五話
_このことはすぐに学校関係者のもとへ伝えられ、そこから連絡網で保護者へ知らされた。
_祝日の昼ということもあって、生徒全員の無事を確認するのはなかなか骨が折れる。
「どうして電話に出ないんだ──」
_なかなかつながらない電話をかけ続けているのは、女学校の校長であり、春子の級友の美智代の父である、桜園善次だ。
「深海くんもうちの娘も、こんな時にどこへ行っているんだ」
_春子の家の電話は誰も出ないし、美智代も行方知れず、墓地で保護された少女の身元もまだわからない。
_こんなことは考えたくもないが、その少女が美智代か春子のどちらかであるという可能性だってある、と善次は眉間のしわを深くした。
_そんなことが起きているとは知らず、紳一はつぐみを自分の横に並ばせて、家に向かう道を歩いていた。
「ほんとうに悪くないですか?私、そんなつもりで──」
_つぐみは自分の身なりを気にしながら遠慮がちに言った。
「うちに置いといても肥やしになるだけだし、森南先生にもらわれるなら僕も嬉しいです」
_さっきの古本屋で二人で小説の話をしていたついでに、紳一が読み終えた小説をつぐみに譲るという流れで、紳一の家につぐみを招くことになったのだった。
_すっかり陽は西に傾いていたが、深海家の庭先に春子の自転車は見あたらなかった。
「娘はまだ帰ってないようですが、どうぞ上がってください」
_そう言って紳一は、つぐみのことを照れくさそうな目で見た。
_ということは、この家に私と深海さんは二人きりで──、と胸がくすぐられる思いをしながら、つぐみは脱いだ靴をそろえて、「おじゃまします」と家の中に通してもらった。
_居心地のわるそうな表情で正座したまま部屋の中をぐるりと見回すつぐみに、紳一は冷たいお茶を出してあげた。
「なんだか家庭訪問みたいですね」
「そうですね。私、春子さんの担任でもないのにおじゃましてしまって」
「そんなことは気にしないでください。担任じゃなくても春子の先生であることにかわりない」
「ですね」
_紳一と二人きりだということを意識しすぎて、つぐみは間が持たない。
_目も合わせられない。
「僕、好きなんです」
_紳一が唐突にそう言うもんだから、つぐみは口を半開きにしたまま動けないでいる。
_柑橘の果汁と炭酸水が混ざり合って、しくしくと喉を刺激しているみたいだった。
「いつからですか?」
「ずっと前から」
「ずっと……って、私の……、あの……、どう言ったら──」
「森南先生はいつから好きなんですか?小説」
「え?ああ、小説……ですよね。それはですね、たしか……小学生の頃からだったと思います」
_なんとか話を合わせてみたが、またしても勘違いをしてしまった自分がとても恥ずかしく思えて、つぐみは頬を赤らめた。
_それを見た紳一は、「すいません、暑かったですね、少し換気しましょうか」と、陽のあたらない方の窓を開けた。
_紳一の気遣いに嫌みや下心などはまったく見えず、つぐみの心は強く惹かれていくのだった。
_紳一は一度、奥の部屋に引っ込んで、やがて両手いっぱいに本を抱えて戻ってきた。
「森南先生に気に入ってもらえるかどうかわからないけど」
「こんなに読まれたんですか?」
「奥の部屋にはまだ山ほどありますよ」と紳一は一冊の本を手に取り、「これなんかどうですか?」と、つぐみにすすめた。
_そして、本のページをめくるつぐみの横に座ると肩が触れる距離まで身を寄せ、「この人が書く推理小説がなかなかおもしろいんです」と少年のような目をして微笑んだ。
_女心というものを知ってか知らずか、紳一の無意識な行動や言動すべてがあたたかい。
_一緒にいると息苦しい。
_でもずっと一緒にいたい。
_帰りたくない。
_このまま彼の胸に身をあずけてしまいたいのに、嫌われるのが怖くてできない。
_年甲斐もなくそんな純情をめぐらせているうちに、つぐみはのぼせて軽いめまいに襲われた。
「大丈夫ですか先生?」
_ふらついたつぐみの上半身は紳一の胸にしっかりと受け止められていた。
「すいません……夕べ、少し寝不足で──」
_紳一に抱かれる格好になってしまったつぐみは白昼夢の中にいた。
_いつからか密かに思いを寄せていた、私の恋しい人。
_嫌われてもいいからずっとこうしていたい。
_たとえ心が通わなくても、あなたと過ごした今日という日を張り合いにして、この先も生きていける。
「深海さん……好きです」
_消え入る声で、つぐみは言った。
_紳一はどう応えたら良いのかわからず、言葉を探すしかなかった。
「いいんです、こたえてもらえなくても。私が勝手に好きになったんですから」
_紳一は自問していた。
_こんなに若くて素敵な女性にここまで言わせておいて、彼女にかけてやる言葉はないのか?
_女に恥をかかせる男がどこにいる?
_沈黙こそが身を切られるより痛いのだぞ、と。
_そしてようやく紳一の口が開いた。
「森南先生、僕は──」
_とそこへ電話が鳴り出した。
_空気を切るような電話の音で二人は我に返り、紳一は気まずい素振りで受話器をとった。
「深海です」
_電話の相手は桜園善次だった。
_先ほどの、墓地で少女が保護された事件の話を聞かされて、紳一は背中に冷たいものを感じた。
「どうしてそんなことが──」
_このことをすぐにつぐみに告げると、紳一は家を飛び出して春子を探しに、つぐみは緊急の職員会議のために学校へ向かった。
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