一話
_終業のチャイムが空に鳴りひびくと、学校裏の森がざわざわと波立って、そこから小鳥たちがいっせいに飛びたちました。
_セーラー服姿の女学生らがにぎやかに校舎から出てくる。
「先生さようなら」
「はいさようなら、寄り道しないで帰るのですよ」
「わかってます」
_校門で生徒らを見送るのは、立派なくち髭に太い眉毛をたくわえた校長先生。
_雨の日も晴れの日も一日も休むことなくそこに立ち、学びの庭をまもり、将来ある学徒らをまもり続けてきた。
_そこから見える野山の新緑もいよいよ鮮やかに萌えているのでした。
_下校時刻を過ぎても教室に残って勉学に励む者もいれば、校庭で運動部活動をする者もいる。
_図書室に向かう渡り廊下に春子の姿があった。
「春子、このあいだ借りた本、もう読んでしまったの?」
「うん、少し難しかったけどね。どんな内容か教えてあげようか?」
「あん、だめだめ、私も借りるんだから言うのはずるいよ」
「えーとね──」
_いたずらに笑いながら友達の表情を面白そうにうかがう春子。
_あわてて春子の口を手で隠して「こら、だめ」と、じゃれつくのは、級友の美智代だ。
_校則で髪の長さを決められているおかげで、春子も美智代も肩より長い髪をうしろで結んでいて、遠目からだと双子にも見えるだろう。
_春子たちだけじゃなく、ここの生徒は髪の長さもスカートの長さもみな同じでした。
_春子と美智代は、丈の長い黒色のスカートをひらつかせながら廊下をかけて行きました。
「廊下は走らないように」
「すいません、急いでいたので」
_向こうから歩いてくる先生に注意されたものの、すれ違いざまに軽く頭を下げるだけにして、再びかけていく二人。
「困った子たちだわ、まったく」
_振り返り遠ざかる春子たちの背中に呆れ顔でため息をつく若い女の先生は、英語を教える森南(もりな)つぐみだ。
「私も森南先生みたいに素敵な大人になりたいの」
「私はだめだけど、春子ならなれるよ。だって、ほかの学校の男子から告白されたんでしょう?」
「やめてよもう、校長先生に知れたら退学になってしまう。そうしたらお父さんが悲しむもの」
「春子は春子のままでいいの。背伸びして大人になろうなんて思わなくても、いつかみんな大人になるんだから」
「そういう美智代はどうなの?好きな人できた?」
「高校生だもの、好きな人ぐらいいるよ、片思いだけどね」
_そうなんだ、という具合に黙ってうなづく春子でしたが、自分にもずっと前から思いを寄せている人がいるということを、美智代にもなかなか打ち明けられずにいたのでした。
_なぜなら、春子が好きになってしまったのは、好きになってはいけない人なのだから。
_図書室の書棚のあちらこちらに目をやって、恋愛小説や詩集などを好んで借りては、そこに自分の思いを重ねているのでした。
_春子たちが下校する頃には校門に校長先生の姿はなく、銀杏の木がそこに細長い影をおとしていました。
「ねえ春子、これから手芸屋さんに付き合ってくれない?見たいものがあるんだけれど」
「美智代ごめん、今日ははやく帰って夕飯の支度をしないといけないの。明日でもよければ付き合うわよ」
「うん、わかった、それじゃあまた明日ね」
_並んで自転車を押しながら歩き話をしていた二人は、小さく手を振りながらそこで別れました。
_陽が沈むにはまだ早い時刻だ。
_春子はしきりにスカートの裾の捲れを気にしながら自転車を降りると、深海(ふかみ)と書かれた表札の掛かった家の中へと入って行きました。
「ただいま」
_春子の大きな声に返事をする者はなく、近所の犬の吠える声が聞こえるだけでした。
_家に入るなり仏壇の前に正座して「お母さん、ただいま」と、静かに目を閉じて手を合わせた。
_今朝、焚いた線香の匂いがまだ残っている。
_数年前に母親が他界して、今は父親と二人で暮らしている春子は十六歳。
_高等学校に通いながらもしっかりと家の事もこなせるのは母親譲りなのか、多感な時期を男手で育ててきたとは思えないほど賢く、美しい娘に成長した。
_だんだんと生前の母の顔に似てきているのだと、最近になって思うようになってきた。
_そんな自分を育ててくれた父のことをとても尊敬していた。
_春子はセーラー服を脱いで、髪に結んだゴムをほどくと、西日の射す縁側から庭に降りた。
_お父さんが帰って来る前にやっておかなければ。
_そう思って洗濯用のたらいに水をはって、チャプチャプと何かを洗いだした。
_それは、月経で汚れた布ナプキンでした。
_何度か水を入れ換えながら丁寧に石鹸を泡立てる姿、それを生け垣の向こうから覗き見る男の影があることに春子は気づかない。
_春ちゃんもえらくべっぴんになったもんだ。
_いつの間にあんな物、着けるようになったんだか、もう子供だって産める体になったってことだな。
_その男は、自分といくつも歳が離れた少女をじめじめした視線で舐めまわし、口の中に唾をためていた。
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