「彼方・・、仕事でチョッと遅くなります。すみません、食事の方一人でお
願いします。」
照江は、携帯電話で夫に嘘をついている自分が、別人の様に思えた。
今までの照江なら、到底考えられない事だからだ。
夫に嘘をつかなくてはならない事等、これまでの生活の中では必要が無かっ
た。
秘密を持つ必要も無かったし、考えた事も無かった。
だが、それが本当の夫婦の姿なのかも判らなくなっていた。
蔭山はそんな照江の後で、その様子を眺めていた。
必死に嘘で取り繕っている姿が、何となく初々しく見えるから不思議だ。
照江が蔭山に抱かれる気になっているのが、その雰囲気からうかがい知れ
た。
「柴田さん、さあ!」
蔭山が止めたタクシーに照江は乗せられ、ラブホテル街へと向かった。
「心配しなくても大丈夫ですよ、僕達の事なんか、誰にも判りっこないか
ら・・、僕と柴田さんさえ黙っていれば。」
部屋に入ってから、蔭山が照江に最初に言ったのがそれだ。
「私、なんか怖い、こんな事をしたことないから・・。」
照江の落ち着かない様子を見て、
「今夜、ご主人とセックスする予定有る?」
蔭山が、核心を突いた質問をぶつけて来た。
照江は首を振って、
「最近は・・ほとんどしてないから・・。」
正直に照江は答えた。
「なら大丈夫ですよ。それこそ、外から見て判る様な事じゃないから。柴田
さんが家に戻ってからも、いつもどおりに振る舞っていれば平気です。僕が
保証しますよ。それでも心配と言うなら、今から止めても僕は良いです
よ。」
蔭山が思いやりを見せながらも、言葉巧みに照江を口説いて言った。
そして、最後に耳元で、
「柴田さんが、今まで味わった事の無い様な、素敵な気分にさせてあげます
よ。」
その言葉が、照江を魔の入り口に誘い込んだ。
<影法師>
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