若い頃なれば『ずっと一緒にいたい』とか、そんな理由で十分だろうか?
全くと言えよう。
『恋』を知らない私が、恋の返答を迫られる。
ましてや、若い突破力や情熱なんてものも忘れ、日常に埋もれ、どこか朽ち果てるのを待っている風もある。
今にすれば、恋も恐く
どこか遠いテレビの中や小説の中に起こりうる事に思えていた。
正直、なんとも言い難く。辛い。
切ない。
苦しく。
思考を麻痺させ、脳が、ありとあらゆる隙間を縫い
『太陽の様な笑顔』の京子さんを記憶のままに映す。
私の意思に反して?なのか、知らぬ間に京子さんを脳裏に描いては消す。
私は明らかに、恋を知った。
尚更、人生の折り返し年齢で恋を知り、自分の心に不安も恐怖も覚えて京子さんに答えを告げる勇気を削がれ、月日だけが過ぎた。
そんな私を知ってか、知らずか?
私に答えを求めた日から、京子さんが、ちょくちょく現れ、拙い会話をし、私の行き場のない気持ちを和らげてくれる。
時には、食事の用意もしてくれ、京子さんが居る、又は来る日が日課になりつつあった。
つい、答えもだせずに甘んじてしまう。
しかし、彼女京子さんは咎めも答えを急く事もなく、甘えさせる。
母が、永遠になって。気付くと一年経ち、母の法要を済ませ、久々に知り合った頃の京子さんが変わらずの笑顔で浮かぶ。
決心し、帰宅すると京子さんが来てい、暖かいお茶を煎れてくれた。
いつもの私と違う表情を見つけたのだろう。
私が口を開く前に察して、テーブルを挟み、改まって正座をし、私の口から出る言葉を静かに待ってくれている。
あくまでも静かに自然であった。
『京子さん…。』
目の前に座る京子さんは、静かに瞼を閉じて
『…はい。』
『ご存知でしょうが、私は恋を知らぬままに、この歳になり、あなた京子に出逢った。』
一度、区切り、京子さんの煎れた、少し渋いお茶を飲み
『恋。を、知った。様々な不安があった。だけど、貴女のお陰で、それを貴女に告げる事ができます。ずっと、一緒にいてくれて幸せを感じた。京子さんを好きなのです。京子さんと、ずっと一緒に…幾つになっても、京子さんと一緒に いたい!』
ずっと胸につかえ、言えずにいた言葉を、今だからか?言えた。
ここまで、京子さんが描いただろうか?答えに真摯に答えた。
だが、京子さんは俯いて肩を震わせた。
やはり、答えは
『NO…』だろうか…
顔を静かに上げた京子さんの頬に涙が溢れ、いつもより眩しい笑顔で、涙を拭き拭き笑って。
一言。
『ありがとう。私、幸せです。ありがとう…ありがとう…ありがとう…』
止まらず、涙も止まらず
京子さんの感情も、止まらず…
泣き声になって更に涙も更に『ありがとう』を繰り返す。
見ていた私も、深い情に打たれて胸も瞼も熱くなり、二人で声をあげて泣きに泣いた。
いつしか、日も落ちて
気温がさがり、二人は顔を見合せ、付けた蛍光灯の下。
今度は、笑いに笑った。
泣いた後の二人の瞼は赤く腫れていた。
翌月、二人は籍を入れ
産婦人科にいくと『妊娠2ヶ月』を告げられ、桜並木をゆっくり進み、母の墓前に花を活けて
手を合わせた。
そっと、京子の口から
『お母様…ありがとう。京子は、とても、幸せです。…』
きっと、私に言ったんだろうと思った。
母に…
京子に…
そして、生まれくる子供に
私から
『ありがとう』
翌年、京子は女の子を産み、名前を
『真愛(まな)』と命名した。
(完)
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