを掲げると、合わせて彼もグラスを高らかに構えて、二人で乾杯した。
彼が一口飲むのを見届けてから、続いて私もグラスに口を付けた。
いつものように笑い上戸になり、しばらくは陽気に振る舞っていたような気がする。
様子がおかしいと感じたのは、それから三十分ぐらい経ってからだと思う。最初に眠気がやってきて、間もなく視界がぼんやりと壊れはじめたのだった。
黒い海なのか、黒い空なのか、黒いカーテンだったのか。そこで私は記憶を無くす。
そうして気がついたときにはもう、薄暗い部屋に一人寝かされていた。
ここはどこだろう。経度や緯度もわからない、地図にも載らないような場所なのではないかという孤独。
変質者によって辱められ、望まない性交渉の果てに、飼育されながら生きるしかない未来への絶望。
「いや……そんなの……絶対……。三上さん……。お姉ちゃん……」
暗闇に向かって呼びかけてみても、返ってくるのは静寂ばかり。
そして千佳はだんだん自覚していく。自分は全裸で、素肌を締め付けているのはおそらくロープ。
それに、もっとも触れられたくないデリケートな肉体の隙間に挿入されているのは、女を差別する憎たらしい異物。
ならばここにはもはやロマンスなど存在しない。あるのは自分自身の……秘めたるマゾの遺伝子のみ。
細胞組織が子宮や卵巣を形成するずっと前から、私の性別は『女』だったのだろう。そして性欲が満月のように膨らんでしまった時のために、人類がヴァギナとビーンズ(クリトリス)を進化させてきたのだとしたら、すべての女性は生理に逆らうことはできない。
「いやだ」と口で拒絶したとしても、「欲しい」と脳が勝手に情報を書き換えてしまう。
「やめて」と連呼しようものなら、脳内神経はそれをエクスタシーだと判断するかもしれない。
千佳は自分に嘘をつくことをやめて、膣を割られる感触に従ってみようと思った。
彼女は天井を見ていた。すると突然部屋の明かりがかちこちと点いて、眼の中のレンズが収縮する感覚があった。誰かがいる。
「……?」
千佳は喉が萎縮して、声が出せないでいる。
「あら、起こしちゃったみたいね。気分はどう?」
その女性は姉の声でそう言った。姿まで姉の琴美にそっくりだから、この状況を作り上げたのはやはり姉ということになる。
「ちょ……、やりすぎだよ、これ。お姉ちゃん?」
思ったとおり、千佳は全裸の体をロープで縛られた上に、脚の短いテーブルに仰向けに寝かされていたのだ。
テーブルにまでロープがまわっているので、千佳の活動範囲も大幅に制限されている。
そしていちばんの衝撃は、局部を犯しているものが、かなりの大物だという事実だ。
トロピカルフルーツみたいなパッション系の色で、見た目は可愛い。本体のバイブレーターと子機のローターとが同時に楽しめる、カップリングタイプのアダルトグッズだ。
「ほんとうは千佳もこういうの好きでしょう?たった二人きりの姉妹だもん。隠し事はなしにしようよ」
「私が三上さんのことをお姉ちゃんから奪ったから、それで怒ってるんでしょう?」
「奪われたなんて思ってないよ。だって、あなたたち二人がラブラブだったのも知ってたし、私にも新しく打ち込めるものが見つかったから」
「それって、新しい彼氏のこと?」
「彼氏……というのとはまたちがう感じ。妊娠はしたけど、その人と結婚するつもりもないし。なんていうか、大人の関係みたいな」
「そんなのだめだよ。お姉ちゃんは私の憧れなんだから。自分にだけじゃなくて、誰にでも厳しくしていたじゃない」
千佳は必死で訴えたが、琴美に対してこれは空振りに終わる。
姉は全裸の妹に寄り添い、レズビアンのような雰囲気で迫っていく。
「私が、いいことしてあげる」
「お姉ちゃ……」
千佳の背すじは凍りつきそうに冷たいのに、それを溶かすほどに下半身は熱くなっていた。
膣にはバイブレーターが、さらにアナルには子機のローターが埋まっている。
琴美はそれらを操作しようと、スイッチに指をかける。
だめ、と言いたいのに、千佳の本能がそれを許さない。
琴美は美しく静かに微笑み、禁断のスイッチを押した。
「ううっ!」と千佳は漏らした。冷感が先か、温感が先か、膣と直腸を同時に襲ったその刺激は、女のプライドを粉々にして跡形も残さない。
「いん、あん、だめえ、うっうん……んふ……ふっ」
千佳の喘ぎに被さるモーター音が──ギュイイン、ウイイン──とミキサーの役割を果たして鳴っている。
愛穴は前も後ろも切なくて、肌に浮き出た汗の結露は愛液と混じって滴る。
「後悔もできないくらい、気持ち良くさせてあげる」
琴美は千佳の乳頭にキスをした。つづけて舐める。乳房はヴァニラ味のソフトクリームだ。口溶けは良く、弾むような弾力が舌を押し返してくる。
「やめて、あっあふ、ふうん、お姉ちゃん」
ちゅぱちゅぱ、と大げさな音を立てながら、千佳のバストに唾液と吐息がかかる。
「ここでしょ。ここがいいんでしょ?」
琴美の指が千佳のクリトリスを撫で狂う。
「ひいっ!」
眉と眉がくっ付きそうなくらいに、千佳は眉間に力を込めた。
「千佳のあそこ、いつまで我慢できるだろうね」
妹の女性器に入ったままのバイブレーターの尻尾を握ると、姉はそれを激しく出し入れさせた。
「ああっ、ああっ、あっ……かふ、はあうん」
膣と陰唇の尖った神経に──しゃぶしゃぶ、しゃぶしゃぶ──と侵入してくる快楽を拒めない。
「いく?」
「ううん……、いかない……あっ」
「こんなにバイブがびしょびしょなのに?」
「はっだめ……、あんだめえ……」
女同士だからわかる。陰唇が伸びて粘ついているのは、女性ホルモンが著しく増えてきている証拠だということを。
クリトリスも目立つほど紅くなっている。
「いじわるしないで……いっ……ひっ……ぐっ……」
意識はあるのに、脳内には快楽のストレスが積乱雲のように立ち込めている。
体は蜘蛛の巣に捕らわれ、膣は蜂の巣にされている。
そこから溢れるローヤルゼリーを味わう琴美。女性器への接吻で喉が潤い、食道に膜ができる。
「お姉……あっ……いく……ひぐ……、もういく、いくう……」
きんきんと鼓膜に刺さる千佳の欲情。息の根を止めるわけでもなく、しかし絶頂にいちばん近いところを速いリズムで掻きまわす。
つぎの瞬間、千佳の様子が急変した。導火線が燃え尽きて、花火が上がった。大輪のスターマインが目の前で散っていく。降りかかる火の粉を全身に浴びて、それによって膣はびゅくびゅくと痙攣し、血液はオルガズムに洗われる。
ふっと瞼が下がり、ロマンチックな余韻に包まれたまま、やっぱり自分は女の子で良かった、と千佳は思う。
お腹が痛くなるほど笑ってみたい。涙が枯れるほど泣いてみたい。そして、気絶するほどセックスしてみたい。
今度生まれ変わっても絶対、親の面影を受け継いだ女の子がいい。
いつの間にか千佳はロープから解放されていて、両脚を内股に折って座っていた。室内犬がそうするみたいに、そこに水溜まりができて濡れている。
姉妹は微笑みを交わし、姉よ、妹よ、と絆よりも太い運命の糸を再確認した。
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『ヴァギナビーンズ症候群』
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