「食事が済んだら寝る前に露天風呂に行ってみないか?」
離れ形式の食事処での話だ。
「露天風呂って混浴だと言っていたでしょう? 私はいいわ。」
「ここに来て、露天風呂に入らないのは勿体ないよ。大丈夫だって、それほ
ど気にする事
は無いよ。それに寝る前ならあまり入る人はいないはずだから。」
この旅館の売りの一つは、テレビのコマーシャルでも使われた位有名な露天
風呂だ。
「本当に? 彼方の言う事、本当に怪しいのだから・・?」
「あっ、それって不本意だな、そんな事は無いはず・・、言い過ぎ。」
母が鍋の中に食材を並べながら、俺の言った話に茶地を入れた。
「この辺はもう煮えているから、食べても大丈夫よ・・。」
甲斐甲斐しく俺の世話をする母、
母にとって、今や俺は息子と言うだけの存在では無くなっている。
事実上、母の夫は俺であり、母は俺の愛人でもある。
先ほども、溢れるばかりの愛情を分け合ったばかりだ。
その余韻がまだ母の身体に刻み込まれているであろう・・と想像する。
だからこそ、傍から見れば異様な位、ベタベタな親子に見える事だと思う。
でも、それ以上に踏み込んで俺達を見る人は今の所いない様だ。
俺は母親思いの、孝行息子と受け取られている様だ。
如何受け取られようと、それは受け取る側の勝手だが、その判断を思い切り
裏切ってやるのも又面白いものだ。あの運転手の時のように。
「ビールもう一本頼む?」
俺のグラスが空になっているのを見て、母が気をきかす。
家ならさしずめ、そのまま知らない顔だ。
「いい、食事にするから・・。」
俺の言葉に、母はすぐさま茶碗にご飯をよそった。
その姿は夫に尽くす、妻の姿だ。
母にとって俺は、自分を思いっきり愛してくれる・・大事な人なのだろう。
「ウン・・何見ているの?」
母をじっと見ていた俺に気がついたのか、そう言ってきた。
「恵子の事見ていた。」
「私?」
「うん、そう・・、流石俺の妻だな~ってね。」
「もう~、そんな事言って、何が目当て?」
「露天風呂・・だよ。いいよね。」
「判った・・、様子見に行くだけよ、もし他に人がいたら、私は入らないか
ら・・。」
如何にか母に同行を認めさせた俺だった。
一足先に母を部屋に返すと、俺は急いで真理子に連絡をする事にした。
明日の事を、気にかけているに違いない。俺はそう思った。
「もしもし・・真理子?」
「はい。」
「ごめん、連絡が遅くなっちゃって。」
俺は真理子に素直に詫びた。
「いいのよ、旅行に来ているのだから・・そんなに気使わないで。」
真理子の思いやりが伝わって来る。
「明日は予定通りでいいね。」
「10時に宿の方に行けばいいのね?」
「そう、あまり心配はしなくていいから・・気楽に来てよ、そんなに気を使
う相手じゃ無いから・・。」
「でも誰と逢わせようとしているのか判らないから・・ちょっと心配なの
よ。」
「そう言うと思ったよ。ごめん、でも今は言えない。俺の事を信じて欲し
い。」
勝手な言い方だが、真理子は判ってくれた。
「信じているわ・・彼方の事、とても良い人だし、凄く優しいから・・。」
真理子の言葉を聞いていると、俺の方が少し心苦しくなるが、ある意味、そ
れは真理子の為なのだと俺は思い、この事を考えたのだ。
「じゃ、明日待っているから・・。」
「はい、それじゃ。」
真理子はそう言って電話を切った。
次回更新は14日の予定です。(影法師)
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