六話
_血の気のひいた表情で必死に春子を探しつづける紳一。
_せまい町だというのに、春子の姿はどこにもない。
_手芸屋の店主が、「春ちゃんなら見たよ。校長先生のところの美智代ちゃんを探してたみたいだけど」と言ったきり、その後の行方がわからない。
「春子にもしものことがあったら、僕は──」
_悪い方へ悪い方へと考えてしまうのは自分の悪い癖だ、と冷静になろうとした。
_どれだけ町中を走りまわっただろう。
_すでにシャツの生地は汗でふやけて体中にまとわりつき、陽射しが紳一の体力を奪っていく。
_地面に照り返してできた陽炎が、ゆらゆらと揺れていた。
_一度、確かめてみよう。
_そう思い立って家に戻る選択をした紳一は、春子のことだけを思いながら家路を急いだ。
_紳一は家に着くなり春子の通う学校に電話をかけた。
「もしもし……、あ……深海さんですか?……先ほどは失礼しました」
_電話をとったのは森南つぐみだった。
_さっきのつぐみの言葉が一瞬だけ紳一の頭をよぎったが、今はそれどころではない。
「あの、何か連絡ありました?」
「そのことなんですけど──」と、つぐみは今の時点でわかっていることを紳一に話した。
_被害に遭った少女は春子の通う高校の生徒だということ。
_そしてその生徒は春子でもなければ美智代でもないということ。
_紳一の心は少しだけ軽くなったが、春子の行方が心配で、喉が渇いていた。
_変質者がこの辺りをうろついているというのに、何処で何をしているのか。
_そう思っていた時、家の外で自転車を停める音が聞こえた。
_そして、「ただいま」と言って姿を見せたのは、春子だ。
「春子!」
_愛する娘の名を叫び、駆け寄って抱きしめた。
_春子は何が起こったのか理解できずにいた。
「どうしたの?お父さん、急に」
「無事なのか?怪我はないか?」
「うん」
「そうか、良かった」
_そう言って紳一は目尻を下げて、もう一度、春子を抱きしめた。
_春子は理由も聞かず、ただ紳一に抱きしめられていた。
_嬉しかった。
_こんなにも強く抱きしめられたのは初めてかも知れない。
_今まで以上に紳一のことを男として意識して、自分のことも女として意識していた。
_このまま時間が止まっていつまでも続けばいいと思った。
_しかしこの直後、昼間の事件のことを紳一に聞かされた春子は、得体の知れない存在が自分のすぐ近くにいたことを知り、恐怖で涙ぐむのだった。
_日暮れとともに酒場の提灯に灯りがつくと、どこからともなく現れた男たちがそこに吸い寄せられていく。
_どいつもこいつも見た顔ばかりだと言いながら、誰もが陽気に酒を酌み交わしていた。
「この町も平和だとばかり思ってたけど、まさかあんなことが起きるとはな」
_誰かがそう言うと、みんなしてその話に乗っかってきた。
「ああ、あれかい?昼間の痴漢の事件」
「痴漢じゃないよ、ありゃ強姦さ」
「気の狂ったやつの仕業だな。都会にはそんなやつが結構いるらしいじゃないか」
「都会からわざわざこんな田舎の娘を襲いに来たのかい?」
「しかもそいつ、火男(ひょっとこ)の面を被って顔を隠してたんだと」
「そんなことよりさ、なんで蛙の卵なのかね、気味悪い」
「聞いた話だと、若い娘の穴に蛙の卵を詰め込んで、良いことしたらしいぞ。そうしたらそこからオタマジャクシが生まれてきたんだと」
「俺だって若い娘とよろしくやりたいよ」
「こんな時に不謹慎なこと言うんじゃないよ。だが、女房抱くよりはいいかもな」
「夜中にひとりで外も歩けやしない、今日で飲みおさめだな」
「そうだな。酒の肴がこんな話じゃ、酔うに酔えねぇ」
_ひどい目に遭ったあの娘が気の毒だ、と皆が口をそろえたところで話は落ち着いたのだが、腹の中はそれぞれ違っていた。
_ろくに男を知らない生娘の下(しも)を拝ませてもらい、カナリアのさえずりに似た身悶えるその声を聞き、汗と、唾液と、男汁と、女汁とを垂れ流し、好きも嫌いも勘定に入れずに、その肉穴に女の役割を果たさせ、その肉竿で男の役割を果たしたい、ただそう思っていたのだ。
_深海春子が帰宅したのと同じ頃、桜園美智代も無事に自宅へ戻っていたのだが、事情が事情なだけに、嫁入り前の娘が行き先も告げずに何処に行っていたのだ、と父親である善次から説教されていた。
_一方、春子の方も紳一から昼間の行き先のことを訊かれたのだが、美智代と一緒にいたとしか言わず、紳一はほとほと手を焼いていた。
_年頃の娘だ、親に言えないことの一つや二つはあるだろう。
_そんなことを思っていると、少しむくれて春子が言い返してきた。
「お父さんだって今日、森南先生と何してたの?本屋さんで楽しそうにしてじゃない」
_まさか娘に見られていたとは思わなかったが、やましいこともないし隠す必要もない。
「ああ、偶然だよ偶然。小説が好きだとおっしゃってたから、家に来てもらって、僕が読み終わった本を譲ってあげたんだ。それだけだよ」
「え?家に来たの?」
「なにか都合わるかったか?」
「わるく……ないけど」
_私の知らないところで二人きりで会っていたなんて、と春子は胸の縮まる思いがした。
「どうせ私の心配してるふりして、先生のこと考えていたんでしょう?」
_春子は言葉を吐き捨てた。
_次の瞬間、ピシャンという音がすぐそばで聞こえたあと、春子の左頬に痛みが走った。
_それと同じく、紳一の右の手のひらにも痛みが残る。
_頭に血がのぼった。
_そして痛みが消えると、紳一が口をひらくよりも先に春子は背を向けて自室にこもってしまった。
_紳一は思う。
_どうして叩いてしまったんだろう、と。
_春子は思う。
_どうしてあんなことを言ってしまったんだろう、と。
_春子の母、紫乃(しの)が逝ってからもうずいぶんと二人で暮らしてきたはずなのに、今夜はやけにこの家が広く感じる。
_春子は急に怖くなり、布団から抜け出して部屋を忍び出た。
_日付が変わろうとしているのに眠れないのだ。
「お父さん、まだ起きてる?」
_紳一の部屋の前でふすま越しに春子が声をひそめて言うと、「どうした、眠れないのか?」と、いつもの優しい声が返ってきた。
_何事の音もたてずに春子は紳一のそばまで来て正座した。
「さっきは……ごめんなさい」
「いや、僕の方こそ、ぶったりしてわるかった」
_その言葉を聞いて、春子の心はホロホロとほぐれていった。
「一緒に……寝てもいい?」
_自分と同じ学校の生徒があんな目にあったのだから、ひとりで眠れないのも無理はない。
「僕のいびきを我慢してくれるならな」
_そんな冗談を言ってみせた紳一だったが、春子は無言のまま、暗がりの中で紳一の胸に顔を埋めた。
_春子の髪から香ってくる甘い匂いが、呼吸するたびに紳一の鼻をくすぐる。
「私、お父さんのこと、好きだからね」
_春子の愛しい息が、紳一の胸元にかかる。
「お母さんが好きになった人だもの、私だってお父さんが好き」
_春子の気持ちは真っ直ぐだった。
_春子の前では「男」であってはいけない。
_どんな時でも父親であることを忘れてはいけない。
_そんな思いが今、揺らいでいる。
_紳一が知らないうちに春子はすっかり「女」に成長していた。
_乳房のふくらみがわかる。
_腰のくびれがわかる。
_体から滲み出る色気がわかる。
「私……」
_まぶたを下ろし、薄目をひらいたまま春子は紳一の目を見つめた。
「お父さんのこと考えると……、あの辺がくすぐったくなってくるの……。こんな私……不潔だよね」
_そう言って目を逸らそうとする春子に紫乃の面影を見たような気がして、理由のつかない震えが紳一の全身を波打たせた。
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