5月。
遅めの桜の開花とともに、妊娠したことがわかった私は36歳になった。高齢出産となるが、主人はそれなりに喜んでくれた。主人の子供か、義父の子供かはわからない。しかし、10%の確率で妊娠できた喜びは、なにものにも変えがたかった。最後にセックスしたのは、純子とおなじ種付けの日。
私に罪悪感はなかった。これは交尾という種付けでできた、いわば仕事のようなもの。子孫をふやすための、大切な行事。だから、誰の精液でもいいし、より強い優秀なオスの精液が授精することは、自然の摂理なのだ。
つわりをこらえながら、5月がすぎていった。
6月。梅雨らしい雨もなかなかないまま、雨期を迎えた。牧草地に種をまき、牛たちの食料を作る。つわりがなくなった私は、義父に定期的に妊娠状況をみてもらっていた。
主人がいないときを見計らって、私は牛舎で裸になる。純子の隣で義父を待つ。他の妊娠した牛を検査しながら近づいてくる。純子の次が私だ。足を開き柵に手をつき、尻をつきだす。義父の太い指が他の牛たちをみるのとおなじように、私の性器を広げたり腹をさすったりする。
これは、私からお願いしたことだ。私の被虐感を高めてもらい、性的に満足したいがためだ。
自己満足。
さんざんいじられ、大きくなったクリトリスを、指で弾かれて鳴く。そしてイク。主人がいないときの私の楽しみ。そして、たまに搾乳機までつけられる。まだ出ないのに、乳首がのびるようにひっぱられる。不様な声を上げて、義父にスイッチを切るように懇願する。機械を外した乳房は、そこだけが赤黒く変色し、まるで大きな乳輪みたいに見える。最後にはかならず、子宮の触診として指を4本まで入れられ、じかに子宮をさわられて、イク。
寄り合いがないときも、主人は家をあけるようになった。夜の行為もなくなった。世話とか食事をするとき以外は、日中は組合の集会所にいってる。忙しいらしい。私には、それはそれでよかった。しかし、たまに血走ったような目付きで帰ってくる。なにをそんなに忙しく彼を駆り立てるんだろうか。
7月。あたたかくなりはじめた頃に、放牧をはじめた。牛たちを牧草地につれていき、夕方また集めるまで暇になる。その合間をぬって、検査は続いていた。最近では、触診だけではなく、奥まで調べてもらうために、肉棒検査もしてもらっている。
「妊娠してるのに発情してるのか。」
私は毎回、義父にさわられる前から濡れていた。いやらしく、腰もふる。入れてほしくて仕方がない。太ももを垂れる汁が、ぐちょぐちょと音を立てる。こんなホルスタインがいたら、間違いなく狂牛病検査にまわされるだろう。
今日は、朝から放牧した。主人と義父と私で、牛舎の清掃をするためだ。
昼前には清掃もおわり、昼食後にまた主人は出ていった。
義父と、誰もいなくなった牛舎にいると、ただそれだけで濡れてくる。私は、何を求めているのだろうか。
「ほら、これをつけろ」
それは、子牛に付けるための縄だった。子牛には鼻輪をしないため、からだに縄をつけて外に出す。まさか・・・。
「はやくしないか。」
ムチをもっている。私は、ホルスタイン。急いで脱いで、縄を体に付ける。
「放牧されたいんだろ?お前は、牛だからな。ほら、でないか!」
義父に追い立てられ、牛舎の外に出る。全裸で。真っ昼間から!
柵のなかの牧草地に追い立てられ、牛たちにまじる。道路はかなりはなれているが、いくらなんでも全裸の女がいたら、めだつ。
「夕方には戻るからな。今日はわしも役員会があるから。」
そう言い残し、義父は車で出かけていった。牛たちにまじって、全裸の女がひとり。いいや、私は、家畜なの・・・。だから、だから、、、あぁっ!いいっ、いいのっ・・・。
これ、これなの。私は、家畜扱いされてイク変態なの・・・。だめ、手がとまらない・・・。
牧草地のまんなかで、よつんばいになり、義父が帰ってくるまでオナニーを続けた。狂ったように。何度いったかわからない。だけど、私自身があらたな発見で興奮していた。大便も小便もした。だって、家畜だから・・・。
何台か、放牧場から見える国道を軽トラが走っていったが、気にもしていないのか、まるで止まる気配はなかった。
義父が早めに帰ってきてくれて、服を着てから、夕方二人で牛舎に牛をもどしているときに、主人が帰ってきた。もう、私には気にもならなかったが。
蝉が鳴きはじめたくらいの季節に、夏祭りがあるというお知らせが防災無線でながれはじめた。
夏休み最後の週の土曜日。組合事務所の駐車場で、地域の夏祭りがあった。
子牛の体重当てクイズ(正解者には牛乳1年分)とか、青年会が開くいろんな屋台で、にぎわっている。昼頃から始まり、夜の「手持ち花火大会」(打ち上げ花火は、牛たちがびっくりして打ち上げられない。)があったりして、ほんとにこじんまりした地域の祭りだ。
メインイベントで、各酪農家が1頭ずつ連れてくる乳牛で、品評会があった。毛並み、ミルクの質、体格、いろんな審査規準があり、なかでも特等を受賞した牛は、その秋におこなわれる競りで、優先的にあつかわれる。
うちからは、義父の決めたとおり純子、250番がでた。その頃には普通にミルクも出るようになり、血統も手伝ってか、毛並みも体格も申し分なかった。
しかし、私は見ていられなかった。ステージに引き出されて、審査員に皮の張りや乳の出方を見られている純子を見ていると、まるで私がそこで見られているような感覚におちいり、目眩がするほどの興奮状態になってしまったのだ。
事務所で休ませてもらい、主人に夕食の屋台ものをかってきてもらって食べた。日没前に、義父が250番を牛舎に帰して私をむかえにきた。主人は、もう宴会の裏方の方にいったそうだ。
純子の成績は、おしくも2位だったそうだが、特等と1位と2位は、点差があまりなかったそうだ。うれしそうに話していた。
帰りの車に乗る前にお茶を飲むところまでは覚えていたが、そこからしばらく記憶がなかった。
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