黒塗りのベンツが、その場所に不釣り合いに停まっていた。
濃紺のスーツに身を包んだ、40代と思しき男がその車の横に立っている。
「児島さんだね?」
男は由紀子を見るとそう尋ねた。
男は、後部座席のドアを開けると、由紀子に乗るように合図した。
由紀子が警戒する素振りを見せると、
「車の中で話をするだけですよ、安心してください。」
そう言って、男は運転席側に乗り込んだ。
シートを挟んだ形で、由紀子は男と対峙した。
「別の事を荒立てるつもり有りませんから、安心してくださいよ。どうで
す? 涌井さんと相談出来ましたか?」
男はいきなりそんな事を言い出した。
その言葉で、由紀子は自分の考えに間違いのない事を知った。
やはり涌井は同じように脅されたのだ。
会社にばらすとか、金銭を要求されたのだろう。だから、由紀子との係わり
からから逃げたのだ。
「あの男じゃ相談相手は無理だね、あれは、唯の女たらしに過ぎない。奥さ
んもあんな男に引っかかるとは・・気の毒だね。」
逃れられない恐怖が、由紀子の身体を包み込んだ。
「お金ですか・・?」
「お金・・? そうですね、500万支払って頂けるなら相談に応じてもい
いですよ。」
「500万! そんな・・そんなお金ありません。いくらなんでもそんなお
金、私には無理です。」
「でしょうね・・、まさか5万、10万なんて金額を考えていませんでした
か?」
男の言う通りだった。自分の考えの甘さを知った。
「お金はいいですよ。そのかわり、ちょっと私たちの仕事の手伝いをしてい
ただきたいのですよ。」
お金はいい・・と思いがけない事を男が言いだした。
「仕事ですか?」
由紀子の頭に浮かんだのは、売春と言う言葉だった。
その顔を読んだように、
「売春でもさせられるかと考えている顔だね・・その顔は?」
「そうじゃないのですか・・?」
「それでもいいですけど・・します?」
由紀子は首を横に振った。
「そうでしょうね、そう言うとは思いました。」
「じゃ何をしろと言うのですか?」
「内容に関しては、今は話せません、ただそんなに難しい仕事ではありませ
んよ。
時間にして2~3時間で済みます。その位ならご主人に知られずに、家を空
ける事も出来るでしょう? 売春では無いですから・・安心していいです
よ。」
男の話し方は、紳士的な雰囲気を醸し出している。
何となく信じられそうな話に思えてくる。
「その仕事を手伝えば、この話無かった事にしていただけるのですね。」
「ええ、もちろんです。あまり公に話せる仕事じゃ無いものですから、この
様なやり方をして申し訳ないですが・・。」
「もし断ったら・・?」
「それはお話ししなくてもお判りでしょう?」
有無も言わさぬ男の圧力だった。
由紀子はわけも判らぬその仕事を受けた。
ただ、目の前の保身が全てだったのだ。今の幸せを確保できるなら・・身を
売る事も覚悟していた由紀子だった。
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