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「飲まないの?」
駅の近くにあるファストフード店で、私は彼女にドリンクを勧めた。
「どうして……」
幼くみずみずしい唇がうごいた。
「どうしてあんな余計なことしたの?他人なのに……」
彼女の強気な口調に、私の眉間はしわしわになる。
「余計な……、他人……?」
「たすけて欲しいなんて、頼んでないから……、あたし……」
まるい瞳を鉱石みたいにキラキラさせているくせに、憎まれ口は減りそうにない。私は敢えて善人を担当してみた。
「他人には思えなかったから、私はどうしてもあなたを助けたかった。本当はね、私も怖かったんだ、次は私が狙われるんじゃないかって。けど良かった、あなたに怪我がなくて」
満点は貰えないにしても、この言葉は彼女のどのあたりにまで響いてくれるのか。
しかしそれはやや響きすぎたようだ。いや、私の言葉に反応したのではなく、彼女の中で緊張の糸が切れたのだろう。少女は声を漏らして泣いていた。涙は頬にしみることなく輪郭をつたって、私はそれを愛おしい目で見つめる。
ぎゅっと抱き寄せて、すべての犯罪から彼女をまもってあげたいと思った。
私は彼女の身代わりになったのだった。女子高生のスカートの中を盗撮していた男性を駅員に引き渡した時、被害に遭ったのは私だと名乗った。
携帯電話に保存されていた画像にはスカートの柄までは写っていなかったし、撮られていた女性器が自分のものであることを強調しておいた。
ほかにも痴漢行為をしていた人物がいたけど顔までは覚えていないと言うと、「お気の毒に」と駅員は言葉を濁し、なんとか彼女の体裁だけはまもることができたのだった。
「うちに来る?」
「……」
「そのままだと下着が気持ちわるいでしょ、私のところで着替えたほうがいいわ」
「でも……、それじゃあ……、お姉さんが……」
「奈保子でいいわよ。仕事に行く途中だったけど、あなたを見てたら帰したくなくなってきちゃった」
「え……、レズ?」
「冗談よ。とりあえずほら、ジュースだけでも飲んだら?」
ようやく打ち解けてきた彼女の顔がゆるんでいるように見えた。
外でタクシーを拾い、自宅マンションのある地名を運転手に告げた。
電車で移動しようとすれば、彼女がまたさっきの忌まわしい体験を思い出すかも知れないからだ。
車内の沈黙を紛れさせるために、私は窓越しの街並みを眺めていた。
「あの……、お姉……、奈保子さん……でしたっけ?」
私は外を見たまま、ええと返事をした。
「ありがとう……、さっきのこと……」
たどたどしいタメぐちに私がそちらを振り向くと、今度は彼女が窓側を向いてしまった。素直なようで素直じゃない、なかなか取り扱いのむずかしい子だ。
「あなた、名前は?」
「それ、言わなきゃいけないやつ?」
「大きい貸しがあると思うんだけど」
「借りたおぼえないし」
「じゃあここで降りてそのまま帰る?」
「……」
「次は助けてあげられないから」
「……、愛紗美(あさみ)」
語尾をつんつんさせながら、それでもなんとか心を開いてくれたようだ。
「愛紗美ちゃんは高校生だよね?」
「高3……」
「学校とか家の人に電話しなくていいの?」
「そんなの無理、痴漢されたなんて言えなくない?」
「だって、私が痴漢に遭ったことにしてあるんだから、あなたが私を助けたって言えばいいし」
「あ、そっか」
そんな私たちの会話が気に障ったのか、初老のタクシードライバーは第三者の存在を知らせる咳払いをした。
少々荒っぽい乗り心地にも慣れてきたころ、タクシーはハザードランプを点滅させながらマンションの敷地内で停車した。
カウンターは遠慮のない料金を示していた。
今月は美容室あきらめよう。
まさか今日、会ったばかりの女子高生を自宅に入れることになるとは思ってもみなかった。彼女にしてもそれは同じだろう。
私は彼女の警戒心を背中に感じつつ、年上の振る舞いで部屋に招き入れた。
「おじゃまします」
忍び足をする彼女を姿見してみて、やっぱり歳はとりたくないなと今さら思った。私なんかじゃ到底かなわない初々しさがそこにあったのだ。
可愛い妹ができたような気分で、私もつい甘やかしてあげたくなる。
「そっちがトイレで、あと、お風呂場はそのドアの向こうだから好きに使って。下着は……」
確かこのあいだ買ったばかりのショーツがあったはずだし、未成年にはまだ似合わないけど、まあいっか。
私は小さな紙バッグから白いシルク生地を取り出し、「これだって安くないんだからね」と彼女に手渡した。
「これってアレだよね、風俗のお姉さんが履いてそうなかんじ」
「愛紗美ちゃん、ノーパンで帰る?」
私が女子高生を相手に大人げないことを言うもんだから、彼女はあどけない笑顔ではつらつと笑い、ショーツ片手に脱衣場の方向へ姿を消した。
そのあいだに私は仕事場に電話をかけて遅刻の理由を繕ったり、お茶菓子を出して彼女の世話をやいたり、なかなかのお姉さんぶりを客観的に評価していた。
ドアが開いて彼女が出てきた。
「ねえ、奈保子さんもこんな下着ばっかり着けてるの?」
「そうだけど、どうして?」
「なんか履き心地がエッチっぽくない?ていうか大人はみんなエッチだよね、男の人も女の人も」
「そうかもね、だって私、エッチ嫌いじゃないし」
どうしてこんな話になるわけ?
「ねえ、訊いていい?」
思春期の興味といえばやはりそこに辿り着くわけで、それは私も通ってきた道だ。
「エッチって、どのくらい気持ちいいの?」
「気持ちか……、そうね……、それは相手のテクニックにもよるわね」
「へえ、そうなんだ。じゃあ、オナニーしすぎると不感症になっちゃう?」
まれに見る奇抜な質問に、できるだけ適切な返答をさぐる私。
「逆に訊くけど、愛紗美ちゃんはそういうことしたりするの?」
「あたしはしないけど、うち女子校だから、そういう話はみんな普通にしてるんだ。援交の相手とラブホに行ったら、そこでバイブ買ってもらったとかね。あ、バイブってケータイのやつとは違うバイブだよね?」
「あたりまえでしょ。だいたいそんなことに青春を浪費してたら、ろくな大人にならないわよ」
「そんなことって、援交?オナニー?セックス?」
見た目は子どもなのに、中身は不純物でいっぱいだ。私は完全に彼女のペースに流されていた。
「これから仕事に行かないといけないから、あなたはどうするの?」
「どうするって言われても、奈保子さんが家に来いって言うから──」
「そうだったね、ごめんなさい。家の人に迎えに来てもらえないの?」
「夕方にならないと無理だし」
どうやら自分の親切のおかげで、とんでもない荷物を持ち帰ってきてしまったようだ。
「ここに居ていい?」と彼女は言った。
悪い子ではなさそうだし、そうするほかにない気がした。
「散らかさないでよ」
「大丈夫、変なもの見つけても秘密はまもるから」
「なによそれ」
「掃除と料理は得意なほうなんだ」
「余計なことはしなくていいから、わかった?」
私は彼女を指差して念を押す。
「うん。じゃあさ、連絡とれないと困るだろうから、携帯の番号交換しようよ」
そんなことにも気づかなかった私は、またしても彼女にやられたと思った。
お互いの携帯電話を寄せ合い、赤外線をつかって電話番号を交換した。
目に見えない赤外線が、不思議な赤い糸のように二人を繋ごうとしていた。
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