四話
_そんな親しげな二人の様子を、たまたま通りかかった春子は見てしまった。
_お父さんと森南先生って、そういう──。
_これが「嫉妬」というものなんだと春子は思った。
_紳一が遠くへ行ってしまいそうな気がして、喪失感が春子の心に穴をあけた。
_先生は容姿も綺麗なのだから、きっと心も私なんかよりずっと綺麗なんだわ。
_私なんかより──ずっと──。
_そんなことを思いながら春子は自分の胸のふくらみに手をあてて、もっと大人になりたい、と下唇を噛むのでした。
「美智代ったら、どうしたのかしら」
_春子が空を見上げると、太陽はいちばん高くまで昇りきって、まんまるい日輪をつくっていた。
_約束の時刻はとっくに過ぎている。
_待ち合わせの場所に美智代がなかなかあらわれないのだ。
_夕べの約束を美智代が忘れるはずがない。
_なにか都合をわるくしたのか、ここで待っていてもしょうがない、と春子は美智代の家に自転車を走らせた。
_桜園(おうえん)家の屋根の鬼瓦はいつ見ても恐ろしい形相でこちらを睨んでいる、と春子は苦笑いしながら桜園美智代の家をたずねた。
「深海くん、いらっしゃい」
_春子が呼び鈴を鳴らそうとしたところに、庭木の世話をしていた美智代の父、善次(ぜんじ)の低い声が飛んできた。
「あ、校長先生こんにちは。あの、今日、美智代と会う約束していたんですけれど──」
「娘なら朝早くに出かけたはずだが、どうかしたのかね?」
「それが、待ち合わせの場所になかなか来ないので、まだ家にいるのかと思って来てみたんですけど──」
「家を出たきりまだ帰っとらんよ」
「そうですか」と視線を横に流して、美智代の行きそうな場所を頭の中にめぐらせる春子。
「心当たりはあるので、そこに行ってみます。どうもおじゃましました」
_そう言ってこちらに深々と頭を下げる春子を、まだ若いのになかなか、はっきりとしゃべる子だ、と感心の眼差しで善次は見送った。
_町に一軒しかない手芸店にはいつも学校帰りの女子生徒たちが入り浸って、気の合う友達とおしゃべりをする「憩いの場」となっている。
_休日ともなれば高校生だけではなく、中学生や、小学校の高学年生までもが店に溜まりにやって来る。
_店主のおばさんとは女子生徒のみんなが顔馴染みの仲だ。
_春子の予想どおり、今日も数人の女の子たちが店のあちらこちらで輪をつくって談笑していた。
「そうね、美智代ちゃん、今日は見てないね」
_いつでも趣味のついでに仕事をしているといった感じの店のおばさんが、お茶をすすりながら言った。
_ここに来ていないとしたら、美智代はいったいどこに出かけて行ったんだろう。
_もしかしたら美智代のほうも私を捜しているかも知れない、きっとどこかで擦れ違っていたんだ、と春子はとりあえず家に帰ることにした。
_都会から離れた田舎の小さな町には、犯罪という犯罪はほとんどなかった。
_地元の消防団や自治会の青年部などが、時々、町内を巡回しながら防犯に努めてはいるものの、事件や事故などがあるわけでもなく、町内清掃が主な活動となっていた。
_皆とっくに平和ぼけしていたそんな時、めったに鳴らない交番の電話が急に鳴ったもんだから、駐在員は肝を冷やすほど驚いた。
_間違い電話ならいい迷惑だ、といった身のこなしで電話をとると、電話の向こうの消防団員を名乗る男の話を聞いてさらに驚いた。
_とある墓地のいちばん奥まったところで高校生くらいの少女を保護したというのだが、発見時のその異様すぎる状況を聞いて、駐在員は顔を青ざめさせたのだった。
_その少女は墓石の前に座り込んで故人と対面しているのだと、そこに居た誰もがそう思ったらしい。
_しかし何かがおかしい、と消防団員のひとりが少女のほうへ近づいていった。
_残りの者は遠目にその様子をうかがっていたが、彼は少女を見るなりこちらに向かって何かを叫び、自分が着ている上着を脱いで彼女を覆い隠すようにかけた。
_そして婦人部のにんげんを誰かよこせと声をつり上げた。
「それで、その子はどういった具合だったのかね?」
_そう言いながら駐在員は受話器を肩で挟んで、大学ノートに鉛筆をはしらせた。
_じつはその少女、シャツもスカートもはだけさせて、そこで声もなく泣いていたそうだ。
_下着はつけておらず、濁りのない白い肌がまばゆいほどに露出していたが、ところどころに擦り傷をつくっていた。
_口はガムテープで塞がれ、右手は右足と、左手は左足とそれぞれ手拭いで縛られていて体の自由はない。
_すぐそばの草花などは散り散りになって、はげしく争った様子がうかがえる。
_長いまつ毛が涙で束になって上下のまぶたに張り付いてはいたが、とても美しい顔立ちの少女だ。
_しかし、かわいそうなことに、執拗に吸われたであろう乳首、局部は紅く腫れ上がって、一方的な性への執着を物語っていた。
_それだけではない。
_もっとも異様だったのは、彼女の傍らに置かれたバケツだ。
_墓地の水道場から持ち出されたと思われるブリキのバケツの中にあったもの、それは……大量の蛙の卵だった。
_今の時季なら田んぼに行けばどこでも見ることができるし、米粒ほどの小さなオタマジャクシが卵から孵化する様子も見られるだろう。
_しかし彼は見てしまった。
_バケツの中身と同じものが、少女の膣から垂れ流されているのを。
_まるで少女の胎内からオタマジャクシが生まれているように見えたそうだ。
_そのことを聞いた瞬間、駐在員は大学ノートの上で鉛筆の芯を折ってしまった。
_この町で犯罪が起きた。
_しかも性犯罪だ。
_性犯罪の多くは被害者が泣き寝入りしてしまうために、一見、平和そうに見える町でも誰の目にも触れられずに婦女が犯されていることもあるのだった。
_そうやって加害者たちは社会的な制裁から逃れ、何食わぬ顔で日常に溶け込んでいるのだ。
「手足に擦り傷があったんで、婦人部の者を付き添わせて病院に行ってもらってる」
_そこまで言って電話が切れた。
※元投稿はこちら >>